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スケープゴート(4/4)

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4/4

* * *


 疵女は眼を覚ました。

 時間は深夜、廃墟の村の広場。少年少女の姿はなく、信者の死体だけがその場に残されている。

「ブロイラーマン?」

 彼を呼んだが、その姿はなかった。

「永久さん?」

 通信機も繋がらない。彼女は首を傾げた。あれからどのくらい時間が経ったのか、なぜ自分がまだ生きているのか、何もわからない。

 頭の潰れたスケープゴートの死体を見た。仇が死んだ以上、もう反血盟議会陣営に力を貸す理由はなかった。疵女はジャングルに入り、歩き始めた。ホテルに帰ってシャワーを浴びたかった。

 異態進化した植物が複雑に絡み合うジャングルは、生物の内臓を思わせる。いかなる生物の気配もない。恐れるものなど何もない血族の疵女だが、なぜだか少し不安になった。

 森に入ってすぐに自分がどちらに向かっているのかわからなくなった。血族の超人的方向感覚が働かない。何の物音もしない。汚染霧雨だけが音も無く降りしきっている。

 不意に背後で足音を聞いた気がして、疵女は振り返った。

「誰?」

 みし、みし。
 枝葉を踏む音が近付いてくる。

 疵女はそのとたん、恐怖の虜となった。その足音を知っていた。彼女は息を切らし、走り出した。足に重い泥がまとわりついているように走りにくい。

「紡《つむぎ》」

 声が聞こえた。

 疵女は振り返った。鬱蒼としたジャングルの闇の中に、確かに自分の父親の姿が見えた。額を撃ち抜かれ、死体となった父親が。

「あああ……!」

 疵女の手足は細く、体は小さくなっていた。

 彼女は十二才の稲見《いなみ》紡となっていた。今夜もあの足音が自分の部屋に来るのではないか、ドアを開けるのではないかと、一睡も出来ずベッドの中でおびえる夜を過ごしていたころの紡に。

 その足音が、紡を追ってくる。

「紡」

 父親の声がする。

 寝巻き姿の紡は泣きながら、ひとりぼっちで夜の森を走り続けた。その途中で何度も転んだ。

 森の中にさも当然のように住宅街があった。きれいな新築の一軒家がある。優しい光が窓に灯っている紡は玄関にすがりついた。

「助けて! 開けて!」

 返事はなかった。窓のほうに回ると、そこには兄夫婦がいた。赤ん坊を食卓につかせ、嬉しそうに食事をしている。赤ん坊が食べ物をこぼすと二人は笑い声を上げた。

 どれほど窓を叩いても二人はこちらに気付かない。

 父親が追ってくる。紡は窓を離れて走り出した。

 その先にも多くの家があり、人がいた。それはクラスメイトであり、同僚であり、姉妹《シス》たちであり、滅却課の課員であり、金で買ったパーガトリウムの少年であり、自分自身の手で無慈悲に殺した人々であった。

 紡はそのすべての人に助けを求めた。だが誰もが無関心で、彼女に一瞥をくれただけで、自分の人生に戻って消えた。

 紡は小さな素足を傷だらけにして走った。泣きながら走り続けた。

 森の奥に光が見えた。紡は必死にそちらに向かった。街灯がひとつあり、その下に髪も肌も真っ白な少年が立っていた。高校の制服姿で、手に紡のコスメケースを提げていた。

 紡は無我夢中で叫んだ。

「櫃児くん!」

 彼は微笑み、少女の紡に手を伸ばした。

 そのとき、紡の手を大きな手が掴んだ。ぞっとして振り返った。父親がこちらを見下ろしている。父親は紡の手を掴んで、彼女が逃れようとしていた闇の奥へと引きずり戻した。

「櫃児くん! 助けて! 櫃児くん!」

 紡は泣き喚きながら踏ん張って、櫃児のほうに行こうとした。だが幼い紡にとって、父親はあまりにも強大で恐ろしい存在だった。

「私は……人を助けたよ! 今日ね、いっぱい助けたんだよ……だからもう、そっちに行ってもいいでしょう!? あなたのいるところに行かせてよ!」

 櫃児は悲しげな顔をしているだけで、その場から動かない。

 光が遠退いて行く。

「助けて、櫃児くん……私を助けて……ここから出して……」


* * *


「ゴホッ! ゲホ、ゲホ……」

 目覚めた疵女は大きく咳き込み、悶えた。

 喘ぎながらあたりを見回す。黄泉峠のジャングルにある廃村だ。かがり火が燃え続け、死体がいたるところに転がっている。少年少女たちはおびえた様子で身を寄せ合い、こちらを見ていた。

 疵女はそばにひざまずき、自分の手を掴んでいる相手を見上げた。父親ではなかった。ブロイラーマンだった。

 ブロイラーマンは疵女の意識が戻ったのを確認すると、手を乱暴に振り払った。立ち上がろうとしたがとたんによろめき、その場にひざまずく。その体にはわずかに黒い霧が見え、新しい傷口が開いて行くところだった。

 疵女は理解した。闇撫の血が疵女の意思とは別に生存を求め、知らないうちにギフトを発動させていたのだ。ブロイラーマンはそうしてダメージのいくらかを自分に移し、疵女の命を救った。

 ブロイラーマンは残りの玄米グラノーラを残らず食べた。しばらくして傷が多少回復すると、立ち上がり、仰向けになっている疵女を睨んだ。

「これで俺とお前とのあいだには一切の貸し借りはねえ」

 疵女は目を細め、どこか無関心に聞いた。

「殺さなくていいんですか」

「そんな余裕はねえ。クソッ! 何でこんなヤツを助けるために……」

 ブロイラーマンは永久に連絡を入れ、少年少女たちを救出するよう頼んだ。そしてその場に座り込み、体力の回復を待った。あるいは迎えが来るまで、疵女が少年少女たちを殺さないよう見張っているのか。

 疵女は仰向けになったまま、真っ暗な空を見上げた。あれは夢だったのだろうか。いずれにせよ、自分は生まれ故郷に戻ってきたのだ。

 この雨ざらしの地獄へ。


* * *


 一方、リップショットは。

 ピチチチチチチ!!
 黒い小鳥たちの鳴き声は耳をつんざかんばかりであった。森の上空で群れを成して飛び、たびたび地上へと急降下をかけている。

 ドドドド!
 そのたびに樹木が砕け散り、地がえぐれる。地上にいる誰かを狙っているのだ。リップショットはそちらに急いだ。

 竜骨の姿が見えた。ボロボロだ。リップショットに気付くとフルフェイス兜を開き、驚いた顔を見せる。

「昴!? 何で来たんだ!」

「リューちゃん……竜骨! 助けに来たんだよ」

 竜骨は何ごとか言葉を噛み締めて飲み込んだ。本当は彼女に来て欲しくなかったのだろう。

 彼は構えを作ったまま正面に向き直った。

「あいつが来るぞ!」


(続く……)


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