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第8回「本を売る」ことに魅せられて

 1987年(昭和62年)23歳の夏、大学5年生の僕は、まじめに大学にも通い、課題であった「神道概説」の授業も休むことなく出席し、いよいよ卒業が見えてきました。
しかし、特に就職活動することもなく、日々を過ごしていました。そもそも史学科卒で、いったい何の職に就けると言うのか。大学に入った頃は、教員になることを考えていましたが、大学2年の時に交通事故で入院し、単位の取得が危ぶまれ、3年の時に教職課程をやめてしまったのです。初志貫徹できず、不甲斐ない気持ちでいっぱいですが、一方で、書店で働くことに魅力を感じ、できることなら、この業界で働くことを夢想していたのです。

7月16日、第97回「芥川賞」は、村田喜代子の『鍋の中』(『文學界』1987年5月号掲載)が受賞。そして、「直木賞」は、白石一郎の『海狼伝』(文藝春秋1987年刊)と山田詠美の『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』(角川書店1987年)のダブル受賞でした。

なんと「芥川賞」を3回連続で落選していた山田詠美が、「直木賞」を受賞したのです?
しかも、候補作品ではなかったにもかかわらず、五木寛之の推薦で受賞となったのです?こう言うことって、あるのですか?
「直木賞」を受賞しましたが、山田詠美が「芥川賞」の選考委員になるのは後の話。

さて、今回は、1月から担当している「法律書」について、書き残したいと思います。
やはり、このジャンルで一番お世話になったのは、有斐閣の大場章正さんです。本当にありがとうございました。

当時、法律書の棚は、不動産関連書からはじまり、その後、憲法をはじめとする六法が順序よく並んでいました。
なぜ不動産からはじまるかと言えば、当時はバブル絶頂期で不動産が投機的に売買されていました。また同じビルに三菱地所があり、不動産関連書のまとめ買いもありました。
こうした理由から入口からビジネス書を通るメイン動線に不動産関連書を置いたのです。
まず宅地建物取引主任者(現在は、宅地建物取引士)所謂「宅建」の受験参考書が飛ぶように売れていました。どんなに売れていたかと言うと、写真は当時の住宅新報社の注文一覧表です。『62年版 宅地建物取引の知識』が在庫300となっています。その他の本も3桁以上在庫がありました。

ところが、この住宅新報社を上回る「宅建」の本がありました。当時は、日本中央出版から出されていた『これだけ宅建』は、類書の中で一番売れていました。著者の中野元は、その後、ご自身でナカノ総合出版を立ち上げていますね。

「宅建」だけではなく、単価の高い不動産の実務書も3桁売れていました。中でも一番売れたのは、鵜野和夫『不動産の評価 権利調整と税務』(清文社)は、毎年の年度版でしたが、常に平積みで売れているベストセラーです。その他、日本実業出版社の『不動産の売買・譲渡・買換えの税金を安くする法』や自由国民社の『土地家屋の法律知識』なども平台から外せない商品でした。
またアパートやマンション経営などの本も売れに売れていました。世の中には、不動産を持っている人が、こんなにもいるのかと驚かされました。
そんな中で、不動産投資に関する本の中で一番売れたのは、かんき出版の『確実に資産が増える不動産投資の本』が、これまた飛ぶように売れていました。


すぐに電話で50冊追加注文すると、頼んでいないのですが、直納(直接、納品)してくれるのです。50冊ですから両手に紙袋ですよ。いつも汗をかきかき届けていただくので、こちらも恐縮なのです。「取次まわしで大丈夫ですよ」と言っても、また直納をしてくれるのです。かんき出版の齊藤龍男さん。今は社長さんですね。直納する人は出世する!もしかしたら、これは法則かな?

では、六法で、この時代に売れた本を、ご紹介します。まず「憲法」ですが、小学館の『日本国憲法』(写楽ブックス1982年刊)は、不滅のロングセラーですね。A5版バードカバー128頁。大きな文字で読みやすいのが特徴です。それと、佐藤幸治(京都大学名誉教授)の青林書院『憲法 (現代法律学講座)』は、定番でした。

続いて「刑法」です。團藤重光(最高裁判事1974年〜1983年)の弟子であった大塚仁(名古屋大学名誉教授)の『刑法概説(総論)』『刑法概説(各論)』(有斐閣)は、鉄板でした。

ある時、有斐閣の大場さんが「『刑法概説(各論)』が来年改訂するんだけど、在庫が◯◯◯冊くらいなんだよね」と聞き、思い切って「その在庫。全部もらえませんか?」と言ったら、(本当に全部かどうかは不明ですが)3桁本が入荷しました。
バックヤードに堆く積まれた在庫を見て山上課長が「お前これどうするんだ。売れるのか」と聞かれて、「大丈夫です」と応えました(笑)
すると、はじめは、いつもと同じように売れていましたが、次第に売上が伸びて、指名買いも増えました。学生の方に「どうして、紀伊國屋に来たのですか?」と聞くと「友達から、ここにあると聞きました」と言うのです。今のようにインターネットがない時代です。口コミってすごいですね。
そのうち新宿本店も在庫がなくなり、「先日◯◯◯と言う本を渋谷店に都合したから(と言われても、その本は僕の担当ではないのに)今度は...」と、なぜか上から目線で言われて、在庫を移動したり、同じ渋谷の東京旭屋書店が、どうしても断れない客注があると大場さんから言われ、同額の本と交換ということになりました。大場さんに本を預けて、同額の本を大場さんが持ち帰ってきて受け取ったのですが、これがまた僕の担当ではなく、まぁいいか、棚に差しとけ!
パソコンもなく、在庫データもない時代だから、金額さえあえば問題ない?近所の書店同士が在庫を融通し合う美しい物語があったということで、記しておきます。

「刑法」の次は、「民法」ですね。「民法」と言えば、既に故人でしたが、東京大学名誉教授の我妻榮(1897年〜1973年)の『民法講義』Ⅰ〜Ⅳ(岩波書店)『民法』1〜3(一粒社)が圧倒的に売れていました。一粒社が2002年に廃業したため『民法』1〜3は絶版となりましたが、復刊ドットコムによせられた多数のリクエストに応えて2004年に勁草書房より復刊されました。まさに名著復刊と言えますね。

次は「商法」です。鴻常夫(東京大学名誉教授)の『商法総則 (法律学講座双書)』(弘文堂)、神田秀樹(東京大学名誉教授)の『会社法(法律学講座双書) 』(弘文堂)、鈴木竹雄(東京大学名誉教授)の『商行為法・保険法・海商法(法律学講座双書)』(弘文堂)が基本書として売れていました。
「商法」と隣接して、会社設立の本を置いていましたが、中でも大山登『なぜ「有限会社」が有利なのか―そのメリットとつくり方』(明日香出版社)は、面陳でよく売れていました。こんなにも会社をつくる人がいるのかと感心しましたが、本を買った人が全員会社を創っているとは限りません。会社で嫌なことがあって、辞めて独立しようかと夢を見るために買うのかな?会社設立の本は、お守りみたいなものなのでしょうか。

「民事訴訟法」は、三ケ月章(当時、東京大学名誉教授。1993年、細川護熙内閣で法務大臣に就任)『民事訴訟法(法律学講座双書)』(弘文堂)A5版ケース入りの本でしたが、よく売れました。「刑事訴訟法」は、平野龍一(東京大学名誉教授、元東京大学総長)の『刑事訴訟法概説』(東京大学出版会)が売れていましたね。

こうして、僕は新しく担当を持った「法律書」でも売上を伸ばして実績をつくりました!しかし、山上課長からは、褒められたことは、ありませんでした。
山上課長は、競合書店の中で一番になることをめざしていました。当時の競合と言えば、本のデパートと呼ばれていた大盛堂書店、東京旭屋書店、そして、駅の反対側の東急文化会館にあった三省堂書店、それと西武(リブロ)もありました。特に大盛堂書店は、『官報』の取り扱い店舗であり、法令様式も揃っていたので、お客様に聞かれると山上課長は、お客様の顔を見ずに「それは大盛堂書店にあります」と、つっけんどんに応えていました。悔しいのだと思います。
しかし、改装をしてからは売上も上り調子。入口メインから繋がるビジネス書は、天井知らずに伸びていました。そうなると、日経(日本経済新聞社)、ダイヤモンド社、PHP研究所、日本実業出版社が発表する書店ランキングで、大盛堂書店を抜いて渋谷地区1位、全国区でも10位圏内に入るようになりました。(この当時は、ビジネス書を売る書店の1位2位を紀伊國屋書店梅田店と八重洲ブックセンターが争っていました。3位が紀伊國屋書店本店、4位が旭屋書店本店、5位が三省堂書店本店、6位がジュンク堂書店三宮店、7位が有隣堂西口店、8位が西武(リブロ)池袋店、9位が紀伊國屋書店渋谷店という感じでした。ブックストア談新大阪店も10位以内でしたね)
僕が、いくら歴史書を伸ばしても(改装から1年半を経過しましたが、直近6ヶ月の売上は前年比132%であっても)、法律書の『刑法概説(各論)』を全国一売っても、ビジネス書が桁違いに売れていましたので、山上課長の褒める相手は、山﨑さんでした。

ここで、またお一人ご紹介させていただきます。東販(東京出版販売、現在のトーハン)特販一部一課の川畑幸巳さん(のちの特販部長)には、大変お世話になりました。
版元品切れの商品でも、川畑さんにお願いすれば、入荷するのです。どうしたら、そんな事ができるのか?当時、東販本社(東京都新宿区)の道路を挟んで向かい側に、東販の文京営業所(東京都文京区)がありました。ここは、出版社の在庫をおく、物流倉庫であり、返品された商品が届く返品所でもありました。川畑さんは、早朝(5時くらい)に倉庫に忍び込んで、暗い中、返品所の商品を漁るのです。そして、美本を手にとり、紀伊國屋書店の当日の昼便にのせてくださったので、本当に助かりました。ありがとうございました。

そして、この頃、東販の川畑さん、有斐閣の大場さん、新評論の武市さんの三人は、よくつるんで、山上課長とお茶を飲みに行ってました。戻ってくると、山上課長のゴルフの下手さ加減について、笑って教えてくれました。
いつだったか、山上課長を含む四人が飲んでいた場所に呼び出され、「まずはご苦労様」と言われて、コップにビールを注いでもらい、「草彅は、この業界に残れ!俺たちが、(就職を)世話する」と酔っ払って、言われたことを半ば本気にしていました。

さて、「歴史書」の時間です(笑)
前回は、日本の中世史研究に大きな変革をもたらした網野善彦を紹介しました。 
今回は、西洋史、ドイツ中世史が専門の阿部謹也の本を紹介します。最も有名な著作は、『ハーメルンの笛吹き男』(当時は平凡社、現在は、ちくま文庫)ですね。史実として、1284年6月26日、ドイツのハーメルン市で、約130人の子供が集団失踪した事件がありました。伝説となっている笛吹き男との関連は如何に。
本書の魅力については、石牟礼道子の文庫版の解説を引用します。

笛吹き男とはいったい何か。当時のハーメルン市がおかれていた全ヨーロッパ的な位置のなかでこれらの問題を扱うことができれば、伝説の謎解き的面白さを越え、ヨーロッパ社会史に接近するひとつの突破口となりうる。ハーメルンの人々の姿が、当時の社会を圧縮した動態として描かれてゆく。このとき阿部氏にはヨーロッパ中世史構想の柱が、方位を持って建ったのであろう。宮田登、網野善彦、塚本学、坪井洋文氏等とともに、中世史ブームといわれるきっかけの書となった。

そうです。まさにこの時、中世史ブームがおきていて、日本、ヨーロッパの中世史の本が売れていたのです。
不思議な話ですが、『ハーメルンの笛吹き男』は、当時の装丁が平積み映えしない地味なものでしたので、積んでいると売れなかったのに、阿部謹也の他の著作『中世の窓から』(当時は平凡社、現在は、ちくま学芸文庫)『中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 』(当時は平凡社、現在は、ちくま学芸文庫)と一緒に棚差しすると、よく回転しました。とても回転がよく、常に5冊は、ストックしていました。

平積みすると売れないけど、棚差しにすると売れる本があるということを経験した貴重な本として、記憶に残っています。ちくま文庫版の今の装丁は平積み映えしますね。

この頃、「卒業論文」執筆のために、休日は、国会図書館などへ出かけていました。以前も書きましたが卒論の題目は『源義経と平泉』です。義経の研究には、義経と同時代に生きていた公家の日記が第一級史料となります。その中でも有名なのが、九条兼実の日記『玉葉(ぎょくよう)』(名著刊行会)です。義経のことや、院(後白河)や頼朝、そして秀平(藤原秀衡)のことが日記に登場するので、必要な資料なのですが、買うと数万円するので、どうしようか悩んでいました。店には在庫するような商品ではありませんが、棚に差して、毎日、立ち読みしようか(笑)とも考えましたが、通読するためにも、思い切って買うことにしました。社割で買えるし、歴史書の売上になります。
後年、オリオン書房ノルテ店に伺った時、歴史の棚に『玉葉』を発見!ひさびさのご対面に感激しました。流石ですね白川浩介さん。

ちなみに『玉葉』は、活字になっているとは言え、レ点や一ニ点がない漢文の白文でしたので、読むのは難儀です。僕は國學院大学で「漢文概説」(必修科目)の講義を受け、どう読み下すかを学んでいたので、学生のころは読めました。今は読めません(笑)不思議なものですね。近世の文書(もんじょ)となると、くずし字となります。これも授業で学び、くずし字辞典なども買い、資料にあたっていると、当時は読めたのです。外国語と一緒で使ってないと使えなくなるのかな。

大学卒業後、『玉葉』や『吾妻鏡』など卒論で使った本は、実家に置いて、家を出てしまったのですが、実家に帰った時に読もうかなと探すのですが、見当たりません。

母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?

ええ、夏碓井から霧積へ行くみちで、

渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。

『西条八十詩集 』(1977年刊  角川文庫)


西条八十の詩「ぼくの帽子」じゃないけど、母さん、僕のあの玉葉、どうしたんでしょうね?ええ、ケースに入った緑色の分厚い本ですよ。
と聞くのですが、母のこたえは「さあねえ」でした。


ああ思い出してしまった。『人間の証明』!

Mama Do you remember the old straw hat you gave to me

I lost the hat long ago flew to the foggy canyon yeh

ジョー山中 『人間の証明』のテーマ曲(作詞:西條八十、角川春樹、ジョー山中 作曲:大野雄二)

今、聴いても痺れますね。3オクターブのジョー山中の歌声に!

そして、『人間の証明』と言えば、原作の森村誠一。2023年7月24日90歳で、お亡くなりになりました。合掌。

そして、森村誠一と言えば、そうです。ついに来ました。石井伸介さん!
やはり『野生の証明』は、僕の生涯で忘れられない作品のひとつです。

「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ」
この映画でデビューした薬師丸ひろ子の台詞が何度もCMで流れて、この子に会いたいと映画館に足を運んだのです。
いやあ良かった。元特殊部隊工作員が、ひとりで自衛隊を相手に闘う。高倉健(当時47歳)のアクションが、カッコ良かった。そして、14歳の薬師丸ひろ子が、可愛かった。

映画『野生の証明』の主題歌も渋いですね。

男は誰もみな 無口な兵士
笑って死ねる人生 それさえあればいい
ああ まぶたを、開くな ああ 美しい女(ひと)よ
無理に向ける この背中を見られたくはないから.....

町田義人『戦士の休息』(作詞:山川啓介、作曲:大野雄二 1978年)

そして、そして、その3年後に原作:赤川次郎 『セーラー服と機関銃』(角川書店)が監督:相米慎二。主演:薬師丸ひろ子で映画化されました。配収は、24億円に達し、この年(1981年)の邦画では、最大のヒット作となりました。忘れられませんね。機関銃をぶっ放したあとの、あの科白「カ・イ・カ・ン」

では、今回はこの曲で、お別れしましょう。
薬師丸ひろ子で『セーラー服と機関銃』(作詞:来生えつこ. 作曲:来生たかお)

さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの 遠い約束
夢のいた場所に 未練を残しても
心寒いだけさ
このまま何時間でも抱いていたいけど.....

つづく




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