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私たちの町に本屋をつくろう 4    中山末喜

 これと同時に、一九二二年、『ユリシーズ』の出版を通して彼女がジョイスとの関係を深めたことは、当時、彼女の祖国の「お上品な伝統」に反抗して、ヨーロッパでの芸術的、生活的修業に憧れ、パリに流れ込んできたアメリカの若い作家や詩人たちを彼女の書店に惹きつけることにもなった。こうして、彼女の書店が、フランスやアメリカの作家や詩人たち、あるいはジョイスなどが互いに接触し合う場を提供することになったことは文学的にみて極めて興味深いことであり、殊にアメリカの作家たちにとっては、極めて貴重な体験を得る場になったことと思われる。

 いまさら詳しく紹介するまでもなく、今世紀の始めのヨーロッパでは、象徴主義運動や印象主義運動の後をうけ、芸術や文学の分野で実にさまざまな実験的運動が起りつつあり、世界の注目を集めていた。こうした実験的運動に参加しようとする芸術家や作家たちの多くは、パリを目指して集まってきた。第一次世界大戦の前後にこうした運動はひとつの頂点に達し、ヨーロッパには新しい審美主義が確立し、それぞれの分野に巨匠が生れた。この芸術の巨匠の一人がジョイスであった。

 そして、アメリカの文学に限って言えば、ジョイスから受けた影響をはっきりと自認しているドス・パソスやトーマス・ウルフを持ち出すまでもなく、「失われた世代」以後の作家たちが、ジョイスに示した関心の大きさを考えると、ビーチが、彼女の祖国アメリカからの「亡命者たち」(Exiles)をジョイスに引き合わせたことは極めて意義深い、文学史には綴られない重要な文学的行為であったと言うことができる。

 二〇年代のアメリカの若い作家たちが、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店をひとつの窓口としてパリで得た芸術的、生活的体験は、ヨーロッパ文学に対する彼らの劣等感を克服して行く上でも貴重な羅験になった筈である。その彼らの芸術的、生活的修業の裏方をつとめたのがシルヴィア・ビーチであり、この彼女の功績は決して忘れてはならないと考える。また、彼女が、書店のなかに設けた彼女の貸し出し文庫を通じて、アメリカ文学を、自国の文学的伝統に誇り高いフランス人たちに紹介した目にみえない功績も忘れてはならないだろう。

 控え目なビーチとしては珍しく、一九二七年五月、ソルボンヌ放送を通して。彼女の書店が、フランスとアメリカの友情の絆として役立つことを訴えている。おそらく、この時期は彼女が最高の幸せを味わっていた時期であり、無口な彼女の口もとが自然にほころんで、つい講演をしてしまったのかもしれない。




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