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目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ  第6章


第6章

 
 婚約指輪とは唾をつけることだとある男が言ったが、いまのぼくにはその表現がなかなか名言のように思えた。その女は、もうおれのものであり、残念ながら君たちには手をだせないのだと、広く宣言するというわけなのだ。ぼくのポケットには、その唾をつけるための指輪がはいっていた。デビアスの宣伝にのせられたようだが、それはぼくの月給の二倍ほどのダイヤモンドだった。
 毎月、前借り、前借りで生きている経済状態では、まるで不自然な買物だったが、唾をつける以上仕方がなかった。あまり安っぼい唾は、彼女まで安っぽくなるのだ。
 このリングを宏子の指にはめるときが、彼女を打ち砕く最後のチャンスだと思った。このチャンスを逃せば、彼女はイギリスに去ってしまう。その固い芯を砕くために、ちょっとした戦いになるはずだった。しかしこの戦いに勝たなければ、彼女はぼくのものにはならないのだ。
 乃木坂を上がったところに、稲葉早苗というシャンソン歌手の経営する《赤と黒》という酒場があった。そこに一度、宏子をつれていったら、彼女はすっかり気に入って、今週はそこで会うことになっていた。
 ぼくが店に入っていくと、早苗と宏子が、なにやら体をよせて話しこんでいた。
「あら、鎌倉幕府がきたわ」
「邪魔みたいですね」
「邪魔よ、あんたなんて」
 と言って、早苗はぼくを追い払うように手を振った。彼女はもう六十をこえるおばあちゃんなのだが、驚くほど若くみえる。この夜も、紫のドレスは着た早苗は、四十代にしかみえない。
 宏子はぼくにむかって微笑んだ。その微笑のなかに、ぼくだけにしかわからない、サインやシグナルがたくさんこめられているのだ。
「危なかったわね、あなた。もう少し遅かったら、この子を奪うところだったのよ」
 早苗は、がっかりしたように言った。
「ママは、そっちの方にも手を出すとは知らなかったな」
「あんたなんかには、もったいない子だわね」
「ぼくもそう思いますよ」
「それなら一晩、この子を賃してちょうだい」
 宏子はぼくの手をとった。その手から、愛の電流がどくどくと流れこんでくる。だからあっさりと言ってやった。
「いいですよ」
「いいんですって。あなた、今夜はあたしのところにくるのよ」
「どうしてこの人が、鎌倉幕府なんですの?」
「だって、この人の名前、鎌倉幕府みたいじゃないのよ」
「そういえば、そうね」
「実藤実朝なんて、あつかましいわよ」
「あら、実藤光延ですよ」
 宏子が訂正してくれた。こういうなにげないことが、ぼくを幸福にさせるのだ。
「なあに、この鎌倉幕府のにやけぶりは。まるでほっぺたから大福が落っこちてくるみたいじゃないのよ」
「ぼくは最近、人生観を変えたんですよ」
 と言って、例の話を披瀝してみた。すると早苗は、かんらかんらと笑って、
「なにを言ってるの。あなたの人生なんて、あたしの舐めた苦しみにくらべたら、屈みたいなものじゃないの。あたしは三度も棺桶にかみつかれたことがあるんだよ。三度もだよ。不思議なもんで、あれにかみつかれると、お金の計算するみたいに、死の計算をするもんだね。次はあれで死んでやろうって。あれがだめだったら、これで死んでやろうって。三度目のときはさすがに、天にまします神様が、もういいって言ったのよ。あたしには、ちゃんとその声がきこえたんだ」
「もういいって、死ぬことをやめなさいっていうこと?」
「そうなの。もういい、あんたの苦しみは、これで終わりにしてやるって言うわけよ。いまでもあれは、神様の声だと思っているわよ。神様は、こう言ったの。お前には歌があるじゃないか。力のかぎり、命のかぎり、その歌をこの世に返しなさいって。そしたら、あんたを救いだしてやるって。そう言ったんだよ。その頃のあたしは、小便くさいキャバレーまわりで、もうくたくただったの。生きることが面倒くさくなって、ひと思いにあの世にいこうと、そのことばかり考えていたわけよ。でもその声をきいたとき、ドサまわりでいいじゃないか、どうせ堕ちるなら、偉大なドサまわりの歌手なってやろうじゃないのと思ったんだよ。そう思うと、なんだか急に生きる力がわいてきたわね。それからだよ、ぱあっと目の前の闇が、晴れ渡るように、ツキがまわってきたのは」
「まあ、よかったわ」
「あたしが四十三のときよ。黄昏というバラードが、大ヒットしたのは。あのレコード、何枚売れたと思うの。七十万枚よ。七十万枚。お金が入る。このお店ができる。ツバメはわんさかと飛んでくる。人生のツキが一気にまわってきたのよ。だからあの声が、神の声だと思うわけじゃないのよ。そんな気違いじみたツキが、まわってこなくたって、あたしはその声を信じたのよ。だってその声に、あたしは救われたんだからね。あんたには歌があるじゃないか。その歌を、この世に返しなさいっていう声。疲れ果てていたあたしは、その声で身も心も洗われたわけよ」
 もう何回となくきいたその話は、ぼくにはすりきれたレコードの雑音ほどにしかきこえなかったが、宏子はひどく感心した様子だった。
「なんだか、とてもシャンソン的だわ。シャンソンが、人生をつくってしまうことだってあるんだわ」
「あんたって、うまいことを言うのね。さっきから感心しているのよ。使いものになる台詞を並べるのよ、この子は。鎌倉幕府。いいわね、今夜、この子はあたしのものだからね。この子をちゃんとここに置いていくのよ」
 そう言い捨てると、早苗はステージにむかった。彼女のショーがはじまるのだ。
「気が合ったみたいだな」
「ここで、ずうっとお喋りしていたのよ」
「君が気に入ったみたいだ」
「私も大好きだわ」
 七番目のツバメだと、早苗が広言してはばからぬ男が、ピアノを弾きはじめた。ピアノにもたれた早苗は、そのやわらかい音色にのせて語りはじめた。彼女の芸は、語りと歌が渾然ととけあっているところにあった。語りからいつの間にか歌になり、歌がいつの間にかお喋りになっていく。そのあたりのうまさは、さすがにシャンソンを四十年歌ってきた年輪というものを感じさせ、なかなかきかせるのだ。
「……ありがとう、ありがとう。今夜はのっているのよ。熱唱というところだけど、拍手が足りないわね。いいわよ、いいわよ。いまごろ手を叩くなんて、気の抜けたビールじゃないの。ねえ、そこのあんた。そう、そこのあんたよ。なんという顔しているのよ。どうでもいいことだけど、なんとかならないの、その顔。社会党みたいな顔をしてさ。いまだにマルクスと喧嘩しているみたいじゃないの。そうよ。そんなにきれいに、笑えるじゃないの。だめよ、ここにいるときぐらい、笑わなきゃあ。
 心から笑えるところって、この世にあると思うの。人間と人間は裏切りでつながっているんだから。人間は裏切らなきゃあ、生きていけないからよ。若い頃はまだそのことがわからない。でもあんたたちだって、ひとつ年をとるたびに、裏切りの枯葉が一枚ずつみえてくる。枯葉が一枚、また一枚と落ちるたびに、心がさびしくふるえる。
 人生の秋。悲しみの秋。残酷な秋。あんたが三十になったとき、ようやくみえる裏切りの枯葉。あんたが四十のとき、うず高く積もった裏切りの枯葉のなかに立っている。おお、なんと多くの人を、裏切ってきたのだろうか。人生とは、裏切りの枯葉を積み上げることなのか」
 そうして歌いはじめるのだ。
 
 あなたを裏切って
 はじめてあなたがみえた
 暗い裏通りに
 舞い落ちる裏切りの枯葉
 あなたの手が、あなたの微笑が
 もう帰らない、もう帰れない
 悲しみの白い風が
 私の心を吹き抜ける
 
 その詩は早苗が書いたものだか、どうもあのシャンソンの名曲「枯葉」の換骨奪胎という趣であり、彼女のツバメに作曲させたそのメロディもどことなく似ていた。
「目をつぶって」
 とぼくは言った。
「どうして?」
「いいから、目をつぶって」
 瞼を開くと、宏子の目には、涙がゆらゆらとゆれていた。うれしいわ、ありがとうという声が泣いていた。
「君はもうぼくのものだ」
「そうよ、あなたのものだわ」
「君はぼくのために生れてきたんだ」
「そんな女になりたいわ」
「出よう。歩きたいんだ」
  その夜は、ぼくは宏子のマンションにいくことになっていた。ぼくのアパートと彼女のマンションを、交互に泊まることになっていたのだ。先週の週末は大倉山で過ごした。だから今週は横浜だった。石川町で電車を降りると、丘の上まで歩いていく。静寂につつまれた通りを、手を繋いで愛の巣にむかうのだ。
「あの人、ちょっとがっかりしているかもしれないわね」
 と彼女は言った。彼女はすっかり早苗ファンになってしまった。
「あのばあさんのところにいったら、君はほんとうに口説かれてしまうぞ」
「なあに、それ?」
「あのばあさんは、両党づかいかもしれないんだ」
「それ、なんこと?」
「あのばあさん、君をベッドに連れていっちまうってことだよ」
「あなた、本気でそんなこと考えているわけ」
「時々苦しくてたまらなくなるんだ。君がいってしまうなんて恐ろしいことだ。なにもかも終わってしまうんじゃないかって」
 ぼくが宏子に惹かれたのは、彼女がこの地上に一人で立ちたいと戦っている女であったからかもしれない。そんな宏子のなかに、光りとなって入っていきたいと思ったものだ。ぼくは彼女を家庭に閉じこめやしない。結婚という鎖で彼女の戦いを縛りやしない。彼女が地上に立つために、力のシャワーとなって降り注ぎたいのだ。それなのに、来月ロンドンにいってしまう。いったいぼくは、どこにシャワーを注げばいいのだろうか。
「はじめて会ったとき、君はボクシングの話をしたんだ。リングにあがったら戦うだけだって」
「覚えているわ」
「そのとき、おかしなことを言う女だなと思ったんだ。女学生の論文なんて、たいてい糊と挟みなんだ。よくできたって、せいぜい作文に毛のはえたものさ」
「まあ、そんなものね」
「だから、そんなものを書くために、なぜ倒すか倒されるかのボクシングなんだろうって思ったんだ。しかしあの中世の秋を読んでわかってきたよ。倒すか倒されるかってことの意味が」
「私が書いているものだって作文程度のものね。でも自分の音楽を書きたいということがあるのよ」
「中世の秋のような傑作は、生涯に一つしか生れないと思うんだ」
「その通りね」
「だったら、なぜそんなにあせるんだ。ホイジンガ先生だって、十年もかけているんだ。しかも長い学者生活のなかで、もっとも力の充実した四十代に書いている。君も急ぐことはないんだ。いま君がしなければならないことは、いつの日にか、君が書き上げる、中世の秋のために力をたくわえることじゃないのかな」
「無理なことしているのは、わかっているわ」
「走ってはいけないんだ。大きな仕事って、ゆっくりと歩いていくべきだよ」
 そして、それが、ぼくの結論であるかのように、
「だから、いま慌てて、イギリスなんかにいくべじゃないよ。いま君がすべきことは、大学に残ることなんだ」
  元町の商店街を左に折れて、閑静な坂道をあがり、外人墓地の前を通っていく。ぼくはこの通りがすっかり好きになった。異国の墓石が海を眺めるように立ち並んでいる。夜の海には、光りがきらきらとまたたいているのだ。
「大学にいっているのは、学者になるためではないのよ。そんなことじゃないわけよ。これだけはやってしまわなければならないってことがあるでしょう。これだけを片付けてしまわなければ、一歩も前に進めないってことが」
「それはあるさ」
「なにかに、いつも怯えている、とても嫌な女なのよ。だからいまの私を、脱ぎ捨ててしまいたいってことがあるわけ」
「ぼくはいまの君が好きだ」
「一生懸命、あなたをだましているのかもしれないわよ」
「それでもいまの君が好きだよ」
「だましてても、いいわけ」
「君はだましてなんかいないよ」
「そうよ。だましてなんかいないわ」
「だから、イギリスにいってしまうわけかな」
「それを書かなければ、永久に書けないってことがあると思うわ」
「それはあるさ」
「それを書いてしまったら、ちょっと勇気がでてきて、学者にだって教授にだって、なってやろうかって思うかもしれないわ。そんなふうになったら、きっと誰かさんのように、雨のなかを歩いていけるのよ」
 まるで子供が、必死になって、なにかを訴っているかのようだった。しかしぼくは譲れないのだ。それは譲ってはならないことだった。それを譲れば、ぼくたちの愛は終わってしまうのだ。
「君がすべきことは、ぼくにむかって歩いてくることだよ」
「私はいま一生懸命、あなたにむかって歩いているのよ」
「イギリスにいくことが、ぼくにむかって歩いていることなのか」
「そうよ。あなたにむかって歩いていくために、イギリスにいくのよ」
 なんという詭弁だ。なんという奇妙なこじつけだろう。
「君がもどってきたとき、ぼくはもういないかしれない」
「それは仕方がないことだわ」
「どうして仕方がないんだ?」
「仕方がないでしょう。私が逃げ出してしまったんだから」
「君はぼくから逃げるわけ」
「そうじゃないわ。でもあなたには、そうみえるんでしょう」
「そうみえるよ」
「そうなんだわ。誰がみたってそうみえるのよ。だからあなたがいなくなったって、仕方がないんだわ」
「なぜそんなにあっさりと、仕方がないんだなんて言うんだ。いつも君は、書き損じた紙を、くしゃやくしゃにまるめて、ぽいと屑箱に投げ捨てるみたいな言い方をするんだ」
 オートバイが、剃刀で切り裂くような音をけたてて、走り去っていった。ぼくはいらいらしていた。なにひとつうまく運ばない。ふつふつと怒りがぼくのなかでたぎっていた。彼女を打ち砕くどころか、彼女はその芯をいよいよ固くしていくだけなのだ。
 公園に突き当たった。木立ちが、黒い森となって、闇のかたまりをつくっていた。彼女のマンションまであとわずかだった。
「ちょうど、三十のときだったらしいのよ」
 と彼女がふと言った。
「なにが三十のときなんだ」
「父が大学を去って、ヨーロッパに渡ったときが。どうしてだか、わかる?」
「君のお母さんを略奪したからだろう」
「そのこともあるけど、もっと大きな理由は、最初の大発作がおこったのよ」
「大発作って」
「癲癇の大発作が。それも講義をしている真っ最中におこったの」
「うん。それは前にもきいたよ」
「父の父が、やっぱり三十のとき、分裂病に襲われて、廃人になってしまったの。私の家系って、とても濃い精神病の血が流れているのよ」
 彼女がいつか漏らした黒い血とは、このことなのだ。そのことをぼくはもう知っていたが、宏子ははじめて明かすように話すのだ。
「ずうっと私の寿命は、三十までだって思っていたのよ。三十までで、私は終わりだって。そんなふうに生きてきたのよ」
「どうして三十までにしてしまうんだ。おかしいよ」
「そうよ。とてもおかしいことだって、自分でも思うわよ。それこそ精神病者特有の妄想だって」
「そうさ、なんの根拠もないことだと思わないか」
「そうかもしれないわ。でもわかるのよ。きっと三十になったら、父や祖父がそうであったように、崩壊の日がくるってことが」
「田島修造は、三十で崩壊しなかったじゃないか」
「父って、とても強い精神力をもっていた人なの。それに母がいたわ。母が彼をささえていたわけ。だから強くなれたんだわ。私には父のような強さがないのよ。だからいつもこう思っていたの。崩壊がおそってくる前に、まだ力が残っているうちに、自分で自分のピリオドを打とうって」
「なぜピリオドなんだ」
「結局、父だって、自分でピリオドを打ったのよ。冬の海で」
 もうそこが彼女のマンションだった。
 その部屋は、あきれるばかりの広さだった。玄関のフロアーだけでもうすでに、ぼくの大倉山のアパートの二部屋分だった。広い廊下の両側に二部屋ずつあり、突き当たりが居間になっていたが、その居間だけで二十畳ばかりあるのだろうか。この部屋に入ると、いかにぼくが社会の底辺で生活しているかということがわかる。しかし宏子は、ぼくのあの鼠小屋のような部屋のほうが好きだと言うのだ。なんだかお嬢様が、下々の生活を面白半分に体験しているといった感じだった。
 ぼくたちは待ちきれないようにキスをかわした。一週間分のキスだった。ぼくたちの一週間は、このときのために回転しているのだ。激しい口づけは、舌を熱くからませる。彼女の冷たい耳架をかみ、うなじに唇に這わせ、やわらかい喉を舐めいく。苦しいばかりの官能のなかで、彼女の衣服を、一枚また一枚と脱がし、彼女の体をテーブルの上にのせると、ストッキングを、炎に焦がれるように剥がしていく。
 ぼくの唇も、ぼくの手も、彼女をたしかめようと、彼女を屈服させようと、せわしく苦しげに、その白い裸体のどこにでも這わせていく。彼女もまたあえぐように、ぼくの体に手をまきつけてくるのだ。
 ぼくたちは、ころげ落ちるように、居間のふさふさとした絨毯の上に移った。上になり、下になり、からみあって性をかきたてて、転がっていった。ワイシャッのボタンを、一つ一つはずされていく。ズボンのベルトをほどかれ、ジッパーをさげられた。半身を起こした彼女は、ぼくのズボンを脱がしにかかる。ぼくは腰を浮かして、抜がしやすいようにした。ぼくは彼女の前にすべてをさらしていた。彼女の手が、ぼくの茂みのなかに、苦しそうに這い進んでくる。そして、そそりたっている、ぼくのものをつかんだ。
 ぼくは溶けていく。戦いの矢は折られていく。彼女を征服したいというぼくの性は、官能のなかに溶けていく。こうしてぼくは敗れていくのだろうか。
 宏子の日々の生活は、質素でむしろ禁欲的だった。でたらめな生活をしているぼくからみたら、なにやら修道院の尼僧のような生活なのだ。大学院の研究室に通った日でも、毎日七時間も八時間もタイプにむきあっている。自分のなかに孕ませている、大いなるものと戦っているからだった。その大いなるものと戦うためには、質素で禁欲的な生活をしなければならないのだ。彼女はあるときこんなことを言った。
「日本って、すべてが縦に流れる社会でしょう」
「なるほど、日本語って、縦に流れるな」
「この縦の社会のなかで、横に流れていくものを書くって、とてもつらいの」
「だからロンドンなのか。ロンドン、ロンドンなんだ」
 とぼくは毒づいたものだ。しかしそのことも、だんだんわかっていくようになった。宏子は英語によって育ってきたのだ。彼女の母なる言語は英語なのだ。彼女にとって論文を英語で書くのは当然のことだった。ましてそのテーマがヨーロッパのことならば、かの地に身を置く方がいいにきまっている。その空気、その景色、その過去から流れてくる時間のなかに、身を置くことによって、イメージは一段と深く厚くなる。
 ぼくはまた精神病の本にあたったり、その方面に明るい人間にたずねてみたりもした。分裂病が遺伝するということは、もう一世紀も前に放逐された根拠のない俗説だと説明する人間がいたかと思うと、反対にそれは強く遣伝するものだと指摘する医者がいたりして、そのことはさっぱり要領をえなかった。
 しかし宏子のなかに、そのことがどんなに濃い影を落しているかということが、ぼくにもだんだんわかっていった。彼女はしのびよるその影に、おびえているのだ。あるいはその影と戦っているのだ。
 彼女の指にリングをはめ、その堅い芯を打ち砕こうとしていたぼくの野望は、そんな宏子を知っていくと、次第にあきらめが広がっていくのだった。いや、それはあきらめではなく、宏子という女を愛するとは、そういうことではないのかと思いはじめていたのだ。むしろぼくは、自分こそ打ち砕くべきではないのかと。ロンドンといったって飛行機でひとっ飛びなのだった。またどこかスポンサーでもつけて、ロンドン取材の企画を組み立てればいいのだし、あるいはボーナスを全額つぎこみ、長期の休暇をとって、ロンドンに渡ればいいことなのだ。
  その週があけた月曜日の夕方、都会生活社に戻ってくると、玄関でばったりと瀧口に会った。
「おい、実藤君。元気でやっているか」
「ええ、まあ、元気です」
「どうだね、久しぶりに一杯やるか」
「いいですね」
「じやあ、例のところにいるからやってきなさい」
 瀧口茂雄は社長の大竹と都会生活社を支えている二つの鉄骨なのに、いまだに編集長とよばれるのは、『都会生活』の創刊から二十年も編集長として一線に立っていたその名残りからだった。副社長というよりも編集長という名が彼にはふさわしいのだ。
 彼が一線に立っていたころは、よくぼくたちを夜の酒場に連れ出した。飲むほどに酔うほどに、瀧口は饒舌になり、狙上にのせる話題も古今東西に及んでつきることがなかった。その談論風発はなかなか含蓄に富んでいて、ぼくたちの無知をいたく啓蒙するものだから、瀧口と飲む夜の酒場を瀧口学校とよんだものだ。三年前に『都会生活』の編集から足を洗って、社の仕事に専念するようになってからも、酒場での瀧口学校は続いていたのだが、会社の雲行きが怪しくなるにつれて次第に間遠になっていって、いまではまったく瀧口と飲むことがなくなっていた。
 その夜早々に仕事を切り上げたぼくは、令子や野口や岡嶋や森本をさそって新宿にある居酒屋《烏》にでかけた。おかみと大声で談笑していた瀧口のまわりにぼくたちは座り込むと、ほとんど同時に令子や野口が、
「編集長、都会生活社はどうなるんですか」
 とたずねた。
「おいおい、なんだいカラスの合唱みたいに」
「寄るとさわると、この話なんですよ」
「なにも心配することはないさ」
「なにやらおかしな噂が乱れ飛んでいるんですがね」
 買収されるとか、社員の半分は削減されるとか、とぼくたちは口々にその不安を訴えるのだった。
「コミック雑誌で這い上がってきた会社に、身売りするなんていう噂もありますけど、ヘんなことをしてもらいたくないですね」
 と森本が言うと、
「ぼくらだって戦うときには戦いますよ。ぼくらの力が必要なときにはいつでも言って下さい」
 と野口もまた言った。
「涙がでるようなことを言ってくれるねえ」
「しかしいまの会社のやり方は、間違ってますよ」
「なんにも情報を流してくれないんですからね」
「なぜもっとぼくらに、きちんとした情報を流してくれないんですか」
「そうですよ。なんだかやり方が陰険ですよ」
 とぼくたちは口々に言うと、
「うれしがらせたり、吊し上げたりで、忙しいことだな」
 瀧口はからからと笑った。
「社長はずいぶん痩せましたね」
「そうさ。大竹も、まさかこんなことになるとは、思わなかっただろうよ。もっと早ければ、もっと違った手が打てるわけだがね」
「くやしいですね。志の高い本が売れないというこの社会はどこかまちがっているんですよ」
「いまは安っぽい低俗なものしか売れない時代なんだな。こういう時代に負けたということですかね」
「言いたいことはいっぱいある。しかしいまはなにを言っても、負け惜しみになるから、なにも言わないさ。ただ黙って耐えるしかないというところだねえ。なるようにしかならないんだ。しかしね、そのなるようにしかならないという選択のなかに、ぼくたちはいつでも君たちがどうなるかということを一番最初においてある。会社ではなく、君たちをどうするかだよ。君たちを路頭にほうりだすわけにはいかないだろう。君たちが生き残る道しか、ぼくも大竹も選ばないよ」
 ぼくたちは、もうその話はしなかった。それがいま修羅場に立っている、瀧口にたいする、ぼくたちのやさしさだった。
 瀧口の話は、文壇の論争史といったものに転じていった。彼の博識はちょっと怪しげでもあったから、エセアカデミストなどという陰口もたたかれたりしたが、しかしかなり以前から彼の郷里である仙台の女子大の講師として、週に一度教壇に立っているぐらいだから、彼の博覧強記にはなかなか説得力があるのだ。ぼくはずいぶんこの学校で、いろんなことを学んだ。
「久しぶりだな。こういう美味い酒は」
 と瀧口は楽しそうに言った。
「瀧口学校を閉鎖しちゃだめだということですよ」
「そういうことだね」
「ぼくらと飲むことを止めたから、会社は傾きだしたんじゃないんですか」
「言えてるかもしれんねえ」            
 そのときぼくは、ふと瀧口にたずねてみた。
「瀧口さんは、田島修造という人を知りませんか」
「田島修造?」
 瀧口は、おやといった表情をして、たずね返してきた。
「ええ、田島修造です。ちょうど瀧口さんと同じ年代だし、大学も同じなんですよ」
「君がなぜ田島を知っているんだ?」
「じゃあ、ご存知なんですか」
 ぼくはびっくりして訊いた。
「知ってるも知ってないもないさ。あいつの葬式で、ぼくが弔辞を読んだぐらいだからな」
 ぼくは驚きで声もでなかった。なんということなのだろう。世界は狭いということなのだろうか。
「そういう実藤君は、またなぜ田島修造を知っているんだ?」
「ええ、まあ、ちょっと」
 そのとき、すべてを彼に告白したい衝動にかられた。宏子のことを。その出会いの一切を。そしてぼくたちが愛しあっていることを。しかし隠す理由などなにもないのに、あいまいに濁してしまった。するとなんだか、瀧口は、そんなぼくを見抜いたように、
「そういえば、彼にはお嬢さんがいたな。美しいお嬢さんだった。あのお嬢さんは、いまどうしているのだろうか」
 そのときぼくは、なんだかあわてて、そのところはわきに置いておいてと言うように、
「なんでも田島修造という人物は、コロンブスを追いかけて、ヨーロッパを転々としたらしいですね。そのコロンブスに関する膨大なノオトが残っているという噂ですけど」
「そうなんだ。二十年にわたる放浪の旅を終えて、ヨーロッパから日本に帰ってきたのは、その膨大な研究を本にするためだったんだよ。ああいう男を、天才と呼ぶんだろうねえ」
 ああ、瀧口修造ね、瀧口修造という人物がいたんだよな、おれの人生にああいう人間もよぎっていったんだなあと、なにかその視線をはるか遠くにむけて、彼の青春時代を語りだした。
「あいつの卒業論文というのが、また見事なものだったんだよ。あまりに見事なもんで本になった。西洋で生まれたルネサンスという概念が、いかにまやかしに満ちたものかを、あばきだしているんだ。あちこちでずいぶん評判になって、田島は日本のニーチェだといわれたぐらいだ。大学に残った彼は、たちまち頭角をあらわしてね。次々に衝撃的な論文を発表して、その世界ではちょっとしたスター的存在になっていた。わずか二十七のときに、助教授の椅子についたが、一つの大きな才能が、彗星のように出現したという印象を世にあたえたものだったね。
 ところが彼が三十のとき他人の奥さんを奪いとって、かけおち同然で日本から脱出していくんだ。こともあろうに他人の奥さんというのが、田島をかわいがって引き立ててきた彼の恩師の奥さんだったもんだから、あちこちの雑誌におもしろおかしく書き立てられて、それはちょっとしたスキャンダルといったものになったね。そういう世俗的騒動にうんざりしたんだろうな。突然、日本から、二人は消えてしまった。
 田島が日本にもどってきたとき、ぼくたちは実に二十年ぶりに旧交をあたためたというわけだよ。実に渋い英国風の紳士になっていてね。そのとき田島の口から、はじめてコロンブス論なるものをきくんだ。一年に一冊程度のペースで、十年かけて、十冊のコロンブス論を世に出したいってね。ぼくはすぐに言ったよ。その本、うちで出させてくれってね。彼の本がどんなものになるかわかっているんだ。ちょっとしたブームといったものを、巻き起こすことは目にみえていたからね。よそにとられたくなかったから、契約書まで交わしたほどだった。
 ところが一年たっても、その原稿が上がらない。二年たっても仕上がらない。そのうちに奥さんを失い、そのあとを追いかけるように、田島も茅ケ崎の海岸に消えてしまった。さぞ無念だったろうね。その膨大な研究が、それこそ田島の生命を注ぎこんだものが、木屑となって消えていくわけだからね。だからぼくは、彼がなくなった後も、何度か横浜の山手町にある田島の家に足を運んで、その膨大なノオトの山をあたりながら、一冊でもいいから本にしようとしたんだ。しかし結局だめだったね。とにかくすべて横文字だったからね」
 ぼくは不思議で仕方がなかった。こんな間近に田島修造の友人がいるとは。しかもこの友人とは、ぼくが人生の師とも仰ぐ人だったのだ。宏子とぼくは、もともと結ばれる運命にあったのかもしれない。そうだ、これはまちがいなく、運命の糸で最初から結ばれていたのだとぼくは思うのだった。


 
 
 
 

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