なぜ人の間と書いて人間というのか?
「鏡」という漢字は「金」と「意」ではない。
「金」と「竟」という字である。「意」じゃない。
下のところが「心」じゃないのだ。
このことから鏡は心を写さない。ということを小学校の時に先生に聞いた覚えがある。
鏡は、目の前のもののただただ姿形を写しているだけである。
だから笑ったら鏡も笑う。
怒ったら鏡も怒る。
ポイントなのはいつも鏡の中の自分ではなく、まず自分から変わらなければ、鏡の中の人間(自分)は変わってくれない。
これと自分が見ている人、世界、現象などは一緒ということ。
例えば、2人で映画を見ていたとしよう。
自分は感動して泣きながら見ていた。隣を見ると、鼻をすすっている。
100%隣の人も自分と同じように感動したんだろうと思うに違いない。
しかし、、、それはただの花粉症かもしれないのだ。笑
人は物事や現象を自分の見たいように見える。
見たいように見ることができるのだ。
人は鏡なんだとしたら、鏡の中の人物を変えようとしてもそれは変わらない。
まずはいつでも自分から変わる必要がある。
この言葉もあるように、自分がどう捉えて、どう行動するか?で世界の現象は変わらなくても、変わったことになるのだ。
つまり思った通りになるということなんだ。
人生全て思った通りに行く。
思った通りに行ってない人なんてこの世に存在しない。
現状不満足な人も、それを思ったから今そこにいる。
人は目標達成の達人である。と誰かが言っていたのを聞いたことがある。
全部自分が選んだ選択の結果なんだ。
大事なのは、本当はどうしたいのか?を見失わないこと。
これがとても大切。
人間はいろんな現象が起きた時に、本当はどうしたいのか?を見失うことがよくある。
本当にしたいことの真逆をしちゃうことってよくある。
そういう時、人間はとっても動物的だ。(人間も動物だけど)
その本当の目的を見失わずにするには、一回立ち止まって、本当にこれをしたいのか?
それを考える必要がある。
何か「刺激」がきた時に、「反応」する。その間に「理性」というスペースを作って考える。
そうすると人間的な「反応」になる。
なぜ人間的な「反応」が大事か?は、動物たちの今までの過程を見たらわかるだろう。
動物的な反応ばっかりしている動物たちは、いつまで経っても進歩しない。
文化を作れない。文明を作れない。
人間だけが自分の一次感情を剥き出しにするんではなく、
それを抑えることができる。
それを抑えて、本当はどうしたいか?というところを正直に伝える。
これができる人を
人間
↑スペース(間)をつくれる人。
と定義している。
かっこいい人間になり続けよう。
そしてそれを突き詰め続けよう。
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