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かつて詩人や作家たちを輩出させたあの小さな書店はなかった    中山末喜

 一九六二年、たまたまパリに滞在していた私は、オデオン通り十二番地を訪れてみた。ビーチの書店のあったアパートの正面には重く鎧戸が下されていて、かつて詩人や作家たちの往来で賑おった書店の影をしのばせるものは何ひとつとして感じられなかった。私は、その後いく度かこのアパートの前を通り過ぎる機会はあったが、近所の住人に書店のことを尋ねてみる気持にもならなかった。二十年以上も昔に閉められた彼女の書店を記憶している人がいる筈がないと思われたからである。

何とも言えない淋しい気持な抱きながら、私はセーヌ河の河岸に辿りついた。私は、丁度ノートルダム寺院とセーヌ河を隔てた左岸に沿ったカルティエ・サン・ジュリアン・ポーヴルにある古ぼけた一軒の小さな書店に、なにげなく入った。ウィンドーにはもっぱらアメリカやイギリスの書籍ばかりを展示してあった。比較的奥行きのある書店で、入口から三メートル位入った所に一本柱があって、その柱にシェイクスピア・アンド・カンパニー書店という英語の小さな標識が釘で打ちつけてあるのに気づき駑いた。

傍にいた店員に、この書店はオデオン通りにあったビーチの書店と何か関係あるのか尋ねてみた。店貝は知る由もなかった。例の標識の出所や由来についても知らなかった。片隅に階段があって、下から二階の部屋を覗くことかできたが、周りの壁には貸し本らしき書籍が一面に並べられているようだった。長椅子がひとつと幾つかのソファが置かれていて、二、三人のアメリカ人らしきお客が本を読んでいたように記憶している。会員制のようなので、そのまま私は店を出てしまった。

しかし、私は、この書店の経営者は、きっとビーチをしのんで、彼女と同じ形式の書店を開いていたのではないかと思った。彼女の志が誰かによって受け継がれていることを知って、私は心温まる思いをした経験を持っている。この書店の名前は、ミンストラル書店(Minstral Bookshop)といった。今でもこの書店が続いているかどうか、その後久しくパリを訪れる機会がないので知らないが、この書店は今でも私の記憶に不思議に残っている。


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