スケープゴート(2/4)
2/4
徐々にスケープゴートの攻撃がブロイラーマンを捕らえ始めた。純粋な戦闘能力ではほかの古参に劣るスケープゴートとは言え、ブロイラーマンは三連戦であり、こちらからは手が出せない。
ボクシングの試合なら戦意喪失で敗退するところだ。だがブロイラーマンはスケープゴートを攻撃しない。攻撃できない。
スケープゴートは眉根を寄せた。
「闇撫の魔女は肉体の限界と苦痛に詳しいんですのよ。あなたはまだ限界ではありませんわね。なぜ本気を出さないんですの?」
喋りながらも攻撃の手は緩めない。
突きの連打をブロイラーマンは必死に回避するが、時にはかわしきれず体をかすめた。穂先が浅く体を切り裂き、血が噴き出す。
「……」
「人間《血無し》を死なせたくない? ウフフ……! ある宗派の仏教徒は虫を踏んで殺さぬよう、足元を掃きながら歩くと言いますわね。あなたも聖人を目指しておいで?」
「俺の頭の中はテメエをぶっ殺すことで一杯だよ」
「まあ、わかります。あの疵女もなぜかやたらに人間《血無し》に入れ込んでおりましたから。あなたや疵女のような人は、要するに人間としての脆弱性がアップデートされないまま血族になってしまった失敗作なのです。地獄にリコールして差し上げますわ!」
(早く来いよ! クソッ、あいつに助けを求めるハメになるとは……)
スケープゴートは突きを放った瞬間、くるりとブロイラーマンに背を向けた。背中越しに槍の石突きを突き出す!
ブロイラーマンの胸板を捕らえ、彼は吹っ飛んだ。
「ぐわあ!」
その先にいた疵女は、ひょいと体を傾けて飛んできたブロイラーマンを避けた。
「おっと」
スケープゴートが眼を見開いた。
「まあ……疵女?」
疵女は地面に倒れたブロイラーマンを一瞥したのち、スケープゴートに頷いた。
「闇撫家の疵女」
その名乗りには敵対心があった。血族の血に刻まれた、家名を賭けるという意思をスケープゴートは感じ取った。
「闇撫家のスケープゴート。あなたはそちら側についたということなの、姉妹《シス》?」
「ええ。櫃児《ひつじ》くんを殺すと提案したのはあなたですね、姉妹《シス》」
スケープゴートは眼を細め、しばし記憶を巡らせた。
「あの白くてかわいい男の子ですね。ええ、そうですとも。それでわたくしに復讐を?」
「そういうことです」
スケープゴートは疵女に哀れみを込めて笑った。
「愚かですこと。闇撫の魔女ともあろうものが、たかだか平民一匹のために」
ブロイラーマンがうめき声を上げながら立ち上がる。
「遅いぞ」
疵女はスケープゴートのほうを見ながら彼に言った。
「闇撫の能力ギフトは自らが負ったダメージを他人に譲り渡す。スケープゴートの場合はあの印……邪印《じゃいん》を授けた人間に遠隔操作でダメージを譲渡できます。私のよりもずっと強力ですね」
「お前は同じ家系だろ! どうすりゃいいんだ」
「うーん……」
疵女は信者たちを見た。
「先にあの人たちを皆殺しにしちゃうのは?」
「ダメだ」
疵女はバカにしたような眼をブロイラーマンに向けた。
「あなたのそういうところがヌルくてイヤなんです。実際それしかないでしょう」
彼はひと息置いたのち、決意を込めて言った。
「お前が生贄たちのダメージを肩代わりして助けろ。できるだろ」
「ムリに決まってるでしょ! 五十人はいるんですよ」
「子どもを優先しろ」
疵女は子どもの信者たちに目を細めた。そのほとんどが汚染霧雨による変異児〝雨の子〟で、髪も肌も真っ白だ。黄泉峠は昔から子捨ての地でもある。
疵女は視線をブロイラーマンに戻した。
「必ずスケープゴートを殺すと約束してください。それが協力の条件です。九楼のときのように逃がしたら、私が生贄を全員殺してあの女を殺します」
「約束してやる」
「確認しますけれど。大人は何人死んでも構わないんですね?」
ブロイラーマンは血を吐くように答えた。
「そうだ」
「あなたのことがちょっと好きになってきた」
「俺はそうでもねえ! テメエ、アンデッドワーカーの相手をしてたなんて嘘だな?」
疵女はいぶかしげにブロイラーマンを見た。
「何でそう思うんですか?」
「俺がスケープゴートを追い詰めるのを待って、トドメだけさらおうとしてたんだろ。だが待ち切れなくなって出てきた。違うか」
「アハハ……当たり」
「……!」
女性に侮蔑的な言葉を使うなと兄に口を酸っぱくして言われていた日与であったが、このときばかりは思わずそういった言葉を言いそうになった。
ブロイラーマンは改めてスケープゴートに向かい直った。
疵女は信者たちのほうに向かう。
彼ら二人が話し合っているあいだ、スケープゴートは暗黒魔法の呪文を唱えながら印を切って集中力を高めていた。薄眼を開き、ブロイラーマンと疵女の両者を交互に見る。
「終わったかしら?」
「ああ。第二ラウンドと行こうぜ」
ブロイラーマンは口の中の血を吐き捨て、構える。
スケープゴートの槍はより大きく、大鎌と組み合わせた形状となっている。二人が話しているあいだに血氣を注ぎ込んで強化していたのだ。
「イヤーッ!」
スケープゴートは頭上で槍を回転させて勢いをつけ、大鎌を振るった。
ブロイラーマンは身を沈めてこれをかわし、スケープゴートの腹を拳で突き上げた。強烈なボディブローであった。
「ゲエッ」
スケープゴートが身をくの字に折ると、ブロイラーマンはすかさず相手の首を脇の下に抱え込んだ。一息に首の骨をねじり折る!
ゴキャッ!
「ああああ!」
年若い少年信者の額に刻まれた逆十字が発光し、消滅! ひとりでにその首がねじれて折れた。すかさず疵女が少年に触れた。逆ギフト! 黒い煙が少年を包み込み、ダメージを吸い取って疵女のものにする。
疵女は腹を打たれてよろめき、首の骨がゴキリと音を立てたが、死ぬほどのダメージではなかった。血族は人間よりもはるかに頑丈であり、ましてや疵女の耐久力はその中でも突出しているのだ。
とは言え邪印を与えられた少年少女の数はあと九人。耐えられるか。
ブロイラーマンの腕の中でゴキゴキと音を立ててスケープゴートの首の角度が元通りになる。スケープゴートは槍を捨てて両手を広げると、長く伸びた爪をブロイラーマンの脇腹に突き立てた。
ドスッ!
「うぐっ」
思わずブロイラーマンが離れると、スケープゴートはつま先で槍を蹴り上げて拾い、それを押し付けるようにして相手を突き放した。
スケープゴートはちらりと疵女のほうを見、二人の意図を察した。
「なるほど、そういうこと。おお、おお、大変だこと。人間《血無し》なんぞのために」
「死んだヤツにはあの世で詫びるさ」
「競争ですわね。疵女の体が耐えられるかしら! アハハ!」
ブロイラーマンは残り少ない体力を振り絞った。
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