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父さん母さんさようなら もう会いたくないね

 シェアハウスに引っ越した。シェアハウスでの生活は快適だ。住人の生活はそれぞれ独立しており、過度な干渉はなく、自分の好きなペースで過ごせる。
 いまは無職だから起床時間・就寝時間、食事時間に食事内容、日中の活動内容、今後の活動予定にいたるまですべて自分で決められる。
 その成果も失敗もすべて自分で責任を負える。ようやく自分の人生について自分が実権を握る感触がでてきた。
 なにより両親について考えなくてすむのが精神衛生上すこぶるかんばしい。

両親と生活していた頃のくさくさした気持ちの例

 生活も落ち着いてきたから、両親と精神的に訣別すべく気持ちを吐き出すことにしよう。
 人生の次のステージに移るための最後の仕上げだ。別にやる必要はないがけじめはつけておきたい。


■父へ

 親父よ、あんたは昔から自分自身のマネジメントを一切してこなかったな。
 おれが物心ついたころにはあんたはアル中で、酒を飲んで寝るたびに添い寝させられたのを覚えている。
 幸いにして暴言・暴力はなかったし、家族に攻撃的な態度をとったことがないのはあんたの数少ない手放しで称賛できる点だと思うが、それはあんたがたまたま穏やかな遺伝子の持ち主で、温厚篤実な人に囲まれて育ったがゆえだろう。
 要するに、あんたは運が良かったんだ。
 でもとうとうアル中が見過ごせない段階になって、アル中専門病院にぶちこまれただろう。
 おれは覚えているぞ。昨日のことのように。病院に連れていく車にあんたが押し込まれるとき、「酒が飲みたい、酒が飲みたい」とうわ言のようにつぶやいていたのをな。
 あれは怖かった。怖かったんだよ。小学生にはショッキングだった。明らかに呂律がまわってなくても酒を求められずにはいられなくするアルコールの中毒性も、人間があそこまで尋常ではない状態に陥ってしまう異常さも。
 わかるか? 親父、あんたは植えつけたんだ。恐怖を! ひょっとしたら自分もいつかああなるかもしれないと子どもに思わせたんだ!
 それが子どもの人生にいかに影を落とすか、根本的なところで自分本位なあんたはまるで考えたことがないだろうな。
 
 専門病院での治療を受けて以降、断酒が続いているのは、アルコール依存症の再発率の高さを考えると立派ではある。だが他人が作ったプログラムを、入院するところまで落ちて、他人の手で、強制的に受けさせられて、ようやくやめられたんだ。
 そこにあんたの意志・思考・判断は入っていない。
 実際、あんたは断酒後も喫煙はやめなかったし食事も食べたいものだけを食べ、不摂生を続けた。それまでの生活習慣をかえりみ、より健やかな生活を送るためになにができるか考え、情報収集し、行動したとは到底感じられない。
 早い話、あんたの行動には主体的な意志が入っているようにはみえないんだ。
 でなけりゃ、健康的な生活を手に入れるのにクモ膜下出血という病魔の介入、脳の障害と身体の不自由といった代償を支払う必要はなかっただろう。
 あんたは早稲田を出た秀才のはずなのにどうしてこんなノータリンになっちまったんだ?

 まあわかるよ。具合が悪くなっても、不具になっても、自分の嫁がなんとかしてくれる、世話をしてくれると思ってたんだろう?
 家庭内の金勘定や面倒事は全部任せていたものな。いまも日常的な介護は母さんがやっているし。
 だがな親父、おれはあんたのそういう自立していないとっちゃん坊やなところが大嫌いだ。
 あんたは面倒事は人に任せればいいと思っているんだろうが、尻拭いさせられたこっちがどれだけ時間や気力を消尽させられたと思う?
 エアコンを自分で点け消しするよう促さなければならなかったときは本当に情けなかった。65にもなる成人男性に「じぶんのことはじぶんでしましょう」と教え込まなければならないなんて!
 不具のあんたでもいろんなコンテンツを楽しめるようFireTVを導入してNetflixを契約し、音声入力の方法も教えたにもかかわらず、同じ番組ばかり見続けるあんたの姿を見るときの失望感は計り知れない。
 加齢による脳の衰えも、高次脳機能障害による遂行機能の低下もあるんだろう。
 それでも、ワンボタンで済むことすら人にやらせようとしたり、たくさんのコンテンツが選べるのに馴染みのある作品しか見ないのは、あんたが人生の選択肢を自分で選ばず人任せにしてきたのが端的に表れているよ。自分用のコンテンツすら自分で選べないんだからな(あんたが見続けている美味しんぼも食戟のソーマもおれが紹介した作品だ。あんたが自分で選んだものはひとつもない)。

 何食べてるんだとかどこに行ってたんだとか、顔を合わせるたびにおれのプライベートな行動をいちいち訊いてきて本当に辟易していたけれど、自分で自分の寂しさを埋められないあんたが周りに甘えて自分の心を満たそうとしているんだと考えると理解はできる。
 だがふざけるな。ふざけるなよ……!! おれにはおれの生活があり、時間があり、やりたいことがあるんだ。
 あんたの甘ったれた根性につきあわされて時間と健康を浪費するのはもうたくさんだ。
 あんたが夜な夜な起き出して餓鬼のように菓子パンを食べ散らかした跡を掃除した!
 あんたの部屋の家具をとっぱらってあんたと母さんが同室で寝られるようにした!
 あんたの障害に理解のある医者を見つけてきた!
 ど忘れした事柄を質問できるようGoogle Homeを買った! 使い方を教えた!
 売りに出していた田舎の土地の買い手だって見つけてきた!
 片手が動かないあんたでも自分でふとんを掛けられるとおれが実践してあんたに教えた!
 あれもそれも全部、あんたが自力でできることを増やさないとおれも母さんも楽にならないからだ!
 本当はこんな七面倒な世話なんてやりたくなかった! 鬱を抱えてしんどい心と身体を、何もせずに休めていたかった!
 明らかに母さんが消耗していて、下手すりゃ二重介護になりかねない状態でなければ誰が面倒事を背負うものか!
 "相対的に"体調がマシなおれがやるしかなかったんだ! 誰の助けも得られないなかで!
 介護に使える制度はいろいろあるさ。けれど介護作業や介護環境の整備そのものを任せられる人はだれもいなかったんだよ! だれも!!
 今はなんとか落ち着いているけどはっきり言って運が良かったからとしか言いようがない。
 あんたの症状に攻撃的な面が表れていたら? 母さんがそこまで我慢強くなかったら? おれの鬱がもう少し重症だったら?
 その先は考えたくないな。

 とにかくおれは自分のやれることはもう十分にやったつもりだし、たびたび不快な思いをしたから、あんたの声を聞くだけで、あんたを視認するだけで虫酸が走るんだ。
 もうあんたには関わりたくない。


■母へ

 むかしは優しく我慢強い良母という印象を持っていたけれど、親父の介護問題に面してからは、あんたは単なる面倒くさがり屋だったんだなと日に日に感じるようになったよ。問題が起こっても一時しのぎですませて構造的な問題解決をぜんぜん考えないのだから。
 親父が要介護になってからたびたび夜中に起き出したりして大変だったころは目の前のトラブルに対応するだけで精一杯になっても仕方なかったけれど、おれが介護環境を整えて落ち着くようになってからも自分が全部やってあげればいいと考えているのはなぜなんだ?
 そのせいで母さんの負担が増える、自分の時間が持てない状態に陥っているのに気がついていないのか? "環境を整備する"っておれが実践してきた発想になんら感じ入ることがなかったのか?
 たしかにおれもあまり自分の行動原理は説明はしてこなかったけど、父さんのできることを増やしたいって何度か訴えてきたじゃないか。
 せめて父さんが見る番組くらい自分で操作させろよ。あの男は甘えていいと思った相手には際限なく甘えてくるぞ。病気の有無関係なく今までずっとそうだっただろう。
 
 あんたは疑問があるとすぐおれに訊いてくる。専門的なことならともかくググったらすぐわかることくらいGoogleに尋ねてくれ。
 目の前の手のひらサイズのコンピューターはいったいなんだ? たしかにおれに訊けばその場は解決するだろうが、似たような事態が起こったらどうするんだ? またおれに訊くのか? おれは何回タダ働きさせられればいいんだ? 息子の時間ならいくら奪っても構わないと? なるほどご立派な心構えだ。そういう図々しさはおれも見習うべきなのかもしれないな。
 自分に馴染みのない分野だから億劫なのかもしれないけれど、そういう分野だからこそ自分で情報収集する癖をつけないといつまでたっても対応できないぞ。
 歳だから、なんて陳腐な言い訳を振りかざすのはやめろよな。あんたはちゃんと4年制大学を、それもMARCHに準ずるレベルの大学を、まだ女子学生が少なかった時代に卒業した才媛だったろう。学習する頭脳がないとは言わせないぞ。

 あと際限なくものを溜め込むのをやめろ。処分すべきかわからないものをとりあえず部屋に押し込むな。十年前のレシートとかもう着ない数十年前の衣類くらいさっさと処分してくれ。
 何十年も使っていないワイングラスを食器棚にしまい込んでデッドスペースを作るのをやめろ。金がかからなくとも空間を消費しているんだ。ケチなくせにどうしてそういうところは鈍感なんだ。
 本来だったらそこに新しく入るかもしれなかった物品が入らず、かといってしまい込んでいるブツは使われずでなにも有効活用されていない。
 ホコリをかぶった品々がかわいそうだ。そのくせおれが処分しようとすると怒り出すんだからもうなにをかいわんや。
 せめて箱につめて一箇所にまとめておいてくれれば手出ししていいのかダメなのかもわかるのに何もしないんだからな。
 こういう生活観のすれちがいもあんたと一緒に生活したくない理由の一つさ。

 一言でいえば、"なにも考えたくない"んだろうね。わかるよ。考えるのは面倒くさいもんね。
 父さんが自分でできるように教えたり行動の導線を整えるよりも、ぜんぶ自分がやってあげるほうがなにも考える必要がなくて楽だもんね。しかも他人から自分が必要とされて、自尊心を満たせるもんね。たとえそれが甘美な毒でも、自分の首を絞めるのがわかってもすすりたくなる気持ちはよくわかるよ。
 でも他人を助ける前に、自分で自分を救ってやらないと予後が悪いよ。
 あんたは父や孫を甲斐甲斐しく世話するし、それ自体は美徳なのだろうけど、煎じ詰めると自分より弱い存在を支配することでしか自尊心を保てないってことじゃないか?
 おれの考えや背景事情を斟酌せず自分の"お気持ち"で動かそうとするのも結局そこから来てるんだろう。
 きっとあんたは否定するだろうが、あんたはおれを"息子"って属性でみてばかりで、おれを一個の対等な人格としてみていない。
 おれはいつまでたっても手のかかる子どもだと思っているのだろうが、おれは一個の独立した人間であり、思考があり、行動理由がある。
 おれはどうしても毎日決まった時間に起きて通勤電車に揺られるのに馴染めなくて、将来性のない会社で働き続けるのにも不安を感じて鬱になった。
 それで平日毎日通勤するまっとうな勤め人は無理だと判断して、それでもなんとか生きる方法を探っていろいろやっているのに、あんたは安定した会社で安定的に働いてほしいという。直接言われたことはないが、表情や態度が明瞭にそう語っている。
 それができたらここまで人生に苦労していない。社会に馴染めない劣等感や将来の見えない不安に怯えたりしないんだよ。
 結局あんたがいいたいのはこういうことだ。「つらいことがあっても我慢しろ」。冗談じゃない。自分がそうだったからって他人に押しつけるんじゃない。
 そんな通り一遍の古色蒼然とした教訓しか伝えられないのであればせめて干渉しないでくれ。無関心でいてくれ。おれはおれで人生をやっていくから。


■今こそ自立のとき

 人間は意思のある自立した存在で、問題に面しては知恵を出し、必要とあらば協力を仰いで生活を営んでいく知的生命体だとおれは考えているが、あんたら両親をみていると自分の理想とする人間像から遠く離れていて失望すること甚だしい。
 果てしなく甘えようとする親父。際限なく甘やかそうとするお袋。
 実家はあんたら両親のための共依存空間であって、おれのいるべき場所ではないんだ。
 だからおれは家を出た。おれが理想主義者で、独りよがりな戯言をわめいているのはわかっている。
 あんたたち両親は立派だ。結婚し、家庭を築き、曲がりなりにも子ども二人を育て上げた。三十歳職なしのおれと比べれば父さん母さんのほうが模範的な社会の構成員であると断言できるだろう。
 だが社会的な指標と個人の相性は関係がない。あんたらとおれとは致命的に馬が合わないんだ。人間観が揃わないんだ。
 だからこうして悪罵を重ねている。両親を非難する言葉の槍がいつか自分に突き刺さる日が来るかもしれない。けれどこれはやらなければならない通過儀礼なんだ。自分が自分であるために。自我を通すために。
 気づくのが10年くらい遅かったかもしれない。でも今気づけた。それを寿ごう。自立を喜ぼう。
 

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