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目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ  序章



目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ


        序章 

 バッハの名高きカンタータから題をとったこの小説は、恋愛物語であり、青年の挫折と再起の物語であり、男と女の自立の物語であり、ぶくぶくと金で太ってしまった日本の再生の物語でもある。要するにどう読まれてもいいわけで、その読まれ方は読者の数だけあるものである。したがって解説めいた序文などまったく必要がなく、読者はこんな長大な序文などすっとばしても少しもかまわない。しかしもしこの長い小説を読了してなにか心を残すものがあるならば、あるいはまた途中で投げ出したとしても、人生に躓いたとき、あるいは絶望の底からどこにむかって脱出していいかわからぬとき、あるいはまたなにか創造することに立ちむかったとき、もう一度この本を手にしてこの長い序文を読むことをすすめるのだ。この小説はたいした才能もない一人の男が、いかにして作家になったかというもう一つの物語をこの小説の背後に縫いあわせているからである。
 
 この作品を手がけたのがいつだったかはっきりしないが、それは多分二十代の後半からであり、ようやくその全貌があらわになって長編小説の体裁をととのえてきたのが四十を間近にしたころだった。したがってこの作品を仕上げるために十年以上の月日を要したということになる。いったいこれを仕上げるためにどれほどの量を書いてきたのだろうか。書いては捨て、捨ては書き、その量といったらこの小説の二十倍から三十倍、いやもっとかもしれない。長編小説の書き方というものがまったくわかっていなかったのだ。ただ霧のなかを、道なき道を、やみくもに突き進んでいくだけだった。前方に光の出口などどこにもなかった。峠をようやくの思いでこえたら、また峠があった。その峠に息もたえだえにたどりついたら、またはるかに高い峠が前方に屹立しているといった具合だった。もしかしたら私はこの物語を永遠に書ききれないのではないかと何度も思ったものだった。

 それはまさしく掛値なしの倒すか倒されるかの戦いというものであって、絶望と嘆きの底に沈みこむたびに、おれは作家となるための才能などからきしないのではないかと思うのだった。一流とはいわないが、そこそこの才能はあるとうぬぼれていたが、実は二流どころか三流の才能もないのであり、こういう人間の書く小説などまったく意味がないものだという声がしきりに私を打ち倒そうとするのだった。だがそんな声においそれと従うわけにはいかない。ここで放擲してしまったらそれこそ水の泡である。そんなにあっさりと投げ捨てるわけにはいかないのだ。四流の才能がどうして小説を書いてはいけないのだろうか。四流は四流の書き方があるのだと気をとりなおして、立ちはだかる峰にまたそろそろと登っていく。まったく牛ののろさ、亀の歩みであった。そんなわけでこの小説を仕上げるのに実に十数年を要したのだった。

 そしてさらに次なる難関がまちかまえていた。この小説をどこかに売り込んで本にするという難関だった。それもまた無名の作家にとって実に高い峰であった。作家にとって創造という行為のピリオドはその小説を書き終えたときなのだが、私はやはりこの小説を読書社会に送り出したかったのである。この小説を書き続けることによって私は作家になったのである。愛と憎しみがこの作品のなかにあふれるばかりにこもっているのだ。そんなわけで、この作品を書きあげてから数年たって試しに三つの大出版社に送ってみた。A社は手もつけずに送り返してきて「わが社では持込み原稿を受付けていない。わが社主催の数々の懸賞小説があるのでそちらに応募してくれ」とそっけない文面がそえてあった。B社は「作品を読んでみたがどうもわが社の出版物に性格があわない。それに今年の出版計画も決定されていてそれを変更することもできない」と書いてあった。C社は「大変な力作であり、この作品を刊行するかかなり迷ったが、新人の作品はやはりリスクが多いので、残念ながら今回は見送りにする」という手紙がそえてあった。   

 私はその結果にさしてがっかりもしなかった。それはほとんど予想されたことだった。だからがっかりするよりもむしろこれよって、一つの偉大な勲章がこの作品にあたえられたと思ったものだ。あのロリータの作家やあの北回帰線の作家に自己をなぞらえるわけではないが、偉大な本はかならず迫害され排斥されるものであり、私の小説が拒絶されたのもこの本がその内部になかなかの問題をはらんでいるのだと思うことにしたのだった。私はいまでもそう思っているのだ。この小説の主題は少しも色褪せることなく、それはいよいよ輝きをましている。成長を続けてきたのは経済であって、日本人は逆にいよいよけちくさく小さくなっているのだ。それはともかく、この小説こそ私の出発点であり、この小説を書き上げることによって私は高尾五郎という作家になったのであり、私の本が読書社会に送り出されるその最初の作品がこれでなければならなかったのだ。こうしてさらに十数年という月日が流れていくのだ。

 今日数多の懸賞小説があって、かつての時代よりも無名の作家たちがこの世にデビューしやすくなったという説をきくが、事実はまったく逆なのであって、むしろ真の作家たちには暗黒の時代だといってもいいのだ。とにかく作家志望者は腐るほどいて、彼らの書いたどうでもいい作文はあふれるばかりであって、それらうようよと徘徊する人間たちをふるいにかけるために懸賞小説というものがある。そしてその狭き門をくぐった人間だけが、海のものとも山のものともつかぬがとりあえず作家の素質があると認めようというのだった。それ以外は屑であり、屑といわれたくなかったらさっさと作家になろうとすることをあきらめよというのだ。愚かなことにそれが懸賞小説を主催する大出版社ばかりか、裏通りの汚れたビルでほそぼそと生きのびている小出版社までの統一見解であり、そしてまたそれが世の常識とまでなってしまった。作家になるにはまず宝くじをあてるような懸賞小説に当選しなければならないというわけである。

 若いころ私もまたそう思っていたのであり、書きあげたものを何度か懸賞小説に応募してみたものである。あれを箸にも棒にもひっかからなかったというのだろうか。そしてよせばいいのに入選した作品をのせた雑誌を買いこみ、選考者となった作家たちがおごそかに寸評する、文章が粗いだとか、志が低いだとか、後半に破綻があるとか、プロとしての文章となるとちょっと弱いだとかいった選評を目の端にとらえて、作家になるにはなかなか厳しいものがあるものだなと思ったものだ。しかしいまではこの選考作家たちが、まるで安っぽい裁判官のように吐きだす選評とやらを読むたびに、よくもまあ自分のことを棚にあげて勝手なご託宣を並べ立てるものだと思うのだ。文章が粗いのはあなたの作品ではないのですか。志が低いのはあなた様の小説ではないのでしょうか。空っぽの小説ばかり書きちらしておいて志が低いもないものだ。どうでもいいものをただ書き流しているくせにあちこちに破綻があるもないものだ。要するにこの選考作家たちがおごそかにたれる選評とやらは、そっくりそのまま熨斗でもつけて彼らに送り返してやればいいのである。

 いったいなぜ彼らは懸賞小説の選考者などという馬鹿げたことに手を染めたのだろうか。彼らは多分こう言うだろう。世に埋もれている人材を発掘するための力になりたいとか、すぐれた作品に出会うためにだとか、新人を登場させることによって文学の土壌を豊かにするためだとか。とんでもない話で、彼らの目の前にあがってくるのは、何百編もの応募作品のなかから主催した会社の編集者たちによって選別されたほんの数編なのであり、それをぬくぬくとした料亭かなんかで葡萄酒をちびりちびりやりながら、どれも作文程度のものですなあ、帯びに短したすきに長しですなあ、と言いながらやっているのだ。一切のことをきれいに白状すれば、これらの作家には深い企みや、やさしさや、あるいはまた文学の土壌を豊かにしたいなどという志などないのである。出版社からたのまれたからであり、その大出版社に切られたくないからであり、さらには選考作家とは一つの勲章のようなものであり、それによって世の重みも一段と増すからなのである。彼らにとってその程度のものなのだが、しかしその意味は限りなく重い。なぜなら彼らは真の作家たちを打ち倒す虐殺の砦に立つ番人に成り下がっているからなのだ。

 彼らもまたもって生れて作家になったわけではなかった。彼らもまた苦難に満ちた日があったのである。売れない小説をどこに向かって書いていいかわからない日があったはずである。いつ自分の解放の日はくるのだろうかと不安と恐怖におびえながら、しかしそれでもすがるように書き続けていたのである。その彼がいったん陽の当たる坂道にでると、たちまちその艱難辛苦の日を忘れてあっさりと虐殺砦の番人、あるいはギロチン執行人に成り下がってしまうのだ。懸賞小説というものはたった一つのたいした才能もない、たいした力もない、まあそこそこの出来栄えの、どうでもいいような作品を選び出すために、その他のすべての作品と作家を虐殺することなのである。その懸賞小説に応募してきた原稿が一千編あるとしたら、たった一つのどうでもいい作品のために、他の九百九十九編は虐殺されるのである。

 そのことの恐ろしさに彼らは一度でも思いをはせたことがあるのだろうか。日本語に力をあたえ、新しい物語を誕生させ、読書社会を豊かにしていく本物の作家は、むしろ虐殺した側にいるのではないかと考えたことはないのだろうか。真の作家というものは実はそこに隠れているのである。私の推測ではこの選評作家たちをはるかにしのぐ力量と豊かな資質をもった本物の作家たちは、日本の各地に少なく見積もっても千人は存在しているのだ。彼らのことごとくが世に隠れたままである。田圃の畔に、税務署の地下室に、路地裏にあるスナックに、木造アパートに、バーのカウンターの隅っこに、六番街のマンションに、農学校の裏門に、漁業組合の倉庫に、黄金町のペントハウスに、パチンコ屋の屋根裏に、森林の奥に、不動産屋のソファーに、西洋料理店の冷蔵庫の陰に、広告代理店の非常階段に、国際貨物センターのトイレの裏に、人形町の花屋に、北アルプスの山小屋にかくれているのだ。彼らの大部分はけっして懸賞小説などというものにその作品を投じないはずだった。馬鹿馬鹿しさをよく知っているからだ。したがって彼らは世に隠れたままである。ギロチン砦の番人が彼らに出会えるわけがないのだ。

 選考作家というのは所詮雇われたあわれな番人であり、問題は懸賞小説という虐殺の砦を作りだしている大出版社にあるのだろう。彼らはこの懸賞小説という形態を露ほども疑ってはいず、その門こそ作家の登龍門であり、作家になりたかったらまずその門をくぐり抜けてみよと言うのだ。しかしこう言ってはなんだが、この門から生れてくるのは、たいした力もない、たいした才能もない、したがってよくまとまっているがさっぱり魅力のない作品しか書けない人間たちばかりではなかったのか。ときどき本物の才能に当たることもあるが、ほとんどがどうでもいいものを書いてすぐに消えていく人間たちばかりではなかったのか。要するに作家になる魂といったものをもたない人間がくぐり抜けてくる門ではなかったのか。事実はほぼその通りであって、そんな門を作りだしているくせに彼らはこうぼやくのだ。最近の新人はだめになった。大きな才能がない。女子学生の書くような作文ばかりで、目をみはるようなスケールがないと。そしてその衰退から脱出しようと懸賞金の額をつり上げるのだ。

 彼らはなにもわかっていないのだ。その懸賞小説というものが針の穴ほどのけちくさいものだということを。彼らはひたすら針の穴を通る作品だけを選びだしているのである。そんな穴をくぐり抜けられるものといったら、これはもう優等生が書きあげる作文小説といった程度のものである。よくまとまっているのだ。文章は適当に磨かれていて、人物の彫り方もまあまあであり、すみずみまでT寧に描きこまれている。まことに器用で達者な作品が、これまた秀才の編集者たちの目にかなうのだ。しかしこういう小説というのは、優等生というものがたいてい人間的魅力がないように、まったく魅力に乏しいのだ。噛めば噛むほど底光りしてくるような輝きもなければ、なにか底知れない世界をつくりだしていくような大きな可能性というのもない。ただ器用にまとめあげた作品という程度のものである。この小さな穴から登場してくる人間は、結局その程度の作品しか書けない才能なのだということになぜ気づかないのだろうか。例えば想像してみるがいい。あの氾濫と混沌に満ちたドストエフスキーが、あの破綻と混乱に満ちた白鯨を書いたメルヴィルが、あるいはダイナマイトのような言葉を刻んだへンリー・ミラーが、この小さな穴をくぐり抜けることができるのだろうか。想像するだけで恥ずかしいかぎりではないか。およそ古今東西の大作家とよばれる人たちは、多分たったの一人もその穴をくぐり抜けることができないにちがいない。

 それは比喩がちがう、あまりにも喩えが桁はずれだというのかもしれないが、しかし言葉を刻むことをはじめた人間は、だれもが生命をかけて書き刻もうとするものなのだ。自己の内部に燃え立つものがあり、大きな仮説に苦しめられ、ぐるぐると成長していく物語に苦しめられ、あふれでる言葉を外にむかって吐きださなければわが身が崩壊するという危機に襲われ、さらにはその深い苦悩を言葉によって浄化させたいと願ったりするものなのだ。ひとたびそういうものと格闘するとき、もはやこじんまりとまとめ上げるなどという芸当はできやしない。物語は混乱のなかにある。うねる波のごとくストーリーは乱れ狂い、豊穣な言葉の渦のなかで木の葉のようにきりきりと舞うのだ。およそ優等生の仕上げる小説とちがう。文章だって粗く乱暴であり、構成だって破綻につぐ破綻の重奏であり、見栄えといったらできそこないのかぼちゃのようにごつごつしているにちがいない。そんな小説はけっしてその針の穴を通ることはできない。どんなに磨きあげても、どんなに綺麗に仕立て上げても通ることはない。いやそうではなく、その穴に通るための小説に仕上げたら、それはもはや魂の歌ではなくなるのだ。

 結局、懸賞小説というか細い穴をくぐり抜けることができるのは、優等生の書く作文程度のものであり、彼らの魂といったものはテレビや雑誌がしきりにつくりだす流行作家のイメージにあこがれただけのもので成り立っているのだ。彼らには日本語の苦悩だとか、日本人の苦悩などというものには関係ないのであり、彼らがめざすものは、たっぷりせしめた印税でジャガーに乗り、しゃれたマンションに住み、先生先生とおだてられ、殺到する注文を右から左に書き流し、ちょっと名が売れるといともあっさりと裏切り砦の虐殺執行人になるのだ。出版社は一度そのあたりのことを科学的データーといったもので計測してみるといい。おびただしい数の懸賞小説作家たちを輩出させてきたが、彼らがどれほど読書社会と文学を豊かにさせていったかを。寒々とした光景が広がっていて、もしそこに鋭い分析家がいたならばこう断ずるにちがいない。懸賞小説こそ文学という土壌を荒廃させた最大の要因だと。

 いやそんなことはない。これほど懸賞小説が頻繁にあちこちで行われているのに大きな獲物がかかってこないのは、いまや本当に才能あふれる人間が言葉を書かなくなったからであり、表現の手段がいまは多岐にわたり、しこしこと言葉を書きつらねていく暗い作業に励む人間がいなくなったのだ。さらに言葉というものが次第にその意味と成分を変質させていて、それにつれて小説というものの存在が次第に稀薄になってきていよいよ作家がでにくい時代になったと言うのだ。しかしそんなことはない。この世に隠れている真の作家はこの日本に千人はいるはずだった。彼らはけっして媚を売らない。懸賞小説などに投じることもない。彼らは隠れているのだ。彼らは隠れたままこの世を去っていく。そしてその作品もまた彼の死後世に出ることなくごみ焼却場で灰となり消え去っていくのだ。なんという損失だろうか。それらの作品こそ、日本語であり、日本の物語であり、民族の歌であるのに。

 なるほど小説は後退につぐ後退であるが、そう悲観したものでもなく、たとえば推理小説はなかなかのにぎわいで事実よく売れてもいるという説もある。しかしそれは日本映画が壊滅状態のなかで、おびただしいばかりのアダルトビデオが生産されていることと軌を一つにする現象で、鋭く荒廃の姿を浮きたたせているということなのである。アダルトビデオはもはや映画とよぶべきしろものではなくただの欲情刺激商品と呼ぶならば、これら推理小説の群れはいらいらとストレスがたまり便秘体質となった現代人の尻の穴にぶちこむ浣腸剤といったものである。推理小説というのは文学の一つの原点であり、ぐるぐると謎の深みのなかにおりていくという手法もまた小説を書くときの一つの重要なスタイルである。あのドストエフスキーの「罪と罰」も、さらには「カラマゾフの兄弟」も推理小説といえないこともない。推理小説を否定するのではなく、馬鹿馬鹿しいとしかいいようがないその安っぽさなのだ。まったく馬鹿げたトリックであり、そらぞらしいストーリーだ。ひたすら性交というワンパターンを繰り返すアダルトビデオそっくりの単純さだ。よくもこんなものをまじめに書けるものだと思い、読者もまたよくこんな安直な小説を最後まで読み通すことができるものだとあきれる思いである。しかしいま日本の読書社会ではこういう種類の商品しか売れなくなったのであり、そしてそれは読書社会をこういう手合いのものしか採算のとれない土壌にしてしまったということなのだ。

 日本の経済力はアメリカ文化の一つの殿堂とでもいえるコロンビアやCBSを買収するばかりの勢いであり、それだけ日本の文化や芸術のエネルギーがパワフルになったかというとまったくそうではなく、日本の芸術は日本映画の惨澹たるありさまをみればよくわかるというものである。むしろ経済力に昔日の面影を失いあちこちで敗退と敗北をかさねているアメリカは、映画にしても音楽にしても文学にしても依然としてエネルギーに満ちあふれた力強い作品を生みだしている。これはいったいどういうことなのだろうか。日本にもアメリカ映画に負けぬぐらい金をかけエネルギーを注ぎ込んでつくった映画だってあるのだ。例えば五十億をかけたという「天と地」という映画が。しかしその映画の空疎さといったらどうだろう。堪え難いばかりに空っぽであり、無駄と荒廃と成金の極致のような映画である。精神のかけらもなく、ただごてごてと着飾った集団がわさわさと移動するだけの映画である。よくもまああんな空っぽの映画に五十億もの大金を投ずるものだとあきれるばかりであった。あんなものに五十億も投ずるならば、無名の映画作家たち二三十人に、二三億ずつ投じた方がよっぽどすぐれた映画が誕生する確率が高いと思うばかりだった。あるいはまた滝廉太郎の生涯を描いた「わが愛の譜」という文芸映画があった。ヨーロッパロケを敢行し、現地のオーケスラトを舞台にのせ、名曲の数々を演奏させたりしながらのそれなりに金のかかった映画だった。しかしその内容の空虚さ、台詞の陳腐さ、登場人物たちのそらぞらしいばかりのワンパターンさに辟易するばかりであった。これらの映画作家たちは映画というものがほとんどわかっていないと思えるばかりだった。美しい音楽を流し、美しい風景を撮れば香り高き映画ができると思っているのだろうか。

 日本映画の沈滞と荒廃を、日本の文化や芸術の姿としてあぶりだしているのだが、それはおそらく美術の世界でも同様にちがいない。あちこちで展覧会がひらかれ美術の世界は華やぎのなかにあるようにみえるが、無名の創造者たちにとってはやはり冬の時代であり、大多数の画家たちは、赤貧洗うがごとき生活のなかで絵を描き続けたゴッホとそう大差のない生活のなかで描いているはずだった。そんな彼らを尻目に、それもつい先年のことだったが日本人が五十億もの大金を投じてゴッホの絵を購入したかと思ったら、八十億を投じる人間があらわれ、さらに止どめを刺すように百億円も投じて購入する実業家もまた登場してきた。その絵がいずれも、その生存中にたった一枚の絵も売れることなく貧困と絶望のなかに倒れたゴッホのものとはこれまたなんという皮肉なことだろうか。いったいこの光景をゴッホはどんな思いで眺めているのだろうか。もし天にいるゴッホの声をきくことができたら、彼は多分こう言うにちがいない。その百億円を無名の芸術家たちに配りあたえよと。

 無名の芸術家たちがいま一番ほしいのは作品を描き続けるという時間であり、その時間をつくりだすための金だった。それは彼らにとって飢えをしのぐパンのように切実な問題なのだ。だから彼らに制作の時間を生みだす生活費を援助すればいいのである。一年に二百万円もあれば十分だろう。しかし一年間ではなんの意味もない。彼の前方に立ちはだかる壁を突き破り、彼の内部によこたわる才能の鉱脈をほりおこし、数々の苦難の峰をこえて芸術家として地上に立つには、少なくとも五年という月日がいる。五年間なにも言わずにただ与えるのだ。二百万を五年間、計一千万円ということになる。しかし一人一人に一千万円を与えても、たった一点のゴッホの絵をせしめるために投じたその百億円で、実に千人もの芸術家たちを援助することができるのだ。千人の芸術家たちがおどろくべき創造をはじめる。五年たったときそこにまったく新しい芸術運動、現代のルネサンスとでもいうべき躍動する時代が誕生することまちがいないのだ。

 なるほどこれほど経済の規模が巨大になったのであり、日本の芸術家たちを金で援護していくということも大切なことなのだ。依然として日本の芸術家たちは貧困の底にいる。書いたものが本になりその印税で暮らしていける作家たちといったらほんの一握りであり、画家はさらに少なく、作曲家ともなると消えいるばかりである。世界第二位の経済大国が、七八十兆円もの国家予算をもつ国がこのありさまなのだ。芸術というものは民族の核心であり、精神の核心である。その核心が貧困であるということは依然として民族の魂が貧しいということなのだ。芸術というものは心の飢えを満たすパンであり、心のエネルギーをつくる肉であり、心の骨をより強くするビタミンでありカルシュウムである。一億二千万の人間の心に供給する食糧を生産する芸術家は少なくともこの日本に数十万人必要なのだ。数十万人の芸術家たちがその仕事に見合う報酬をうけて食べていけなければならないのだ。日本が真に豊かになるにはそういう土壌をつくりだすことなのである。

 しかしこんな論をいくらむきになって論じたって事態は一向に変わらないだろう。もともと芸術というものは本質的に金と結びつかないものなのだ。芸術家はいつの時代でも貧しい。悲しいことにどこまでいっても貧しく、大半の芸術家たちは貧困のなかで倒れていく。それはどんな時代でもそうなのであって、したがって芸術家になるには、貧困にたえられる精神をもっていなければならないということになるのだ。芸術家はだれもが否応なしにその精神をきたえられていく。したがって芸術家にとって貧困というものはたいした問題ではないのだ。生活するためにはどんな仕事だってある。どんなに苛酷な肉体労働だっていとわないし、あやしげな仕事だって、われとわが身がぼろ雑巾になるばかりの仕事だってやってのけるのだ。問題は、一番芸術家たちを苦しめるのは、命を削りながらつくりだした作品を世に問う場所や機会がまったくないということなのだ。無名の作曲家はいったいその作品をどのようにして発表するのであろうか。無名の映画作家たちはどのようにしてその作品をつくりだしていくのだろうか。無名の画家たちはその作品をどのようにして世に問うているのだろうか。なるほど映画産業や音楽産業や絵画産業や出版産業は立派に存在していて、たえず新しい作品や新しい作家たちを送り出している。しかしそれら企業人たちが世に送り出すその方法やその精神というものは、懸賞小説という策を労して送り出す出版社の姿と軌を一つにしているはずだった。いかに安直に、いかに効率的に、いかに素早く、より多くの金をせしめていくかである。狡滑で、現金で、けちくさい穴が、大きな仮説を抱き日本と日本人に新しい生命の息吹きを注ぎ込む人々をすげなく拒絶し排斥していくのだ。

 言葉の土壌をよみがえらせていくのは、小さな穴をあちこちに設けることではないのだ。懸賞小説でつりあげたり、懸賞金の額をふやしたり、安っぽい推理小説を手をかえ形をかえて繰り出すことではないのだ。そんな小手先なことではなくより本質的により荒廃の核心に手をつけなければならない。その最も核心の行為がいかにして大きな魂をもった無名の作家たちと出会ことができるのかである。そして出会った作家たちの作品群をいかにして世に送り出していくかその作業に取り組むことなのである。彼らが苦闘しながら書き上げた作品をもっと別の尺度のなかで読み取り、もっと人間的友情のなかで交流し、ともにその黄金の果実を磨き上げて、読書社会に送りだしてやるのだ。それは金のかかることであり、時間のかかることであり、出版社の経営を危うくする作業かもしれない。しかしあきらめることなく根気よくその作業を続けていけば、やがて徐々に読書社会は変化していくのである。じっくりと育てあげた作家たちは、ありとあらゆる領域に生きるおびただしい数の読者を読書社会にひきずりこんでくるからだ。

 言葉の果実はより滋味をたたえ、より輝きをまし、より力があふれていく。日本語は新しくなり、たくさんの新しい物語をもつ。言葉の土壌が変化していったのだ。こうして読書社会がたわわな実りの時代をむかえると、あらゆる芸術もまた豊穣な果実をつけはじめていくにちがいない。日本の核心が充実しはじめるからだ。日本の精神がようやく成熟のときをむかえはじめるからだ。芸術というものは人間を歌うものである。苦悩の深さを歌い、愛と憎しみを歌い、怒りや悲しみを歌い、喜びや祈りを歌う歌なのだ。芸術によって人間は深められたり、癒されたり、勇気をえたりする。心の農夫であり漁師である芸術家たちは人間の復活を歌うのだ。人間は元気であれと。誇りたかくあれと。絶望と悲しみから立ち上がれと。組織や技術や機械の奴隷のような生活をするのではなく、一人一人が自身のために生きはじめよと。一人一人が世界にむかって否と言える精神を打ち立てよと歌っているのだ。
                     
「目を覚ませよと呼ぶ声が聞こえ」の刊行をあきらめきれない私はさらに数年後に、その後書き上げた二三の作品とともにまた三四の出版社に送ってみた。大出版社のけんもほろろのあしらいにこりた私は、今度は中堅の出版社に狙いをさだめてみたのだ。反響は依然と同じであった。原稿が送りかえされてきて、そこに簡単な文面の手紙が添えられていた。なるほどそれは大出版社から戻ってきた素っ気ない手紙とちがって,多少は情のこもった人間の書く文面にはなっていた。「すぐれた傑作だと思います。しかし新人の文芸物に踏み出すことに躊躇せざるをえません。これだけの傑作ですので他の出版社をあたることをおすすめします」あるいはまた「何人かの編集者に読ませてみました。感動する編集者もいましたが、いまわが社にはこの小説を成功させるプロジェクトをもっておりません。蛇足ながら他の出版社を探されてはと思います」と言う具合だった。  

 その文面のなかにしたためられた傑作だとか感動したとかいう言葉は空々しく響くばかりで、これは断りを入れるときの決り文句に違いないと思うのだった。そして私は一つの結論に到達していくのだ。つまり彼らが無名の作家の作品に立ち向かわないのは、その作品の出来映えの善し悪しにあるのではないのだ、と。どんなにすぐれた作品が送られてきても彼らは拒むだろう。要するにこういうことなのだ。いま本は売れなくなった。そんなさなかに無名の作家の本など売れるわけがないのだ。それが現実の姿である以上、もはや空しい行為からきっぱりと手を引くべきなのだという思いを深めていくばかりだった。

 しかしそんなある日、一通の速達が私の家に舞い込んできた。その文面にはこう書かれてあった。「めくりめぐってとうとう高尾五郎さんの大きな作品群とめぐりあう日がやってきました。出版に関して私の考えなどをお話ししたくアトリエをお訪ね下さい」と書いてあった。そしてその日のうちにその速達を追いかけるようにもう一通の速達が届くのだった。「最後にまわしていた最も長い小説《目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ》を、この小説の魅力にひかれて、きっちりと最後まで読み通しました。大変立派な作品です。なんだか元気がでてきます」その日私はお茶の水の駅に隆りたって電話をいれた。わかりにくいところなので案内するので電話をいれるようにということだった。その学生街の通りは、明るい秋の陽射しを浴びて青春の匂いがあちこちにたちこめていた。教えられた教会をまがると、通りの突き当たりにベレー帽をかぶった一人の人物が立っていたのだ。それが小宮山量平さんだった。猿楽町のあのあたり一帯は〈山の上ホテル〉と名のついたホテルがあるくらいストンと傾斜になっていて、男坂女坂が上の街と下の街をつないでいる。小宮山さんは私をむかえるために傾斜のきつい男坂の右段をあがって迎えに出ていたのだ。その石段は七十をすぎた人にはちょっと息のきれるばかりの坂なのだ。

 アトリエと名がついた書斎風の部屋に連れこまれると、日本茶をいれてくれ、信州から届いたという柿を自らむき、そしてあなたの作品のなかで自分がとても気にいった箇所はあそこだ言った。その箇所は実は私もまた会心の出来栄えだと思っていたところだったから、なるほどこの人物はたしかに深く作品を読み込んでいるのだと私はちょっとたじろぐのだった。いま自分の手許に水準をはるかにこえた二三の原稿があるが、これらの作品をどのようにして出版するかいろいろと思案を重ねていたが、あなたの作品を手にして自分がいま長い出版人生の一つの総決算をする仕事に踏み出す心づもりができたと言い、そのプランなるものを熱情のなかで話すのだった。その新しい仕事は小宮山さんのなかで次第に成熟していくようにみえた。出版界に向かって若々しいきらめくばかりの宣言をしたり、RKO工房という事務所を旗揚げしたりしてみた。しかしまた事が思うように進捗しないことを嘆くように小宮山さんは何度もこう言われた。「私がもう十年若かったならばなあ」と。結果的にその試みば結実しなかった。この長編もまた小宮山さんの手では本にならなかった。しかし私はこの出会いによって自分がこつこつと築き上げてきた世界をしかとたしかめることができたのだ。一千冊以上もの本をだしてきた小宮山さんの著作を読むとき、本物の作家、真正の作品という評価がどんなに深い言葉を意味するのか瞭然する。私はその後なにものにもおそれなくなった。何事にも揺らぐことはなかった。私はただ本物の作品を書き続けていけばいいのだ。その幸福なめぐりあいは、私にとって一冊の本にするよりも大きな出来事だったといまは思うのだ。

 それからさらに、その幸運に誘われるように新しい幸運な出会いがあるのだ。積さんと島村さんという二人の人物が私の事務所にやってきて、近々定期購読者五百人をめざす発行部数五百部の小さな雑誌を発行するが、そのなかに短編を連載していただけないだろうかというのだ。そして彼らはその小さな雑誌の誌名を言った。私はそのときちょっと言葉にならないほどの衝撃をうけたものだった。なんとその名前が「草の葉」だというのだ。いまの日本にホイットマンの詩などを愛読する人間など存在しないと思っていたのだ。二人はさらに私を驚かせる。「草の葉」を軌道にのせたら、《草の葉ライブラリー》を刊行していくつもりだが、そのなかであなたの全作品を刊行していきたいと言うのだった。どこで手に入れたのか二人はすでに私の主要な作品を読んでいるのだった。それはなんだか狐につままれたような出会いであった。小さな雑誌は発行された。《草の葉ライブラリー》も刊行をはじめた。ぞくぞくと作りだされていく彼らの仕事をみるとき、彼らが孕んでいるその仮説の大きさ、新たな地平を切り開こうとする先駆的な仕事の大きさに眼をみはるばかりだ。「草の葉」の仕事はまさしく今は無であるが、やがてすべてになるのだという冒険と実験のなかにある。「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」はまことにこの小説にふさわしい人々の手に落ちたのだという思いをあらためて強く感じるのだ。

 こうして闇のなかにあった小説はいまはじめて創造の円環の輪をとじることになった。筆をおこして三十年にも及ぶ長い月日だった。したがって私はこの〈草の葉ライブラリー版の序文〉を例えばブラームスの交響曲第二番の第四楽章の、あらゆる楽器が全斉放して喜びと解放の歌を奏でるように、高らかに結ぶことができる。闇のなかをさまよっている無名の若い作家たちに、あるいは私たちが去った後に次々にあらわれてくる言葉の農夫たちに刻みこむ勇気と光の第四楽章を。

 無名の作家たちが立っている現実をなじったって事態は一向にかわらないだろう。依然として懸賞小説という虐殺の砦は存続するのだし、読書社会の土壌を豊かにするためのより本質的なより核心的なことに手をつけるわけがない。したがって作家もまた多くの孤軍奮闘する芸術家のように、貧困にあえぎながら一歩一歩自己の信念を貫いていく以外にないということになる。そのとき私は祈りとともに忠告するのだが、決して懸賞小説にむかって歩いていってはいけないのだ。あんなものにかかわっていると君の作品ばかりか、君の魂まで打ち倒されてしまうにちがいないのだ。何度投稿しても君はけっしてその穴をくぐり抜けることはできないだろう。なぜなら君は本物の作家になる魂をもった人だからだ。あんな針の穴をくぐり抜けるために命を削りとって言葉を書いているのではないのだ。あんな穴をくぐり抜けようと考えること自体が恥ずかしいことなのだ。

 ではいったいどこに向かって書いていけばいいかということになる。作家はその作品を読書社会に送り出したいという熱烈なる希望のなかに生きているものなのだ。しかし君の作品を本にする出版社などどこにもない。試しにたったいま書き上げたゆるぎない傑作だと信じる作品を出版社に送ってみるがいい。けんもほろろにあしらわれる。作家にとってその作品を出版社に預けるということは神の手に捧げる心境なのに、まったく彼らのあしらいかたは我慢できない。無名の作家にとってまことに生きにくい時代、艱難辛苦の時代なのだ。だからといってここでへこたれるわけにはいかない。そうではないか。もしここで君が打ち倒されたら、君は実は作家ではなかったということになる。君はただ作家という職業にあこがれただけの人間だったということになる。君のなかには表現したいものがあふるようにあって、そのあふれるものを言葉によって刻みこみたいという信仰に到達したからこそ、作家として世に立とうと決意したのではなかったのか。だったら書き続けよということなのだ。長い小説を、短編を、中編を、ただ書き続けよということなのだ。それが売れようが売れまいがそんなことはどうでもいいのだ。ただ書き続けること。そのことでしか脱出できないではないか。

 一円の金にもならない言葉を書き続けるということは、それだけで迫害と嘲笑のまとになることうけあいである。まったく一つの長い小説を仕上げるには日常の生活から脱落して、世捨て人のような生活をしなければならない。そういう日々が何年も続いていく。罵声を浴び、ときには石さえ飛んでくることもある。しかしそれでも書くことを捨ててはいけないのだ。君はその長い小説を書き上げることによって、はじめて作家になるのだ。君はもともと作家となるために生れてきたのではないのか。そのことを生涯をかけて証明するために生きているのではないのか。それならば書き続けなければならない。書くことによって君は君になっていく以外にないのだ。峠は限りなくある。一つの峠を越したらまた新しい峠がまちかまえている。その峠をこすたびに強くなっていく。また一つ高い峠をこすごとに作家になっていく。作家になるにはベストセラーを出したり、どこかの文学賞をとることによってなるわけではないのだ。

 君の言葉はようやくたった一人でこの地上に立つことができるようになる。世界に刃向かう抵抗の言語となっていく。強く美しくたくましい物語の世界を次々に打ち立てているのだ。そのときたった一冊の本をこの世に送り出していなくとも、君はまぎれもなく作家なのである。強くなった君の内部に出版社が育っていく。孤軍奮闘する君にやはり出版社は必要なのだ。書くエネルギーを与え、君の魂を支え、君は一人ではないこと告げる出版社が。それは幻想ではない。この日本にはまた腐るほどの出版社があり出版人はいるのだ。君の作品を評価し、君の魂に打たれ、君の作品を命がけで本にしようとする出版社は必ずあるはずなのだ。君の魂を見殺しにするほどすべての日本人が冷たいわけではない。したがって作家はどこに向かって書いていけばいいかというと、君のなかで育っていく神の手となる出版社にである。そこに向かってあふれる言葉を刻みこみ、たくさんの物語をつくりだしていけということなのだ。かならず神の手たる出版社と出会う日がくるのであり、そのときまでおそれることなく書き続けよということなのだ。


 
  

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