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部としての”大前提”

こんにちは。3回生の松本です。我々の代ももうじき幹部代となるという自覚から、今後の部の方針について話し合う回生ミーティングの機会が増えてきました。組織の方針を取り決める会議に際して往々にして起こるトラブルの一つは個々人の意見の食い違いであり、それは我々の代においても例外ではありません。30分程度のミーティングのつもりでも大幅に時間を延長して明確な結論が出ないまま終わるということもしばしばです。

意見の食い違いが起こることを悲観的にとらえる必要性は必ずしもないとは思うのですが、議論が堂々巡りをして何時間話し合っても明確な解決策が生まれず、うやむやなまま組織を運営することは、部の運営に関わらない部員にとっても不安を感じるでしょうし、なによりも部の雰囲気の悪化につながってしまいかねません。私は組織の方針を決定していくにあたって意見が食い違い、話が平行線のまま結論が出ないという問題を解決するためには、組織としてまず足並みを揃えたうえで議論をすることが重要だと考えます。すなわち、部としての“大前提”を共通認識として持ったうえで議論をしなければいつまでも問題の解決には至らないのです。そして京都大学硬式テニス部の“大前提”とは、全体の目標としている「東大戦勝利 七帝戦優勝 リーグ昇格」のこの3つの原則であり、どんな議題で話し合いをするとしても、京都大学硬式テニス部のメンバーの一員として議論をしている以上、この3つの目標を最優先事項として部の方針を決めることが“大前提”であると私は考えています。そして、部としての“大前提”に基づいた方針のためには部員全員が最大限納得できるような方針こそが最善の選択とは必ずしも言い切れないのではないかというのが私の意見です。個人の利益よりも組織としての利益が優先され、個人が理不尽を受け入れなければならない局面はあっても仕方のないことだと思います。

私個人としては、部の目標を優先し、個々人が組織全体の利益のために献身的に取り組む体育会的気風を尊重していきたいです。また、部活以外のテニス団体も数多く存在してテニスとの関わり方も多岐にわたり、体育会系であることの必要性が疑問視されつつある今だからこそ、雰囲気を緩めていくのではなく、体育会系らしく熱量のある組織のままでいることが体育会とその他の団体を差別化するためにも必要なことだと思いますし、この先何十年もテニス部がなんだかんだ存続していくのにこの考え方が一番いいと私は思っています。様々なテニスとの関わり方がある以上、部とサークルの線引きが曖昧になっていくとかえってサークルを選択する人が増え、テニス部を選択する人は少なくなってしまうんじゃないでしょうか。

この考え方は私の個人的な所感ですし、古臭くて息苦しく、受け入れられない人は多くいる考え方であることは承知しています。体育会的な息苦しい考え方を排斥し、個々人が最大限納得できるように理不尽な側面をもつ部則や不文律をなくしていくのが昨今の情勢にもあっていると考えるのが多数派なのであれば、それはそれでいいと私は考えています。個人の価値観や社会規範は時代によって移り行くものですし、体育会気質が時代遅れだというのが世論であればこの考え方もそれまでのものなんだと思います。

とにかく各個人の都合ばかりを優先してしまうと、どっちつかずの中途半端な雰囲気になってしまい、部として不利益を被ることになるので、部の“大前提”をもとにして部の利益を追求する献身的な姿勢こそが僕にとっての理想的な部の運営です。

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