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小さな優しい革命の第一歩

ぼくが「note」という大陸に上陸してすぐに気づいたことは、バナナの叩きり売り屋が、おれのバナナを読んでくれ、あたしのバナナを買ってよと、同じバナナの叩き売り屋に叫んでいるような世界だなということだった。新聞や雑誌や本は、何十万、何百万、何千万という読者にむけて発行されていく。ところがこの「note」には、その広大な読者の層がないのだ。おびただしい書き手たちが、一日何万もの記事を「note」に投じるらしいが、いったい彼らはだれに向かってその記事を書き込んでいるのか。その記事は「note」の外側にいる、その記事を求めている人々に向かって書き込まれているのではないのか。そんな思考が「だれにでも本が作れる──」というコラムになったのだが、小さな革命の一歩を踏み出すまえに、もう一度このコラムを書き込んでおきたい。

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だれにでも本が作れる、だれにでも本が発行できる、だれにでも出版社がつくれる

「note」に上陸して、何十人何百人ものサイトを訪れて感じたのは、「note」に書き込む書き手たちだれもが抱いているのは本にしたいと願望していることだった。どのサイトを訪れてもその願望が秘められていることをひしひしと感じる。そのサイトに何十、何百と《スキ》が投じられてもスクリーンにあらわれる電子文字を、結局は信じていないのだ。彼らが刻み込みたいのは電子文字ではなく、紙の上にだった。すなわち本にすること、それが「note」の書き手たちの究極の目的なのだ。

なんでも毎日、数万のさまざまな記事が「note」に投じられるらしい。おそるべき数だ。おびただしい数の小説が、毎日毎日書き込まれていく。いったいこの日本に作家になりたいと志望する人間はどのくらいいるのだろうか。数万どころではない、ひょっとすると数十万人という数になるのではないか。彼らが作家としてこの社会にデビューする最短距離は、懸賞小説に応募して、そこで栄冠を勝ち取ることだ。しかしそれも至難の業で、何度応募しても落選続きだ。そこで「note」に書き込んでいるということなのか。

あるいは彼女はベトナムの高原地帯にある貧しい村で、その村を豊かにしようと村の若者たちと胡椒やカカオの栽培にものりだした。学校づくりもはじめた。彼女は音大を出た音楽家でもあったから、その学校の若者や子どもたちとミュージカルをつくった。そんな活動を写真とコラムで構成した本をつくりたいと出版社に持ち込んでみた。その出版社は、持ち込み原稿は受けつけていないと即座に拒否。あきらめられない彼女はさらにB社、C社と持ち込んだがいずれも拒否された。それで彼女はその活動記録を「note」に打ち込んでいるということなのか。

あるいは長年勤めていた会社をリストラされた。その会社は創業者一族が経営する会社だった。その創業者が倒れると息子がトップに立った。しかしこの息子は経営者としての才覚がない人物だった。会社はどんどん傾いていく。ついに彼は立ち上がってこの息子を追放する戦いを開始した。しかし彼とともに立ち上がるはずだった仲間はつぎつぎに裏切り脱落していって、彼が追放されてしまった。その戦いを書いた本を自費出版しようと印刷会社に持ち込んだら、A社は二百万円、B社は百八十万円、C社は百七十万円と見積もられた。無職になった彼にそんな金はない。そこで彼は「note」にその手記を書き込んでいるということなのか。

私がこの大陸に上陸してきたのは、出版の革命を起こすためだつた。「だれにでも本が作れる、だれにでも本が発行できる、だれにでも出版社がつくれる」いよいよこの革命を生起させる実践に踏み出すときがきた。

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小さな革命を起こす最初の一歩、最初の一冊が、間もなくクラウドドファンデングに投じられる。

にら1

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