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[茶道のキモチ]昔と今と

こんばんは。茶道教授&抹茶カフェ店主のそうみです。

高校の古文の先生はご自身がとても古文を愛しておられました。お寺のご住職でもあり、ただ教えるだけではなく、ご自分なりに研究もなさっていたように記憶しています。

その先生が、平安時代の発音では「はひふへほ」は「ふぁふぃふふぇふぉ」だったのだと、授業の時に教えてくださいました。平安時代の人とおしゃべりしてみたいな~と、思ったものです。

時代を経るにつれて、文字も発音も平準化するのですね。中国発祥の漢字も、中国人自体が簡素化してしまって、機が机、なんて、え~?って思います。

茶道のお点前も、400年以上の時を経て、さぞや変化していることでしょう。誤解を恐れずに言えば、「ムダに小難しい作法」は簡素化されて然るべきと感じます。

とはいえ、少々むずかしかったりめんどうであっても「より美しい」作法は連綿としてのこってゆくものです。例えば柄杓の置き方。「親指を節の上にして、静かに置きます」と説明すると、「えっ?わざわざ指の向きを変えるんですか?」と聞かれることがあります。置いた手つきのまま手を離したところで、何の支障もないのは確か。けれども、見ていて大変におざなりで、台所でお玉を鍋に入れるような生活感が出てしまいます。

茶道は、お客様を一服のお茶でもてなすための作法であって、本来なら4時間ほどかかる「茶事」の一部を切り取って、薄茶だの濃茶だのとお稽古をしています。客人も、お点前でのお茶をいただくからにはその作法も楽しみにしているわけで、ただお茶をのみたいということとは全く次元が異なるものだと思います。

流祖の教えを守りつつ、より大勢の人がわかりやすく、より大勢の人が見て美しいと思える作法に変化してゆく。美しさの基準も時代で変わるものでしょうが、それでも、根幹は変わらないのでしょう。日常生活とはちがう所作、普段は少しくらいお行儀の悪いひとでも、お点前座に座れば背筋がピン!と伸ばして、いつもとちがう時間を過ごせたらいいですね。

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