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高尾五郎  人はその人自身の器に応じた人と巡りあう

巡りあう森の絵本美術館

 人は多くの人と出会うが、人と巡り合うことはまれである。そして人はその人自身の器に応じた人としか巡り合うことはない。巡り合いとは天が仕掛けるものではないかと思われるばかりだ。

 酒井さんが安曇野の森に「絵本美術館」を打ち立ててすでに十五年。この森の美術館で酒井さんは、多くの芸術家たちと巡り合った。それはまさしく巡り合いだったのであり、だからこそその人々と刺激的で創造的なイベントを組み立てることができたのである。最近ではいせひでこさんのベストセラー絵本「ルリユールおじさん」の原画の展覧会を、パリの画廊と同時開催という快挙もなしとげたりしている。酒井さんには書くべきことがたくさんあるのだ。巡り合った芸術家たちとの交流、そして芸術の波を起こさんと企てたさまざまなプロジェクトのことを豊かな筆力で描くとき、その本は新しい芸術の胎動を描いた《シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店》のような豊穣な香りが匂いたつ本になるだろう。

 それは一九一九年のことだった。アメリカの若い女性が、パリの裏通りに《シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店》と名づけた小さな書店を開業した。小さな書店だったが、そこにジョイスとか、ヘミングウェイとか、T・S・エリオットとか、ジイドとか、ヴァレリーとか、今日名を残しているきら星のような作家たちがたむろし、新しい文学運動の拠点になっていく。あの名高きジョイスの「ユリシーズ」などはこの書店から生まれたのである。この書店主がシルヴィア・ビーチという女性で、彼女はやがて大作家たちになっていった作家たちとの交流を描いた本を出版する。それが《シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店》という本で、いまではこの本は「ユリシーズ」とともに歴史に残る名著になっている。

 安曇野の森で酒井さんに会うたびに、この美術館から絵本作家を生みだして下さい、たった一人でいい、歴史に残る絵本作家がこの美術館から生まれたら、この美術館は歴史とともに成長していきますと言ったものだが、しかしすでにこの美術館はそんな人物を生み出していたのだ。酒井倫子さんその人である。

 かつて「草の葉」で酒井さんは、自伝を刻む込むことに立ち向かおうとしたことがあった。「草の葉」の力が未熟なために、その企みは立ち消えになってしまったが、そのとき書かれた文章をあらためて読むとき、その文章に力があり、魅力にあふれ、人生の謎に深く降り立っていこうとする気配がある。すぐれた自伝とは人生の謎を暴くことなのだ。なぜ宮沢賢治がかくも酒井さんの心をとらえたのか、なぜ森の中に絵本美術館を建てるという夢に人生を縫い合わせなければならなかったのか、それらの謎の核心へと読者を誘い込んでいく。筆力十分である。この自伝をぜひ最後まで書ききってほしいと願うと同時に、冒頭に記した森の中で巡りあった芸術家たちとの交流をその豊かな筆致で描いてほしいと望むのだ。

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