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夏、シンドローム。

こんにちは、くつざわです。

この記事は私の高まりまくる感情のままにPCカタカタしただけのものなのでまとまりも意味も特にありません。突然めちゃくちゃ書きたくなったからカタカタしただけです。「なんの話やねん」が永遠と続きますが、悪しからず。


1つ、読む前に何か良いアドバイスをするのであれば

スキマスイッチの「アイスクリームシンドローム」か、ミスチルの「未来」あたりを聴きながら読むと良いかもしれません。物足りなければYUIの「Laugh away」もおすすめです。


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突然ですが、私、夏がめちゃくちゃ好きです。クラス単位で言うともちろん1番、学年単位で言っても多分1番、学校単位だといいライバルが現れるんじゃないかな、くらいのレベルだと自負しています。

人生で何度かの夏休みを経験しましたが、基本意味もなく紫外線を浴びる毎日でした。


そんな私が、ただひたすら夏の良さと思い出を語るだけの文章なので以下からはなんの生産性もないです。いつも生産性なんてないが。

8月真っ最中の気持ちになってくれたら御の字です。

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私が20年の人生で最も夏を謳歌したのは多分高校時代。


いや、小学生時代もそれなりによかった。毎日放課後カンタとかいう奴とお互いのカブトムシを戦わせていた。泥だんごもキラキラ光るまで磨いたし、家で飲むヤクルトと涼しすぎる冷房、打って変わって学校では扇風機1つで汗ばむ時間がなんとも好きだった。

扇風機さえない近所の駄菓子屋にも毎日行った。おつりが出ない金額を渡すと決まって「お!ぴったり坊ちゃん!」と元気におじさんが叫ぶ。私は坊ちゃんではない。と、心の中で幼いながらに思っていた。

運動会では目立ちたさゆえに、自分よりも大きな太鼓を担いでいた。体育座りのみんなの前を、太鼓を乱雑に叩きながら走り抜けると合わせてみんなが手を挙げる。波のような、応援団によくあるアレ。チビのくせにこんなことをするから、太ももにたくさんアザが出来ていた。

救いようのない馬鹿。褒め言葉だ。 


何も考えなくてよかった。楽しかった。

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とはいえ、中学校時代の夏もよかった。

坂の続く道を走るのが嫌で、よく自転車で登校していた。走らなければいい話なのだが、15分の二度寝の方が優先度が高かったのだ。

自転車登校がバレて顧問の緑川先生にこっぴどく叱られるが、当時の私の耳にお叱りは届かない。

部活終わりはスっちゃんの家で扇風機を浴びながら、切りたてで慣れない前髪をなびかせていた。汗でおでこにひっついて鬱陶しい。


熱気の増した部室の匂いと、セリフに線引きされた台本、スポットの光を浴びる時だけ見える空中の埃。

大きい役じゃないと嫌だった。とことん目立ちたがり屋だったことを思い出し、恥ずかしくなる。

夏の全国の舞台では、緊張で埃は見えていなかった気がする。


塩素消毒のプールの匂いも、掃除の時だけ入れた冷房の効く理科室も、塾の帰りに買うアイスも、全部好きだ。


何も考えていなかった訳ではないが、最高に楽しかった。

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高校時代が一番救いようのない馬鹿だった。褒め言葉でもなんでもない。

怖いものなんてなかったし、自分は強いと思っていた。勘違いも甚だしいが、クラスの集合写真では真ん中で寝転がるタイプで、言うなれば尖りきっていた。耳の痛い話だ。


行き過ぎた勘違いと自由な環境のせいで、映画のような夏を3回ほど繰り返した。なんだろう、高校生というのはこの世で最も輝いていて、無敵で、そして脆く儚くもある。

言うなれば賞味期限がある。3年の期限でどれだけキラキラできるか試してみたかった。(その分黒歴史の数も比例するのだが)

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高校においての「サボり」というのは、怠惰とはまた違う感覚がある。正義のような、むず痒いような。三年も続けていればそのうち熟れてしまうが。


夏は乗り換えのいらない駅まで自転車を漕いだ。ソーダ味のアイスは必須だった。海沿いの公園がいつも「2限からでいい」と誘惑してくるので、そこで海風を浴びて意味なく時間を潰す。よく考え事をした。


登校後、気分が乗らない時もある。夏は特にだ。


自分だけのお昼寝場所がいくつかあった。気分によって食べたいものが変わるように、昼寝の場所も気分で変わる。

陽の照る屋上に飽きると、別の場所を探す。美術室の外、階段横に小さな抜け道があった。人が1人横たわれるスペースがある。寝ながらアイスを噛み砕き、すぐ下の校庭で体育をする生徒たちを眺めていた。

眩しい時は文庫本をアイマスクのようにして、気が済むまで寝ていた。


友人を道連れにしてもいい。授業に飽きた時、ロッカーに行くフリをして友人にLINEをし、合流をする。

行き先は決まっていない。ロッカーでだらだらするもいいが、夏は蒸し暑い。海へ行くか、広い公園の緑の上で終始駄弁って、早弁をしていた。

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海へは歩いて20分。八百屋でトマトを買い、綺麗でもない海で潮風を浴びながら食べるなり、安っぽいアコースティックギターを取り出して、綺麗でもない音を出したりする。

その頃はスカートに浜辺の砂がつくことなど気にしていなかった。青春に海は必須アイテムだったので、払い落とす必要もなかったのだろう。


授業は退屈だった。先生がこちらの席に頻繁に回ってくるようになってからは、お菓子も食べれない、友達とも駄弁れない。ひたすら窓の外の木々を見て、おかずの作り方や、帰りにスーパーで買うものをノートに落書きして時間を潰した。夏は運よく、窓辺の席だった。


校庭で体育をする掛け声が風音と合わさり心地良く、古文の授業はだいたい寝ていた記憶がある。


部活が終わると、着替えるのが面倒で汗のついたTシャツに制服を重ねていた。

シーブリーズで汗を拭いて帰れるような小綺麗なJKではなかったのだが、蒸し暑さも関係なく、海沿いの公園をチャリで下校する。


そんな毎日を送っていた。

大人になることを求められていたのはわかっていた、何も考えなかった。

馬鹿であればあるほど、楽しかった。


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最近は窓を開けて涼しく寝れる季節になった。昼間は外に出て水鉄砲を持つ小学生がいる。


暦では「夏が始まる日」が決まっているようだが、夏は長い方がいい。私の中でもう夏はスタートしていて、毎日得体の知れないうずうずを感じている。


思えば、安っぽい夏を過ごしていた。


周りの人みたいに、夏フェスやプール、旅行なんかは特にない。可愛い水着を着た記憶も、肝試しをした記憶もない。


そんなことよりかは、教室にいた時の窓辺の風、自転車に乗ってかじったソーダ味のアイス、短く切ったスカート、理科室の冷房、粉のついた使いかけのシーブリーズ。そういった安っぽいものがどうやら好きらしい。


好きな季節、はよくある質問だが、行事ベースで考えている人が大多数かもしれない。それだとあまりにも夏を感じれる部分が限られてしまうだろう。

季節という概念の大枠は、行事に沿って綺麗に作られた出来事そのものではなく、実は日常のそこらへんにポツポツ存在している。私はそれが好きでたまらない。


そしてみんなきっとそうであるはず。

「夏祭り」が好きなわけじゃない。


ごった返す人の中に飛び込むテンション、想いを寄せる人に浴衣姿を見られるかも知れない緊張感、屋台に並ぶ様々な色彩の食べ物を選ぶ時間。

これらに加えて、徐々に涼しくなる夕方の風、気温に対照的な冷たいかき氷、汗や煙や甘さ塩っぱさの混ざった匂い、煩い人声に薄く混ざるアブラゼミの音。

合わさって初めて「夏祭り」が出来る。


冬の香りと、槇原敬之の「冬が始まるよ」を流される中で、夏祭りそのものを楽しめる強者はいないはず。


多分私は、夏祭りや花火大会がなくともある程度夏は楽しめるし、今でもうずうずしている。


それは夏祭りで感じれる「夏」が、夏祭りそのものでなくても代替可能であるものがいくつもあることを知っているから。そしてそれは日常に含まれる、安っぽいものだ。この「安っぽいものリスト」は、私の場合学生時代に経験済みである。


それに気づくと、自転車から受ける風も、70円そこらのアイスも、体に悪そうな冷房も、異常なまでに楽しい夏のイベントになる。

今年は軒並み夏の行事は消えるけど、夏そのものが消えたわけじゃない。


人より夏が好きなのは、夏を感じ取るアンテナが多すぎるからかもしれない。

とことん自分のご機嫌取りが上手な人間ですこと。



この自粛ムードで夏を迎えるのは耐えれないと思っていたけど、一足先に夏を楽しんでます。

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みんなも夏を楽しく過ごそうね。



















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