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訪れた国

Episode 2 – Myanmar

 

 30年ぶりに着陸したヤンゴン国際空港は、コンクリートと鉄とガラスの近代的なターミナルビルになっていた。1982年に訪れたラングーン国際空港は木造平屋建てだった。到着ロビーを出ると前は大きな広場になっており、見たことのある日本車が次々と駐車スペースから来て到着客を乗せて出て行く。市街地に入ると自動車専用の高架橋や近代的なビルが立ち並ぶ街が現れる。かつてのビルマはミャンマーになり、ラングーンはヤンゴンに変わったことが実感として感じられた。

1948年に独立したビルマは国連事務総長(ウ・タント1961-1971)を輩出した国だ。1962年にネ・ウィン将軍がクーデターを起こして大統領に就任し、鎖国的な政策が取られた。軍事政権下ではあったが1974年頃から10年間くらい外国への窓を開けた時期があった。1981年に経済政策の失敗から彼は大統領を辞職したが、ビルマ社会主義計画党(BSPP)の議長として実権を握り続けた。しかし、経済状況は改善しなかった(後出するラングーン大学ボート部員の一人は1985年に母国に見切りをつけて徒歩で隣国のタイへ出国しシンガポールへ来た)。

1988年にソウ・マウン国軍最高司令官がクーデターを起こしネ・ウィンに代わって政権を掌握した。市民に対する締め付けがより厳しくなる中で、アウンサンスーチーが国民民主連盟(NLD)を結党した。しかし、軍事政権は選挙前の1989年に彼女を自宅に軟禁した。その後も解放と軟禁は繰り返されたが、2016年54年ぶりに彼女の率いるNLDによる文民政権が誕生した。

軍事政権が世界への窓を開けていた1981年にラングーン大学ボート部が香港選手権レガッタに参加した。また、彼らは名古屋がオリンピック開催を目指して開催した1982年の東アジアレガッタにも参加した。その時の縁がきっかけとなって1982年の暮れから正月にかけて家族でビルマを訪問することになった。

当時の観光ビザは8日間だが購入した航空券は9日目のラングーン出国便だった。1日とはいえ不法滞在になると出国時のトラブルが予想されたので、出国便の8日目への変更が必要だった。しかし、ラングーンには国営旅行会社が一つあるきりで簡単に変更ができるとは思えなかった。というのも、到着した晩に泊まる予定のインヤレイクホテルの予約の確認は国際電話が通じなくて出発前にできなかったし、経由地のバンコクからの電話連絡もつかなかったからだ。

不安を抱えたままの入国だったが、到着してみるとホテルの予約に間違いはなく、すんなりとチェックインできた。国際電話は通じなかったが、ビルマの人たちは責任感を持って確実な仕事をする人たちだということを知った。初めての国への訪問ということで張りつめていた緊張がすっと解けて安眠できたことが思い出される。

ラングーンの市内観光ではシュエダゴンパゴダを訪れて、たくさんのビルマ人がお参りしているのを見た。なんと信心深く穏やかな人たちなのだろうと、ホテルで働く人たちに感じた同じ印象は疑いのないものとなった。

また、家族でホテル周辺を散歩していると、年配の女性が日本語で話しかけてきたことがあった。「どこから来たの」などと世間話をしていると、家が近くなので昼食に来ませんかと言う。「えっ」と思いつつ待ち合わせ時間を決めて別れた。約束の時間にホテルを出てみると彼女は待っていた。家へ案内されると家庭料理で大変豪華なもてなしを受けた。初対面でなぜ招待してくれたのかはいまだに謎だ。

一方、入国検査では煙草かカレンダーを持っているかと聞かれたし、旅行社へ国内旅行の申し込みに行ったときは、別室へ呼ばれて煙草を持っているかと聞かれたりしたので気が抜けないという印象もあった。救いは持参のアメックスだけがクレジットカードで使えたことだ。しかし、今回アメックスは使えなくなっていた。

さて、航空便の変更について思案した挙句に頼ったのはラングーンの市内観光に参加した時のバスガイドさんだ。ビルマ人を信じて家族全員の航空券を彼女に渡して3泊4日の国内旅行中(インレー湖、マンダレー、パガン)に出国便を変更してくれるように頼んだのだ。国内旅行を終えてラングーンに戻ってきたとき、迎えに来てくれた彼女は8日目の出国便に変更してくれていた。

2014年に訪れたミャンマーは、アウンサンスーチーのNLDが率いる活気に満ちた国だった。国も首都も名前は変わったが、人は変わっていなかった。30年前と同じようにシュエダゴンパゴダには多くの人がお参りしていたし、遠慮深く短気を起こすことのない穏やかな人たちは、自由を満喫し経済活動に忙しそうだった。

明らかに国際社会から遅れて発展途上にあるミャンマーで、社会の遅れを取り戻そうとする彼らの勤勉さには目を見張るものがあった。わたしたちが東南アジアで仕事をするとき、ミャンマーは最もストレスを感じない国ではないだろうか。

コロナ禍もあって2021年の軍事クーデター以降のミャンマーには行っていないので、最近の現地事情はよく分からない。ただ、かつての仕事仲間は健在ということは伝わっている。唯一の気がかりはアウンサンスーチーが軍事政権により再び拘束されていることだ。

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