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暗き青春①中学校1年生 一瞬の煌き

いじめっ子にこの身を堕とした小学校が終わった。

この頃私の家は貧乏になっていた。母親と祖母の折り合いが悪く祖母の大きな家を出る事になり、家賃5万円のワンルームで母親と同居する生活が小学校6年生から始まっていた。
今にして思えば小学校の内は転校しないで済むようにしてくれていたのかもしれない。
中学校入学と同時に市営住宅へ引っ越し、中学校は私が通っていた小学校の学区とは全く被らない学校へ入学する事となった。

即ち公営住宅へ優先的に入れる程度には貧困に陥っていた。
まぁ今にして客観的に考えれば当たり前である。実家の支援のないシングルマザー/ファザーで困窮せずに過ごせる人ははっきり言って限られているだろう。

だが、そんな状況と裏腹にこの頃の私の心は比較的明るかった。
まず祖母にはずっと暴力を振るわれていた。
頭を本棚にガンガンと打ち付けられ出血する様なレベルである。
したがって私はおばあちゃん子などと言うのとは対極にあった。
小学校5-6年にもなったころには70歳前後の老人にはさすがに力でも対抗できるようになっており、暴力を振るわれる事もなくなっていたが、友人づきあいすら、農民の子と付き合うな!などと言われる旧華族の出が誇りの祖母の事はやはり嫌悪していた。
これと離れて、まだそのころは好きだった母との暮らしが嬉しかったのかもしれない。
まぁ母も祖母と似たような性格なのだが、比較対象としてもっとひどい祖母がいたのでこの頃は嫌いにならずに済んでいたのかもしれない。

さて私はもちろん今では普通の中年おじさんなわけだが、自分で言うのも気恥ずかしいが、この頃人生のルックス面のピークを迎えていたらしい。
色白で華奢、顔はそれなりに整っていて、さらに第二次性徴は比較的遅れているタイプであったためか、中学校に入学するやいなや、ほどなく上級生の女子に可愛いだの、綺麗だの、しまいには登校時に遠目から黄色い歓声を浴びる様な、ある意味バラ色の時期を過ごす事になった。
もう一人S君(小学生時代のS君とは別人)も同じような扱いをされており、上級生の女子に人気の二人、みたいな位置づけになり、そんな時期が半年くらいは続いていたと思う。

しかし生来コミュ障の私である。2-3か月もすればその独特なキャラクターがバレてくる。
さらに私は、S君とは違い、運動も苦手であった。
そして徐々に第二次性徴による顔形の変化も伴い、いつの間にかそのポジションは失われていった。
私の唯一のモテ期はあっけなく終わったのだった。

だがそれでも、この時期の私は今にして思えば呪われた氷河期世代の生い立ちの中では、悪く無い時期であったかもしれない。

しかしこの後、徐々に親との関係、貧困が、この人生に影を落としていくこととなるのだった。

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