見出し画像

あのときの王子くん from21to27 

あのときの王子くん
LE PETIT PRINCE
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery
大久保ゆう訳

あのときの王子くんについて  大久保ゆう


 5 脱・内藤濯訳
この訳は、さまざまな点で、すでにある内藤濯氏の訳から抜け出ることを試みています。私は、この作品がファンタジーであるとは思いませんし、また『星の王子さま』という題名を冠されるような作品であるとは考えていません。新訳である以上は、前のものに追従するのではなく、それを壊し、乗り越えることを考えねばなりません。

そのため、この翻訳の訳文には、内藤[訳]のファンの方々には、我慢ならないような点がいくつもあるかもしれません。たとえば、キツネが教えてくれる秘密がそうです。この翻訳では、次のような訳文になっています。
 
「おいらのひみつだけど、すっごくかんたんなことなんだ。心でなくちゃ、よく見えない。もののなかみは、目では見えない、ってこと。」

内藤[訳]でこの部分は「かんじんなことは、目に見えない」となっています。もしくはのちの方に出てくる「たいせつなことは、目に見えない」で覚えておられる方もおられるかもしれません。ここは原文では〈本質的なもの〉を意味する "l'essential" が取られています。単純に訳すのであれば、〈本質、もと、たま、核、芯〉などの訳語が考えられますが、あえて日本語で〈実質〉という意味も持つ〈なかみ〉という和語を取りました。
 
ここは〈たいせつ〉よりは〈かんじん〉の方が優れていると思いますが、いかんせん言葉が古く、〈そのものの存在にかかわる本質的なこと〉という意味が伝わらないように思います。それに、〈本質が目に見えない〉というのは、キツネが言うように、本当に簡単で当たり前のことです。しかし、〈大切なことは目に見えない〉というのは、果たして当たり前のことなのかどうか、ちょっと疑問です。 
 
それ以外にも、この作品にとって重要な言葉は、できるだけ和語にして、原意が伝わるように心がけたつもりです。また、何度も何度も繰り返される言葉についても、できるだけ同じ訳語になるよう、統一したつもりです。 そういった徹底は、全体に渡って、原文で "petit prince" と呼ばれた部分にしか〈王子〉というフレーズを使わない、というところにも現れています。

ずっと〈王子〉と呼ぶのは、いささか童話的にすぎるのではないか、と私は思います。少なくとも、少年本人が自分が王子であると名乗ったわけではないし、操縦士は会話文で一度も「王子くん」と言いません。少なくとも地の文の最初のうちは、〈ぼく〉が気分を害したような、少年に対してむかつきを覚えるような文脈で使われることがほとんどです。 
 
この王子くんに少し気に入らないものを感じていた操縦士が、だんだん彼に心を開いていくのだとすれば、この〈王子〉という言葉が限定的に使われるのを、翻訳で消してしまうことがいいことだとは思えません。 最初からいきなり〈王子さま〉という、なんだかキラキラした登場人物が現れたのではないのです。なんだか不思議な子どもがひとり現れて、むかついたり、同情したり、いろいろな心の変化があって、そしてクライマックスへと向かいます。心の細やかな変化を無視して、童話風に『星の王子さま』という固有名を与えることが、また地の文でも一貫してその名で呼び続けることが果たして最善なのかどうか、疑問に思わざるを得ません。
 
一方で、"Le Petit Prince" を『星の王子さま』でなく、『小さな王子』のような題名にすることも、あまりいいように思えません。概して、多く出た新訳群は、どうも冠詞や代名詞に対して配慮されていないようなふしがあります。もし "Le Petit Prince" の直訳が『小さな王子』というのであれば、冠詞の "le" はどこへ行ったのでしょう。それを直訳する必要はないのでしょうか? それとも、その冠詞は不定冠詞でも、定冠詞でも、どちらでも構わないというのでしょうか?

もしこの作品が童話であり、どの登場人物も、彼は "le petit prince" なる人物であるという統一的な態度を取っているのであれば、話は違います。個人の体験や感覚を超越して、様々な人によって語られる童話的世界では、それぞれの登場人物は語り手や聞き手に関係なく、固有のものとなり、ただそこに登場するだけで唯一である資格を得て、定冠詞を有することができます。

しかし、実際この作品で "petit prince" に付くのは定冠詞のときもあれば、不定冠詞になることもあり、また無冠詞にもなります。そして何よりも大事なのは、この作品が操縦士という一人称の語り手による、追憶の物語であるということです。これは、誰によって語られてもいい童話なのではなく、あるひとりの語り手による告白なのです。

さらに、定冠詞と不定冠詞のあり方は、この話のテーマに通ずるものがあります。不定冠詞がつく場合というのは、そのものが世の中にたくさんあって、そのどれでもいいからひとつを取り出したいときです。そのひとつは、ほかのたくさんと何の変わりもありません。キツネの言葉を借りれば、"un renard" といったときのキツネは、「ほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもない」わけで、どれでもいいのです。

ありふれており、そして特定されていないものに対して、不定冠詞が使われるわけです。しかし、語り手とそのキツネが何らかの関わりがある場合、あるいは語り手と聞き手の間で、そのキツネと何からの関わりがあって、キツネが特別な一匹の個体として認識できるとき、そのキツネは定冠詞を持った "le renard" となります。

それは、"le petit prince" の場合でも同じことです。〈ちいさな王子〉なんていう存在は、世界には五万と存在するかもしれません。いくらでも存在の可能性がありますし、そのなかのどの王子でもいいのであれば、"un petit prince" で構わないでしょう。また、誰にとっても同じひとつの王子が存在するのであれば、最初から最後までずっと "le petit prince" でいいわけです。

〈星の王子さま〉と呼ぶときも、その王子が星にいることがその存在根拠のようであり、誰と接しようが誰と出会おうがどうでもよくなります。ただ王子が星にいるという理由だけで、〈星の王子さま〉という唯一の存在が識別・認識できるからです。しかしこの作品を読めば、少年がそのような存在でないことは明らかです。

この "petit prince" に定冠詞がつくだけの関係が、操縦士と少年の間にあります。少年が星にいたから、操縦士にとって大事になったわけではありません。6年前、あるひとりの小さな王子が操縦士の前に現れ、その少年と操縦士はしばらく時をともに過ごします。つまり、操縦士は少年のために時間をなくすのです。そして、ふたりは絆を作ります。だからこそ、6年後の操縦士は、その少年に定冠詞を付けることができますし、付けなければなりません。

語り手が、その少年と出会った時が過去に存在し、そのために "le" をつける。フランス語の話者には、その冠詞が当然のことであっても、日本語の話者にとっては違います。もし〈星の王子さま〉と訳したとき、その含意は、すっかり抜け落ちてしまうことになります。

語り手にとって、〈星の王子さま〉だから大切なのでなく、6年前のサハラ砂漠に下りたとき、〈あのとき〉に出会って一緒に過ごしたからこそ、少年はかけがえのない存在なのです。そのほかのどのときに出会えたかもしれない王子くんではなく、〈あのとき〉の王子くんが大事なのです。だから童話のように超越した時間を話すのではなく、追憶の話として、個人的な体験の話として語られます。

そして、語り手から〈あのとき〉が語られると同時に、読み手はそれを追体験し、操縦士と同じようにその少年と関わりを持ちます。本を読む行為によって時間をなくし、そのために少年が大切なものとなることもあるでしょう。そして、王子くんというのは、ほかの誰が読んだときでもなく、自分がこの本を読んだ〈あのとき〉の王子くんとなるはずです。

このように作品の根幹に関わってくる "le" という定冠詞を、訳題から落とすというのは、翻訳者としてどうしてもできません。ましてや、内藤氏の訳業に挑戦するのであれば、なおさらです。

内藤濯氏のご子息である内藤初穂氏は、このように語られています。
「せっかく新訳されるのですから、新しいタイトルを工夫してほしい。「新しき葡萄酒は新しき革袋へ」です。」

新訳ラッシュの前、各出版社に対して、内藤濯氏の創り出した〈星の王子さま〉というタイトルを使わないでほしいと主張されました。しかし結局、本のタイトルには著作権が発生しないということで、使うなら〈内藤濯の創案〉であることを附記してほしいというアナウンスにとどまることになります。

この翻訳では、内藤濯氏に敬意を持って挑戦するという意味でも、〈星の王子さま〉というタイトルをあえて使いません。そしてもし商業的理由によって、様々な翻訳が『星の王子さま』というタイトルに制約されるのであれば、翻訳の自由もおびやかされているのかもしれません。新しくかつ自由な "Le Petit Prince" を世に出すためにも、直訳の「あのときの王子くん」というタイトルを用いる次第です。

21


 キツネが出てきたのは、そのときだった。
「こんにちは。」とキツネがいった。
「こんにちは。」と王子くんはていねいにへんじをして、ふりかえったけど、なんにもいなかった。
「ここだよ。」と、こえがきこえる。「リンゴの木の下……」


「きみ、だれ?」と王子くんはいった。「とってもかわいいね……」
「おいら、キツネ。」とキツネはこたえた。
「こっちにきて、いっしょにあそぼうよ。」と王子くんがさそった。「ぼく、ひどくせつないんだ……」
「いっしょにはあそべない。」とキツネはいった。「おいら、きみになつけられてないもん。」
「あ! ごめん。」と王子くんはいった。
 でも、じっくりかんがえてみて、こうつけくわえた。
「〈なつける〉って、どういうこと?」
「このあたりのひとじゃないね。」とキツネがいった。「なにかさがしてるの?」
「ひとをさがしてる。」と王子くんはいった。「〈なつける〉って、どういうこと?」
「ひと。」とキツネがいった。「あいつら、てっぽうをもって、かりをする。いいめいわくだよ! ニワトリもかってるけど、それだけがあいつらのとりえなんだ。ニワトリはさがしてる?」
「ううん。」と王子くんはいった。「友だちをさがしてる。〈なつける〉って、どういうこと?」
「もうだれもわすれちゃったけど、」とキツネはいう。「〈きずなをつくる〉ってことだよ……」
「きずなをつくる?」
「そうなんだ。」とキツネはいう。「おいらにしてみりゃ、きみはほかのおとこの子10まんにんと、なんのかわりもない。きみがいなきゃダメだってこともない。きみだって、おいらがいなきゃダメだってことも、たぶんない。きみにしてみりゃ、おいらはほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもないから。でも、きみがおいらをなつけたら、おいらたちはおたがい、あいてにいてほしい、っておもうようになる。きみは、おいらにとって、せかいにひとりだけになる。おいらも、きみにとって、せかいで1ぴきだけになる……」
「わかってきた。」と王子くんはいった。「いちりんの花があるんだけど……あの子は、ぼくをなつけたんだとおもう……」
「かもね。」とキツネはいった。「ちきゅうじゃ、どんなことだっておこるから……」
「えっ! ちきゅうの話じゃないよ。」と王子くんはいった。
 キツネはとってもふしぎがった。
「ちがう星の話?」
「うん。」


「その星、かりうどはいる?」
「いない。」
「いいねえ! ニワトリは?」
「いない。」
「そううまくはいかないか。」とキツネはためいきをついた。
 さて、キツネはもとの話にもどって、
「おいらのまいにち、いつもおなじことのくりかえし。おいらはニワトリをおいかけ、ひとはおいらをおいかける。ニワトリはどれもみんなおんなじだし、ひとだってだれもみんなおんなじ。だから、おいら、ちょっとうんざりしてる。でも、きみがおいらをなつけるんなら、おいらのまいにちは、ひかりがあふれたみたいになる。おいらは、ある足音を、ほかのどんなやつとも聞きわけられるようになる。ほかの音なら、おいら穴あなぐらのなかにかくれるけど、きみの音だったら、はやされたみたいに、穴ぐらからとんででていく。それから、ほら! あのむこうの小むぎばたけ、見える? おいらはパンをたべないから、小むぎってどうでもいいものなんだ。小むぎばたけを見ても、なんにもかんじない。それって、なんかせつない! でも、きみのかみの毛って、こがね色。だから、小むぎばたけは、すっごくいいものにかわるんだ、きみがおいらをなつけたら、だけど! 小むぎはこがね色だから、おいらはきみのことを思いだすよ。そうやって、おいらは小むぎにかこまれて、風の音をよく聞くようになる……」
 キツネはだんまりして、王子くんをじっと見つめて、
「おねがい……おいらをなつけておくれ!」といった。
「よろこんで。」と王子くんはへんじをした。「でもあんまりじかんがないんだ。友だちを見つけて、たくさんのことを知らなきゃなんない。」
「自分のなつけたものしか、わからないよ。」とキツネはいった。「ひとは、ひまがぜんぜんないから、なんにもわからない。ものうりのところで、できあがったものだけをかうんだ。でも、友だちをうるやつなんて、どこにもいないから、ひとには、友だちってものがちっともいない。友だちがほしいなら、おいらをなつけてくれ!」
「なにをすればいいの?」と王子くんはいった。
「気ながにやらなきゃいけない。」とキツネはこたえる。「まずは、おいらからちょっとはなれたところにすわる。たとえば、その草むらにね。おいらはきみをよこ目で見て、きみはなにもしゃべらない。ことばは、すれちがいのもとなんだ。でも、1日、1日、ちょっとずつそばにすわってもいいようになる……」

〈そうだね、きみがごごの4じに来るなら、3じにはもう、おいら、うきうきしてくる。〉

 あくる日、王子くんはまたやってきた。
「おんなじじかんに、来たほうがいいよ。」とキツネはいった。「そうだね、きみがごごの4じに来るなら、3じにはもう、おいら、うきうきしてくる。それからじかんがどんどんすすむと、ますますうきうきしてるおいらがいて、4じになるころには、ただもう、そわそわどきどき。そうやって、おいらは、しあわせをかみしめるんだ! でも、でたらめなじかんにくるなら、いつ心をおめかししていいんだか、わからない……きまりごとがいるんだよ。」
「きまりごとって、なに?」と王子くんはいった。
「これもだれもわすれちゃったけど、」とキツネはいう。「1日をほかの1日と、1じかんをほかの1じかんと、べつのものにしてしまうもののことなんだ。たとえば、おいらをねらうかりうどにも、きまりごとがある。あいつら、木ようは村のむすめとダンスをするんだ。だから、木ようはすっごくいい日! おいらはブドウばたけまでぶらぶらあるいていく。もし、かりうどがじかんをきめずにダンスしてたら、どの日もみんなおんなじようになって、おいらの心やすまる日がすこしもなくなる。」

 こんなふうにして、王子くんはキツネをなつけた。そして、そろそろ行かなきゃならなくなった。
「はあ。」とキツネはいった。「……なみだがでちゃう。」
「きみのせいだよ。」と王子くんはいった。「ぼくは、つらいのはぜったいいやなんだ。でも、きみは、ぼくになつけてほしかったんでしょ……」
「そうだよ。」とキツネはいった。
「でも、いまにもなきそうじゃないか!」と王子くんはいった。
「そうだよ。」とキツネはいった。
「じゃあ、きみにはなんのいいこともないじゃない!」
「いいことはあったよ。」とキツネはいった。「小むぎの色のおかげで。」
 それからこうつづけた。
「バラの庭に行ってみなよ。きみの花が、せかいにひとつだけってことがわかるはず。おいらにさよならをいいにもどってきたら、ひみつをひとつおしえてあげる。」
 王子くんは、またバラの庭に行った。
「きみたちは、ぼくのバラとはちっともにていない。きみたちは、まだなんでもない。」と、その子はたくさんのバラにいった。「だれもきみたちをなつけてないし、きみたちもだれひとりなつけていない。きみたちは、であったときのぼくのキツネとおんなじ。あの子は、ほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもなかった。でも、ぼくがあの子を友だちにしたから、もういまでは、あの子はせかいにただ1ぴきだけ。」
 するとたくさんのバラは、ばつがわるそうにした。
「きみたちはきれいだけど、からっぽだ。」と、その子はつづける。「きみたちのために死ぬことなんてできない。もちろん、ぼくの花だって、ふつうにとおりすがったひとから見れば、きみたちとおんなじなんだとおもう。でも、あの子はいるだけで、きみたちぜんぶよりも、だいじなんだ。だって、ぼくが水をやったのは、あの子。だって、ぼくがガラスのおおいに入れたのは、あの子。だって、ぼくがついたてでまもったのは、あの子。だって、ぼくが毛虫をつぶしてやったのも(2、3びき、チョウチョにするためにのこしたけど)、あの子。だって、ぼくが、もんくとか、じまんとか、たまにだんまりだってきいてやったのは、あの子なんだ。だって、あの子はぼくのバラなんだもん。」

 それから、その子はキツネのところへもどってきた。
「さようなら。」と、その子がいうと……
「さようなら。」とキツネがいった。「おいらのひみつだけど、すっごくかんたんなことなんだ。心でなくちゃ、よく見えない。もののなかみは、目では見えない、ってこと。」
「もののなかみは、目では見えない。」と、王子くんはもういちどくりかえした。わすれないように。
「バラのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ。」
「バラのためになくしたじかん……」と、王子くんはいった。わすれないように。
「ひとは、ほんとのことを、わすれてしまった。」とキツネはいった。「でも、きみはわすれちゃいけない。きみは、じぶんのなつけたものに、いつでもなにかをかえさなくちゃいけない。きみは、きみのバラに、なにかをかえすんだ……」
「ぼくは、ぼくのバラになにかをかえす……」と、王子くんはもういちどくりかえした。わすれないように。

22


「こんにちは。」と王子くんがいうと、
「こんにちは。」とポイントがかりがいった。
「ここでなにしてるの?」と王子くんがいうと、
「おきゃくを1000にんずつわけてるんだ。」とポイントがかりがいった。「きかんしゃにおきゃくがのってて、そいつをおまえは右だ、おまえは左だって、やってくんだよ。」
 すると、きかんしゃが、ぴかっ、びゅん、かみなりみたいに、ごろごろごろ。ポイントがかりのいるたてものがゆれた。
「ずいぶんいそいでるね。」と王子くんはいった。「なにかさがしてるの?」
「それは、うごかしてるやつだって、わからんよ。」とポイントがかりはいった。
 すると、こんどはぎゃくむきに、ぴかっ、びゅん、ごろごろごろ。
「もうもどってきたの?」と王子くんがきくと……
「おんなじのじゃないよ。」とポイントがかりがいった。「いれかえだ。」
「じぶんのいるところが気にいらないの?」
「ひとは、じぶんのいるところが、ぜったい気にいらないんだ。」とポイントがかりがいった。
 すると、またまた、ぴかっ、びゅん、ごろごろごろ。
「さっきのおきゃくをおいかけてるの?」と王子くんはきいた。
「だれもおっかけてなんかないよ。」とポイントがかりはいった。「なかでねてるか、あくびをしてる。子どもたちだけが、まどガラスに鼻をおしつけてる。」
「子どもだけが、じぶんのさがしものがわかってるんだね。」と王子くんはいった。「パッチワークのにんぎょうにじかんをなくして、それがだいじなものになって、だからそれをとりあげたら、ないちゃうんだ……」
「うらやましいよ。」とポイントがかりはいった。

23


「こんにちは。」と、王子くんがいうと、
「こんにちは。」と、ものうりがいった。
 ものうりはクスリをうっていた。そのクスリは、のどのからからをおさえるようにできていて、1しゅうかんにひとつぶで、もう、のみたいっておもわなくなるんだ。
「どうして、そんなのをうるの?」と王子くんはいった。
「むだなじかんをはぶけるからだ。」と、ものうりはいった。「はかせがかぞえたんだけど、1しゅうかんに53ぷんもむだがはぶける。」
「その53ぷんをどうするの?」
「したいことをするんだ……」
 王子くんはかんがえる。『ぼく、53ぷんもじゆうになるんなら、ゆっくりゆーっくり、水くみ場にあるいていくんだけど……』


24


 おかしくなって、さばくに下りてから、8日め。ぼくは、ものうりの話をききながら、ほんのすこしだけのこっていた水を、ぐいとのみほした。
「へえ!」と、ぼくは王子くんにいった。「たいへんけっこうな思いで話だけど、まだひこうきがなおってないし、もう、のむものもない。ぼくも、ゆっくりゆーっくり水くみ場にあるいていけると、うれしいんだけど!」
「友だちのキツネが……」と、その子がいったけど、
「いいかい、ぼうや。もうキツネの話をしてるばあいじゃないんだ!」
「どうして?」
「のどがからからで、もうすぐ死んじゃうんだよ……」
 その子は、ぼくのいいぶんがわからなくて、こういった。
「友だちになるっていいことなんだよ、死んじゃうにしても。ぼく、キツネと友だちになれてすっごくうれしくて……」
 ぼくはかんがえた。『この子、あぶないってことに気づいてない。はらぺこにも、からからにも、ぜったいならないんだ。ちょっとお日さまがあれば、それでじゅうぶん……』
 ところが、その子はぼくを見つめて、そのかんがえにへんじをしたんだ。
「ぼくだって、のどはからからだよ……井戸いどをさがそう……」
 ぼくは、だるそうにからだをうごかした。井戸をさがすなんて、ばかばかしい。はてもしれない、このさばくで。それなのに、そう、ぼくたちはあるきだした。

 ずーっと、だんまりあるいていくと、夜がおちて、星がぴかぴかしはじめた。ぼくは、とろんとしながら、星をながめた。のどがからからで、ぼうっとする。王子くんのことばがうかんでは、ぐるぐるまわる。
「じゃあ、きみものどがからから?」と、ぼくはきいた。
 でも、きいたことにはこたえず、その子はこういっただけだった。
「水は、心にもいいんだよ……」
 ぼくは、どういうことかわからなかったけど、なにもいわなかった……きかないほうがいいんだと、よくわかっていた。
 その子はへとへとだった。すわりこむ。ぼくもその子のそばにすわりこむ。しーんとしたあと、その子はこうもいった。
「星がきれいなのは、見えない花があるから……」
 ぼくは〈そうだね〉とへんじをして、月のもと、だんまり、すなのでこぼこをながめる。
「さばくは、うつくしい。」と、その子はことばをつづけた……
 まさに、そのとおりだった。ぼくはいつでも、さばくがこいしかった。なにも見えない。なにもきこえない。それでも、なにかが、しんとするなかにも、かがやいている……
 王子くんはいった。「さばくがうつくしいのは、どこかに井戸をかくしてるから……」
 ぼくは、どきっとした。ふいに、なぜ、すながかがやいてるのか、そのなぞがとけたんだ。ぼくが、ちいさなおとこの子だったころ、古いやしきにすんでいた。そのやしきのいいつたえでは、たからものがどこかにかくされているらしい。もちろん、だれひとりとして、それを見つけてないし、きっと、さがすひとさえいなかった。でも、そのいいつたえのおかげで、その家まるごと、まほうにかかったんだ。その家に、かくされたひみつがある。どこか、おくそこに……
「そうか。」と、ぼくは王子くんにいった。「あの家とか、あの星とか、あのさばくが気になるのは、そう、なにかをうつくしくするものは、目に見えないんだ!」
「うれしいよ。」と、その子はいった。「きみも、ぼくのキツネとおなじこといってる。」
 王子くんがねつくと、ぼくはすぐさま、その子をだっこして、またあるきはじめた。ぼくは、むねがいっぱいだった。なんだか、こわれやすいたからものを、はこんでるみたいだ。きっと、これだけこわれやすいものは、ちきゅうのどこにもない、とさえかんじる。ぼくは、月あかりのもと、じっと見た。その子の青白いおでこ、つむった目、風にゆれるふさふさのかみの毛。ぼくはこうおもう。ここで見ているのは、ただの〈から〉。いちばんだいじなものは、目に見えない……
 ちょっとくちびるがあいて、その子がほほえみそうになった。そのとき、ぼくはつづけて、こうかんがえていた。『ねむってる王子くんに、こんなにもぐっとくるのは、この子が花にまっすぐだから。花のすがたが、この子のなかで、ねむってても、ランプのほのおみたく、きらきらしてるから……』そのとき、これこそ、もっともっとこわれやすいものなんだ、って気がついた。この火を、しっかりまもらなくちゃいけない。風がびゅんとふけば、それだけできえてしまう……
 そうして、そんなふうにあるくうち、ぼくは井戸を見つけた。夜あけのことだった。


25


 王子くんはいった。「ひとって、はやいきかんしゃにむちゅうだけど、じぶんのさがしものはわかってない。ということは、そわそわして、ぐるぐるまわってるだけ。」
 さらにつづける。
「そんなことしなくていいのに……」
 ぼくたちが行きあたった井戸は、どうもサハラさばくの井戸っぽくはなかった。さばくの井戸っていうのは、さばくのなかで、かんたんな穴がぽこっとあいてるだけ。ここにあるのは、どうも村の井戸っぽい。でも、村なんてどこにもないし、ぼくは、ゆめかとおもった。
「おかしい。」と、ぼくは王子くんにいった。「みんなそろってる。くるくる、おけ、ロープ……」
 その子はわらって、ロープを手にとり、くるくるをまわした。するときぃきぃと音がした。風にごぶさたしてる、かざみどりみたいな音だった。


〈その子はわらって、ロープを手にとり、くるくるをまわした。〉

「きこえるよね。」と王子くんはいった。「ぼくらのおかげで、この井戸がめざめて、うたをうたってる……」
 ぼくは、その子にむりをさせたくなかった。
「かして。」と、ぼくはいった。「きみには、きつすぎる。」
 そろりそろり、ぼくは、おけをふちのところまでひっぱり上げて、たおれないよう、しっかりおいた。ぼくの耳では、くるくるがうたいつづけていて、まだゆらゆらしてる水の上では、お日さまがふるえて見えた。
「この水がほしい。」と王子くんがいった。「のませてちょうだい……」
 そのとき、ぼくはわかった。その子のさがしものが!
 ぼくは、その子の口もとまで、おけをもちあげた。その子は、目をつむりながら、ごくっとのんだ。おいわいの日みたいに、気もちよかった。その水は、ただののみものとは、まったくべつのものだった。この水があるのは、星空のしたをあるいて、くるくるのうたがあって、ぼくがうでをふりしぼったからこそなんだ。この水は、心にいい。プレゼントみたいだ。ぼくが、ちいさなおとこの子だったころ。クリスマスツリーがきらきらしてて、夜ミサのおんがくがあって、みんな気もちよくにこにこしてたからこそ、ぼくのもらった、あのクリスマスプレゼントは、あんなふうに、きらきらかがやいていたんだ。
 王子くんがいった。「きみんとこのひとは、5000本ものバラをひとつの庭でそだててる……で、さがしものは見つからない……」
「見つからないね。」と、ぼくはうなずく……
「それなのに、さがしものは、なにか1りんのバラとか、ちょっとの水とかのなかに見つかったりする……」
「そのとおり。」と、ぼくはうなずく。
 王子くんはつづける。
「でも、目じゃまっくらだ。心でさがさなくちゃいけない。」

 ぼくは水をのんだ。しんこきゅうする。さばくは、夜あけで、はちみつ色だった。ぼくもうれしかった、はちみつ色だったから。もう、むりをしなくてもいいんだ……
「ねぇ、やくそくをまもってよ。」と、王子くんはぽつりといって、もういちど、ぼくのそばにすわった。
「なんのやくそく?」
「ほら……ヒツジのくちわ……ぼくは、花におかえししなくちゃなんないんだ!」
 ぼくはポケットから、ためしにかいた絵をとりだした。王子くんはそれを見ると、わらいながら、こういった。
「きみのバオバブ、ちょっとキャベツっぽい……」
「えっ!」
 バオバブはいいできだとおもっていたのに!
「きみのキツネ……この耳……ちょっとツノっぽい……ながすぎるよ!」
 その子は、からからとわらった。
「そんなこといわないでよ、ぼうや。ぼくは、なかの見えないボアと、なかの見えるボアしか、絵ってものをしらないんだ。」
「ううん、それでいいの。子どもはわかってる。」
 そんなわけで、ぼくは、えんぴつでくちわをかいた。それで、その子にあげたんだけど、そのとき、なぜだか心がくるしくなった。
「ねぇ、ぼくにかくれて、なにかしようとしてる……?」
 でも、その子はそれにこたえず、こう、ぼくにいった。
「ほら、ぼく、ちきゅうにおっこちて……あしたで1年になるんだ……」
 そのあと、だんまりしてから、
「ここのちかくにおっこちたんだ……」
 といって、かおをまっ赤にした。
 そのとき、また、なぜだかわからないけど、へんにかなしい気もちになった。それなのに、ぼくはきいてみたくなったんだ。
「じゃあ、1しゅうかんまえ、ぼくときみがであったあのあさ、きみがあんなふうに、ひとのすむところのはるかかなた、ひとりっきりであるいていたのは、たまたまじゃないってこと

 きみは、おっこちたところに、もどってるんだね?」
 王子くんは、もっと赤くなった。
 ぼくは、ためらいつつもつづけた。
「もしかして、1年たったら……?」
 王子くんは、またまたまっ赤になった。しつもんにはこたえなかったけど、でも、赤くなるってことは、〈うん〉っていってるのとおんなじってことだから、だから。
「ねぇ!」と、ぼくはいった。「だいじょうぶ……?」
 それでも、その子はこたえなかった。
「きみは、もう、やることをやらなくちゃいけない。じぶんのからくりのところへかえらなきゃいけない。ぼくは、ここでまってる。あしたの夜、かえってきてよ……」
 どうしても、ぼくはおちつけなかった。キツネをおもいだしたんだ。だれであっても、なつけられたら、ちょっとないてしまうものなのかもしれない……


26


 井戸のそばに、こわれた古い石のかべがあった。つぎの日の夕がた、ぼくがやることをやってもどってくると、とおくのほうに、王子くんがそのかべの上にすわって、足をぶらんとさせているのが見えた。その子のはなしごえもきこえてくる。
「じゃあ、きみはおぼえてないの?」と、その子はいった。「ちがうって、ここは!」
 その子のことばに、なにかがへんじをしているみたいだった。
「そうだけど! そう、きょうなんだけど、ちがうんだって、ここじゃないんだ……」
 ぼくは、かべのほうへあるいていった。けれど、なにも見えないし、なにもきこえない。それでも、王子くんはまたことばをかえしていた。
「……そうだよ。さばくについた、ぼくの足あとが、どこからはじまってるかわかるでしょ。きみはまつだけでいいの。ぼくは、きょうの夜、そこにいるから。」
 ぼくは、かべから20メートルのところまできたけど、まだなにも見えない。
 王子くんは、だんまりしたあと、もういちどいった。
「きみのどくは、だいじょうぶなの? ほんとに、じわじわくるしまなくてもいいんだよね?」
 ぼくは心がくるしくなって、たちどまったけれど、どうしてなのか、やっぱりわからなかった。
「とにかく、もう行ってよ。」と、その子はいった。「……ぼくは下りたいんだ!」


〈「とにかく、もう行ってよ。」と、その子はいった。「……ぼくは下りたいんだ!」〉

 そのとき、ぼくは気になって、かべの下のあたりをのぞきこんでみた。ぼくは、とびあがった。なんと、そこにいたのは、王子くんのほうへシャーっとかまえている、きいろいヘビが1ぴき。ひとを30びょうでころしてしまうやつだ。ぼくはピストルをうとうと、けんめいにポケットのなかをさぐりながら、かけ足でむかった。だけど、ぼくのたてた音に気づいて、ヘビはすなのなかへ、ふんすいがやむみたいに、しゅるしゅるとひっこんでしまった。それからは、いそぐようでもなく、石のあいだをカシャカシャとかるい音をたてながら、すりぬけていった。
 ぼくは、なんとかかべまでいって、かろうじてその子をうけとめた。ぼくのぼうや、ぼくの王子くん。かおが、雪のように青白い。
「いったいどういうこと! さっき、きみ、ヘビとしゃべってたよね!」
 ぼくは、その子のいつもつけているマフラーをほどいた。こめかみをしめらせ、水をのませた。とにかく、ぼくはもうなにもきけなかった。その子は、おもいつめたようすで、ぼくのことをじっと見て、ぼくのくびにすがりついた。その子のしんぞうのどきどきがつたわってくる。てっぽうにうたれて死んでゆく鳥みたいに、よわよわしい。その子はいう。
「うれしいよ、きみは、じぶんのからくりにたりないものを見つけたんだね。もう、きみんちにかえってゆけるね……」
「どうして、わかるの?」
 ぼくは、ちょうど知らせにくるところだった。かんがえてたよりも、やるべきことがうまくいったんだ、って。
 その子は、ぼくのきいたことにはこたえなかったけど、こうつづけたんだ。
「ぼくもね、きょう、ぼくんちにかえるんだ……」
 それから、さみしそうに、
「はるかにずっととおいところ……はるかにずっとむずかしいけど……」
 ぼくは、ひしひしとかんじた。なにか、とんでもないことがおころうとしている。ぼくは、その子をぎゅっとだきしめた。ちいさな子どもにするみたいに。なのに、それなのに、ぼくには、その子がするっとぬけでて、穴におちてしまうような気がした。ぼくには、それをとめる力もない……
 その子は、とおい目で、なにかをちゃんと見ていた。
「きみのヒツジがあるし、ヒツジのためのはこもあるし、くちわもある……」
 そういって、その子は、さみしそうにほほえんだ。
 ぼくは、ただじっとしていた。その子のからだが、ちょっとずつほてっていくのがわかった。
「ぼうや、こわいんだね……」
 こわいのは、あたりまえなのに! でも、その子は、そっとわらって、
「夜になれば、はるかにずっとこわくなる……」
 もうどうしようもないんだっておもうと、ぼくはまた、ぞっとした。ぼくは、このわらいごえが、もうぜったいにきけないなんて、どうしても、うけいれることができなかった。このわらいごえが、ぼくにとって、さばくのなかの水くみ場のようなものだったんだ。
「ぼうや、ぼくはもっと、きみのわらいごえがききたいよ……」
 でも、その子はいった。
「夜がくれば、1年になる。ぼくの星が、ちょうど、1年まえにおっこちたところの上にくるんだ……」
「ぼうや、これはわるいゆめなんだろ? ヘビのことも、会うことも、星のことも……」
 でも、その子は、ぼくのきいたことにこたえず、こういった。
「だいじなものっていうのは、見えないんだ……」
「そうだね……」
「それは花もおんなじ。きみがどこかの星にある花をすきになったら、夜、空を見るのがここちよくなる。どの星にもみんな、花がさいてるんだ……」
「そうだね……」
「それは水もおんなじ。きみがぼくにのませてくれた水は、まるで音楽おんがくみたいだった。くるくるとロープのおかげ……そうでしょ……よかったよね……」
「そうだね……」
「きみは、夜になると、星空をながめる。ぼくんちはちいさすぎるから、どれだかおしえてあげられないんだけど、かえって、そのほうがいいんだ。ぼくの星っていうのは、きみにとっては、あのたくさんのうちのひとつ。だから、どんな星だって、きみは見るのがすきになる……みんなみんな、きみの友だちになる。そうして、ぼくはきみに、おくりものをするんだよ……」
 その子は、からからとわらった。
「ねぇ、ぼうや、ぼうや。ぼくは、そのわらいごえが大すきなんだ!」
「うん、それがぼくのおくりもの……水とおんなじ……」
「どういうこと?」
「ひとには、みんなそれぞれにとっての星があるんだ。たびびとには、星は目じるし。ほかのひとにとっては、ほんのちいさなあかりにすぎない。あたまのいいひとにとっては、しらべるものだし、あのしごとにんげんにとっては、お金のもと。でも、そういう星だけど、どの星もみんな、なんにもいわない。で、きみにも、だれともちがう星があるんだよ……」
「どういう、こと?」
「夜、空をながめたとき、そのどれかにぼくがすんでるんだから、そのどれかでぼくがわらってるんだから、きみにとっては、まるで星みんながわらってるみたいになる。きみには、わらってくれる星空があるってこと!」
 その子は、からからとわらった。
「だから、きみの心がいえたら(ひとの心はいつかはいえるものだから)、きみは、ぼくとであえてよかったっておもうよ。きみは、いつでもぼくの友だち。きみは、ぼくといっしょにわらいたくてたまらない。だから、きみはときどき、まどをあける、こんなふうに、たのしくなりたくて……だから、きみの友だちはびっくりするだろうね、じぶんのまえで、きみが空を見ながらわらってるんだもん。そうしたら、きみはこんなふうにいう。『そうだ、星空は、いつだってぼくをわらわせてくれる!』だから、そのひとたちは、きみのあたまがおかしくなったとおもう。ぼくはきみに、とってもたちのわるいいたずらをするってわけ……」
 そして、からからとわらった。
「星空のかわりに、からからわらう、ちいさなすずを、たくさんあげたみたいなもんだね……」
 からからとわらった。それからまた、ちゃんとしたこえで。
「夜には……だから……来ないで。」
「きみを、ひとりにはしない。」
「ぼく、ぼろぼろに見えるけど……ちょっと死にそうに見えるけど、そういうものなんだ。見に来ないで。そんなことしなくていいから……」
「きみを、ひとりにはしない。」
 でも、その子は気になるようだった。
「あのね……ヘビがいるんだよ。きみにかみつくといけないから……ヘビっていうのは、すぐおそいかかるから、ほしいままに、かみつくかもしれない……」
「きみを、ひとりにはしない。」
 でも、ふっと、その子はおちついて、
「そっか、どくは、またかみつくときには、もうなくなってるんだ……」

 あの夜、ぼくは、あの子がまたあるきはじめたことに気がつかなかった。あの子は、音もなくぬけだしていた。ぼくがなんとかおいつくと、あの子は、わき目もふらず、はや足であるいていた。あの子はただ、こういった。



「あっ、来たんだ……」
 それから、あの子はぼくの手をとったんだけど、またなやみだした。
「だめだよ。きみがきずつくだけだよ。ぼくは死んだみたいに見えるけど、ほんとうはそうじゃない……」
 ぼくは、なにもいわない。
「わかるよね。とおすぎるんだ。ぼくは、このからだをもっていけないんだ。おもすぎるんだ。」
 ぼくは、なにもいわない。
「でもそれは、ぬぎすてた、ぬけがらとおんなじ。ぬけがらなら、せつなくはない……」
 ぼくは、なにもいわない。
 あの子は、ちょっとしずんだ。でもまた、こえをふりしぼった。
「すてきなこと、だよね。ぼくも、星をながめるよ。星はみんな、さびたくるくるのついた井戸なんだ。星はみんな、ぼくに、のむものをそそいでくれる……」
 ぼくは、なにもいわない。
「すっごくたのしい! きみには5おくのすずがあって、ぼくには5おくの水くみ場がある……」
 そしてその子も、なにもいわない。だって、ないていたんだから……

「ここだよ。ひとりで、あるかせて。」
 そういって、あの子はすわりこんだ。こわかったんだ。あの子は、こうつづけた。


「わかるよね……ぼくの花に……ぼくは、かえさなきゃいけないんだ! それに、あの子はすっごくかよわい! それに、すっごくむじゃき! まわりからみをまもるのは、つまらない、よっつのトゲ……」
 ぼくもすわりこんだ。もう立ってはいられなかった。あの子はいった。
「ただ……それだけ……」
 あの子はちょっとためらって、そのあと立ち上がった。1ぽだけ、まえにすすむ。ぼくはうごけなかった。
 なにかが、きいろくひかっただけだった。くるぶしのちかく。あの子のうごきが、いっしゅんだけとまった。こえもなかった。あの子は、そうっとたおれた。木がたおれるようだった。音さえもしなかった。すなのせいだった。


〈あの子は、そうっとたおれた。木がたおれるようだった。〉


27


 いまとなっては、あれももう、6年まえのこと。……ぼくは、このできごとを、いままでだれにもはなさなかった。ひこうきなかまは、ぼくのかおをみて、ぶじにかえってきたことをよろこんでくれた。ぼくは、せつなかったけど、あいつらには、こういった。「いやあ、こりごりだよ……」
 もういまでは、ぼくの心も、ちょっといえている。その、つまり……まったくってわけじゃない。でも、ぼくにはよくわかっている。あの子は、じぶんの星にかえったんだ。だって、夜があけても、あの子のからだは、どこにも見あたらなかったから。からだは、そんなにおもくなかったんだろう……。そして、ぼくは夜、星に耳をかたむけるのがすきになった。5おくのすずとおんなじなんだ……
 でも、ほんとに、とんでもないこともおこってしまった。くちわをあの王子くんにかいてあげたんだけど、ぼくはそれに、かわのひもをかきたすのをわすれていたんだ! そんなんじゃどうやっても、ヒツジをつなぐことはできない。なので、ぼくは、かんがえこんでしまう。『あの子の星では、どういうことになってるんだろう? ひょっとして、ヒツジが花をたべてやしないか……』
 こうもかんがえる。『あるわけない! あの王子くんは、じぶんの花をひとばんじゅうガラスおおいのなかにかくして、ヒツジから目をはなさないはずだ……』そうすると、ぼくはしあわせになる。そして、星がみんな、そっとわらってくれる。
 また、こうもかんがえる。『ひとっていうのは、1どや2ど、気がゆるむけど、それがあぶないんだ! あの王子くんが夜、ガラスのおおいをわすれてしまったりとか、ヒツジが夜のうちに、こっそりぬけでたりとか……』そうすると、すずは、すっかりなみだにかわってしまう……
 すごく、ものすごく、ふしぎなことだ。あの王子くんが大すきなきみたちにも、そしてぼくにとっても、うちゅうってものが、ただそのどこかで、どこかしらないところで、ぼくたちのしらないヒツジが、ひとつバラをたべるか、たべないかってだけで、まったくべつのものになってしまうんだ……
 空を見てみよう。心でかんがえてみよう。『あのヒツジは、あの花をたべたのかな?』そうしたら、きみたちは、まったくべつのものが見えるはずだ……
 そして、おとなのひとは、ぜったい、ひとりもわからない。それがすっごくだいじなんだってことを!




 これは、ぼくにとって、せかいでいちばんきれいで、いちばんせつないけしきです。さっきのページのものと、おなじけしきなんですが、きみたちによく見てもらいたいから、もういちどかきます。あのときの王子くんが、ちじょうにあらわれたのは、ここ。それからきえたのも、ここ。
 しっかり、このけしきを見てください。もし、いつかきみたちが、アフリカのさばくをたびしたとき、ここがちゃんとわかるように。それと、もし、ここをとおることがあったら、おねがいですから、たちどまって、星のしたで、ちょっとまってほしいんです! もし、そのとき、ひとりの子どもがきみたちのところへ来て、からからとわらって、こがね色のかみで、しつもんしてもこたえてくれなかったら、それがだれだか、わかるはずです。そんなことがあったら、どうか! ぼくの、ひどくせつないきもちを、どうにかしてください。すぐに、ぼくへ、てがみを書いてください。あの子がかえってきたよ、って……


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?