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万年山の怪光  帆足孝治

あいこの13

山里子ども風土記──森と清流の遊びと伝説と文化の記録   帆足孝治


 懐かしのカバヤ文庫

 戦後しばらく姿を消していた砂糖が巷に出回るようになって、駅のお祭りではカルメ焼きや綿菓子などが見られるようになり、町では懐かしいキャラメルを売る店も出た。森小学校の鳥居のそばの角にあった高倉の店では、画用紙や鉛筆などの文房具のほかに野球選手のブロマイド、花火やパッチン(メンコ)、ラムネ(ビー玉)、ゴマ(コマ)、ゴム銃などのおもちや、飴玉やキャラメルなどのお菓子も売っていたが、私はカバヤキャラメルが気になってしかたがなかった。

 昭和二十五~六年ごろの男の子たちが一番欲しがったものの一つは、カバヤ文庫の本ではなかったろうか。あのころのカバヤキャラメルは、とくにこの田舎町では森永ミルクキャラメルや明治クリームキャラメルよりもずっと人気があり、あの中に入っているターザン、チーター、ジェーン、そしてカバのカードを真剣に集めたものである。

 チーターやジェーンのカードはしばしば出てくるが、カバのカードにはなかなか当たらなかったのでこれを当てると子供たちの間ではたちまち評判になるほどだった。これらが揃うと、その買った店でカバヤキャラメル十箱と引き換えができ、またこれを岡山県の何とかいう所のカバヤ製菓本社まで郵便で送ると、カバヤ文庫と呼ばれる絵本シリーズのどれか好きなもの一冊を送ってもらうことができた。

 私も一度だけカードが全部揃ったことがあり、さっそくカバヤ文庫の「アフリカの動物」を一冊送ってもらった。やや変形上質紙のカバーのこの絵本を、私は長い間、宝物のように大事にしていた。いつかテレビの[お宝拝見]番組で、このカバヤ文庫の本をシリーズで集めていたという人が現れて、私はそのもの持ちの良さに驚かされたが、それは本当に私たちの世代にしかわからない憧れだった。

 カバヤについてもう一つ忘れられないのは、そのころカバヤ製菓の宣伝カーが一度この森町にやってきたことである。愛嬌のあるカバの形をした茶色い自動車は、中津にでも行く途中だったのだろうか、賑やかにスピーカーで音楽を流しながら塚脇の方からやってきた。偶然これを見掛けた私はしばらくその後をつけて回ったが、春日町あたりでしばらく子供たちの相手をしたあと、その「カハ号」は森町を抜けて耶馬渓の方へ走り去った。私はカバヤ文庫の絵本を送ってもらったばかりだったので、何だかこのカバヤ製菓の宣伝力が懐かしく、わざわざ私に逢うためにやってきたような気がしてならなかった。

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 万年山の怪光

 森町は周囲を完全に山に囲まれた森川沿いの狭い盆地にあって、大きな商店も工場もなかったので雨や曇りで月のない夜は本当の真っ暗闇になった。人工的な明かりが少ないので暗くなるのは当然なのだが、実はそれが不思議なことに、曇った夜などは盆地の底は真っ暗になるのに、上空は結構明るく、周囲の山々の稜線が黒々とはっきり見えるほど明るくなることが多かった。

 特に夏の夜など、外に出て天を仰いでみると空か驚くほど赤く輝いているように見えることがある。ちょうど山のむこうに火事でもあって、その火が厚い雲に反射しているような怪しい光り具合なのである。実際には大した明りではないのだが地上が暗いだけに空がうんと赤く見えるらしい。特に、玖珠盆地の南に屏風のように連なる万年山の方の空を見やると、山の向こうが真っ赤に見えるほどで、私などは子供の知恵で周囲が暗いので阿蘇山の噴火が雲に反射するのだろうかと思ったほどである。

 小学校の同級生だった後藤ツヤ子さんなどは、自由発表の時間に、「夜おばあちゃんとお風呂に行った帰り、あまり空か赤いので気味が悪かった」と、その怪光の印象を教室で語ったことがあるほどである。結局だれも、夜の空か赤く輝くというその怪しい発光現象の確しかな原因が分からないまま、皆んなそれを不思議に思っていたのである。

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 アメリカのシエラネバダ山脈にあるシャスタ山は、昔から怪光が出ることで知られているというのを私は何かの本で読んだことがあるが、きっとこの玖珠盆地と同じような自然現象があったのにちがいない。私はあの空の赤さが、いつも曇っている夜に限って起こることから、あれは一種の放電現象ではなかっただろうかと想像している。私は科学者ではないのでそんなことが実際にあるのかどうか知らないが、自然の静電気がゆっくり放電するため空を赤く染めているように思えてならない。

 確かに稲妻のように一度にピカピカッと光ることはないが、消した後の蛍光灯がいつまでもボーツと明るく見えるように、静電気が稲妻を発生させるほどではないにしても空中に溜まったあげく、ゆっくり放電するのではないかと想像するのである。

 私の姉が嫁いだ宇佐郡八幡村乙女の荒木(現在は宇佐市荒木)という所は、かつて海軍の飛行場があったほど広い所だが、私か子供だった頃は遠くに柳ケ浦機関庫の明かりが見えたものの周囲は田圃だらけで何もなかったから、月のない夜は本当に暗くなった。あの辺りの闇夜の暗さは玖珠の比ではない。平野で海も近いのになぜだろうか。

 私は一度そんな暗い晩に、近くの煙草屋までおつかいに行かされたことがあるが、表に出てその暗いのに驚いた。私は左右とも視力一・七と目がいいのが自慢だったが、その時だけは一瞬、私は鳥目になってしまったのかと疑ったほどである。明かりがなくても道は夜目にも白く見えるというが、あそこの闇夜は全く別である。私は慣れた道を行ったのだったが、道を外れていないかどうか文字通り手探りしなければ進めないほどで、恐る恐る歩いているうちに全く突然女の人にぶつかって肝をつぶした。

 相手の女の人も買い物か何かで歩いていたらしく私とぶつかってよほど驚いたのだろう、「ウワアワアアアーツ」と、まるで幽霊にでも出会ったようなわけの分からない恐ろしい声をあげた。お互いにぶつかるまで全く相手に気付かなかったのである。

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