うつ病日記【仕事ができなくなって1年超】誕生日を迎えて泣いた日のこと。
仕事ができなくなり、家からも出れなくなり
ただ、横になっていただけの12ヶ月間。
クツシタサンのうつ病日記
12月23日は誕生日でした。何かいろいろツッコミのある日に生まれておりますが
たしかにサンタクロースなど信じたことはありません。
通院日でした。
青すぎる空の下、徒歩で、銀杏のもとを歩く。
突然それがきた。銀杏並木を歩いていたら涙が止まらなくなった。
何もしない一年、いつまで続くかわからない、うつ病の日々、ただただ人に迷惑をかけて、一時期は食べ物すら困るほど貧困に陥り、社会から突き放された自分。
あんなに毎日、楽しくバリバリ働いていて、たくさん音楽をやってみんなを笑わせて
そんな自分は、もう取り戻せないと痛感した
空白の1年間。
ただただ毎日横になっている、ひとりで。
どんどん増える薬、それでも眠れない。
地獄のようなつらい毎日、療養ってなんだろう、誰にも会わず、時が止まった1年間。
死にたくなかった日なんて、一度もこなかった、
すべては自業自得。
生きている限り続くのか。
この苦しみはもう終わらせたい。
そのためには
自分自身を終わらせることしかない。
蒲田には、たくさんの電車が走っていて、立派な橋がかかっている。
ぼんやりと下を見る。
終わりで、いいんじゃないのかな。
ここから飛んだら、終わらせることができるんだな。
衝動的にこういう感情に襲われる。
もう何日もまともに眠れていない。胃腸を壊していてほぼ1日以上、何も食べていない。
こんな自分が生きていても。
この時期は、自分にとってあまりよくない。
仲の良い友人たちはみんな家庭を持っていて、クリスマスツリーの準備をしたり、子どもへのプレゼントを用意したり、美味しいクリスマスディナーを作ったり、そんなきらびやかな報告を見ることになる。
そんな中、1人で誕生日を迎える。
クリスマスには見放される。
クリスマスを祝う、そんな家庭を持てなかった自分。
プレゼントを選んで喜ばせたい、自分の子どもを持てぬまま、あれほど手に入れたかった「家庭」を築くことができず
この先も、ずっと1人でこの世に立ち続ける自分。
どれだけ泣いても努力しても、それは叶わないのだ。
どうやっても受け入れられずに10年弱。
あの時の子供が無事生まれて育っていたら、もう3年生になるのか。
忘れることなんかできやしない。
歩きながら泣くしかなかったのだ。
この先もずっと1人。
どうにか踏みとどまり
泣きながら坂道をくだり、病院に行った。
窮屈な待合室でも涙は止まらず
診察中もそんな話をしてしまい
「死にたくなったとき」
の、頓服薬を新たに処方された。
まだ、生きている。
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