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中條 狭槌 -洒落っ気パラダイス-

群馬県西部にある甘楽郡。

近くには工場見学などが楽しめる無料のテーマパーク「こんにゃくパーク」があり、少し足を伸ばせば世界文化遺産に登録された富岡製糸場にも近い。

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そんな小さな田舎町に、ひときわ異彩を放つ不思議な場所がある。

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「アートランド竹林の風」「ナニコレ珍庭園」「ふれあいセンター銘酒館」「名勝楽賛園」などいくつものサイケデリックな手書き看板が掲げられ、周囲にはたくさんの廃品が並べられたその場所は、見所満載で眺めているだけでも時間を忘れてしまうほどだ。

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道路を挟んだ向かいの家には、「中條家」と大きな文字で書かれた同様の装飾が施されており、ここが作者の家であることは明らかだ。

その住まいを見上げると、二階の窓には「ゆ」の暖簾が掛けてあり、「男」「女」と手書き文字も見える。

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外には、マネキンの首だけがお湯に使っているようなオブジェがある。

見れば見るほど異様な外観だ。

しばらく眺めていると、玄関から出できた初老の男性に「ここ銭湯なんですか」と思わず声を掛けた。

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男性は鋭い目つきで僕を見つめながら、「そうやって聞かれるのが楽しみであそこに掛けてんのよ。あの暖簾は通販で買った」と教えてくれた。

この人こそ、こうした作品群の生みの親・中條狭槌(なかじょう・さつち)さんだ。

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中條さんは、昭和15年に甘楽郡小野村後賀(現在の富岡市)で4人兄弟の末っ子として生まれた。


俺が2歳の時に、お袋が病気で亡くなって、「育てられないんで」と子どもがいない家に一人だけ預けられて養子になった。正式な養子縁組の手続きは小学校へあがるときだったと思うけど。だから、旧姓は吉田なの。
幼くして両親や兄弟3人と離れて生活することになった中條さんだが、小さい頃は、絵を描くよりも『おもしろブック』『冒険王』などの児童雑誌や小説を読むことに熱中したという。中学校に入ると、文章を書くことが好きになった。そのきっかけは、赤城山に遠足に行った感想文を先生に褒められ、みんなの前で読み上げられたことだ。この時の喜びが原動力になって、それからレポートのような文章をたくさん書くようになった。

卒業後は、家の農家を継いで働いた。

養蚕業に取り組む小さな農家で、この家の向こう側にあったバラック小屋の二階で蚕を育てていたという。

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養蚕は絹の材料となる繭を作る農業で、「蚕」は高値で取引され、多くの富をもたらしたため「おカイコ様」として大切に育てられてきた。

中條さんの家でも、「お蚕が育ってきて、場所取るようになると人間はどっかの片隅に寝て、お蚕様が主役でそのうちを占領するわけ」と当時を振り返る。
 
そのうち生家で庭師をやっていた実父が亡くなり仕事が忙しくなったことで、後を継いでいた実兄から「手伝ってみねぇか」と誘われ、昭和39年から庭師の仕事を手伝うようになった。

以後、10年ほどは養蚕と庭師の仕事を兼務していたが、やがて育ての両親も亡くなってからは、家庭菜園で野菜を作る程度で、庭師の仕事が中心になったそうだ。

養蚕は随分前にやめた。中国産の安い絹が入ってきて採算的に合わなくなって、みんなやめたわけ。だから、この甘楽・富岡地区で現在も養蚕業を続けてんのは、5軒あるかどうかだね。ただ、いまは富岡製糸場のこともあって、行政で繭代を上積みするような体制が整いつつあるんで、価格面ではある程度いいとは思うけど、どの家も養蚕道具を処分しちゃってるからね。

師匠である実兄と一緒に13年間働いた後、中條さんは独立。

36歳の時には、知人の紹介で3歳下の奥さんと結婚し、やがて娘を授かった。

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聞けば、作品が立ち並ぶ広大な敷地は、もともと畑だった場所を再利用したものだという。

それも以前は現在より3メートルも低かったそうだ。

事の始まりは、土木業者がその畑に「残土を捨てさせてくれ」と依頼してきたこと。

ところが業者は8割ほど埋めた時点で、どこからかクレームが入り途中で来なくなってしまった。

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仕方なく、毎年大型トラックで中條さん自ら土砂を購入し、なんとか平地にしたものの、石ころだらけの土地では作物も育たず思案を重ねていた。

転機が訪れたのは、10年ほど前(取材当時)のことだ。

娘が免許を取って車を買うにつき、アルミのカーポートを最初につくったの。しばらく使ってたんだけど、その後娘がアパートへ出て使わなくなったんで、それから色々足していったわけ。カーポートは最初、片屋根だけだったんだけど、もう一つ足して合掌造りにして、あとはプロの大工に頼んだりして巡りを囲って、部落の集会や飲み会場に使える部屋をつくった。我が家の来客の応対なんかにも使ってるうちに、どんどん物が増えてって。急に目覚めちゃってね。基本は廃物廃材アートで、あとはシャレとユーモア。

案内された小屋の中へ入ると、たくさんの銘酒を揃えた部屋や集落の楽しそうな宴会の写真、それに参加票まで貼ってあり、いまにも宴の声が聞こえてきそうな雰囲気だ。

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奥の「アダルトルーム(セクシー)」という小部屋に入ると壇蜜のポスターで部屋中が埋め尽くされていた。

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壇蜜は、俺が好きなの。器量が良くて魅力的な女性が好きでね。年上なら、藤あや子が大好きだし、グラビアアイドルなら、橋本マナミがいい。美人で魅力的な女性は、性格は二の次ですぐ好きになるね。

この小さな部屋で中條さんが悦に入っている姿を想像すると、なんだか僕も笑みが浮かんできた。

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部屋を出たときに気づいたが、扉には「壇蜜と密談中」というダジャレまで書いてある。

まさに看板に偽り無しだ。

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その扉の上には、藤あや子の切り抜り抜きまで貼ってある。

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そして、なかでも目を引くのが、敷地内に点在する大型遊具などを利用した巨大作品で、様々な廃品を組み合わせたそのセンスは、とてもユニークだ。

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多くは閉園した保育園の下請けをしていた土建屋が解体処分に困り持ってきたものを譲り受けたそう。

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それにしても、ベンチの上にポットが陳列してあったり、ブランコの上に「象さんジョーロ」が置いてあったりする様は、まるで高尚なコンセプチュアル・アートにも見えてくる。

一工夫しているのは、とにかく見て面白いようにやってるわけ。だから他人の目はものすごく意識してるね。この辺りは、一本道で迂回路がなくって、みんなここを通るから、近所の人はみんな知ってる。つくり始めは目立たねぇから話題になんねぇんだよ。だけど、最近は平均すると1日に1組くらいは見学者が来るわけ。わざわざ見学者の対応まではしていないけどね。まぁ、美術館に行くことはないけど、アートに興味はあったね。勉強なんかしたことないけど。だから、誰かのアドバイスを受けてるんじゃなくて、100パーセント、俺の意思。それと、庭師ってのは、親方もそうだったけど、雨が降ると仕事しないから、その時につくってた。今は、「庭師の仕事をやめよう」と思って10年以上経ってるけどね。力がなくなってハシゴを軽トラに乗せて下ろしたり現場で立てたりが力がなく難儀になって。それに、あと4年立つと男の平均寿命に達するわけ。だから、この家は遠からず空き家になるけど、老後の生き甲斐だから俺の人生に後悔はない。遠くから来た人が感想を言ってくれたり褒めてくれたりすれば、やっぱり嬉しいわけ、だからやってよかった。今後は俺も国民年金生活に入るんで、あんまり増やせねぇけど、1年前と同じじゃ自分もつまんないし見る人もつまんないから、少しずつ増やしていきたい。

そう呟く中條さんだが、カーポートの費用まで入れると、現在までに600万ほどは使っているとのこと。

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とても誰もが気軽に出来るようなことではない。

そして、庭師の仕事同様に続けているのが作品の制作だ。

6年ほど前(取材当時)からは自宅の装飾も開始。

廃材を持ってくる業者から不用品を安く買い取っては飾り付けるようになった。

自宅玄関口には数種類の腕時計が並び、その上にはカメラや日本刀までが並んでいる。

すぐ下には、交通安全の表彰状も見えるが、「目覚ましい活躍をしなくても、ある程度の年数をやると日本のあらゆる組織は表彰することが多い。富岡交通安全協会の秋畑支部長を6年位したわけ。それであるわけだ」と謙遜する。

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他の部屋も屏風を切り離して引き戸にしたり、戸棚には藤あや子をコラージュしたりと、自宅も中條さんのやりたいように改造が施されている。

特徴的なのは、廃棄されたものを一つも無駄にすることなく使用していることだ。

女房はあきれてるみたいで、俺のやってることは完全無視。夫婦だから呆れてるのが分かるわけ。ただ、女房は人間ができてるから「やめて」とは言わない。亭主の好きなことを女房にけなされると、亭主としてはこれだけ腹の立つことはない。夫婦関係も悪くなるしね。

よく考えたら、奥さんからも黙認されているし、彼の表現に反対する人は周囲には誰もいない。

これは本当に凄いことだ。

時に、小さな共同体の中では、こうした表現は通常「異質なもの」として阻害されることが多い。

ところが、ここは年に3度ほど集落の人たちが飲み会で活用している。

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だから、誰でも自由に立ち入ることができるように、どこにも施錠はされていない。

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「盗難の心配はないのか」と伺うと、「ずっと昔に一度だけ小型冷蔵庫が盗難にあったくらいだ」という。

ここには、異物を排除する目はないのだ。

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実際に集落の行事などで使われているという有益性や、「昔から人を楽しませることが好きだった」という中條さんの人柄が、この場所を人々のアジールにしているのだろう。

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そんな聖域の中で、壁に描かれたダジャレに笑みを浮かべながら、僕もしばらく佇んでみることにしよう。

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<初出> ROADSIDERS' weekly 2017年3月22日 Vol.253 櫛野展正連載

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