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ことばを見つけたい、こころを探したい

最近は夜が少し涼しくなって、秋がようやく姿を見せてくれたような気がしています。
地域によってはまだまだ暑苦しいところもあるだろうし、北の方はもっと涼しいのでしょう。それが秋の始まりなのかな。

私は、中学生の頃から【秋の終わりー春の始まり】の期間は気分が沈みやすいです。
今日は、【秋の終わり】が来てしまう前に、noteを一本書いておこうと頑張っています。
これは割と、色んな人が考えたことのある感覚の話かもしれない。

わたしがわたしである歴史ももう27年になるし、冬ごろに落ち込むのも毎年のことなので「今、私は落ち込んでるなー」などと、俯瞰で自分を見て、気持ちを落ち着かせようとすることがしばしばあります。
でも、こういうメタ視点があるからといって必ずしも穏やかな方向に向かっていく訳ではありません。自分を外側から見ることで、少し楽になれるような気もするし、実際そういう時もあります。でも、必ずではない。

自分が落ち込んでいることに気づいて「こんな些細な事で、人生の終わりみたいな気分になっている。なんて弱いんだ、なんて傷つきやすくてめんどくさいんだ、私は最悪だ」みたいな感じに余計落ち込むことだってあるし。

あと、自分を外側から見てみたところで、ほんとうに自分の感情が、その言葉どおりなのか、分からない。

みんなそれぞれのこころの中にある「感じ」を、うまく表すぴったりの言葉なんて、実は全くないのではないかと思うことがあるのです。

例えば「落ち込む」という言葉。いろんな状況で使われます。わたしも失敗した時などに「落ち込むわ〜」と友達に話すことがありますが、そういう時に
''これって本当に「落ち込んでる」なのか''と感じます。

もうすこし、モヤモヤして私自身にも見えない部分があるのに。落ち込むなんて短い言葉では表せない気がする。悔しいとか悲しいとかも混ざっているし、でも悔しいの中にも、悲しいの中にも、強弱や濃淡のグラデーションがあるし。大体、私にとっての落ち込むと、相手にとっての落ち込むは、本当に同じ意味かな。落ち込むとはどういうことなんだろう・・・
こんなふうに、通常のコミュニケーションでは「しゃべりすぎ」となってしまいますが、それくらい、
実際の感情は複雑で、詳細なこころの動きを説明するのには時間がかかる。

気持ちを表す言葉はたくさんの種類があるはずだけれど、皆んなのこころを表す時に、言葉が追いつかないことも多くあるのです。
興奮しすぎて逆に何も言えなくなってしまうこともあるし、しっくりくる言葉を知らないことだってある。
ネットではよくある「ヤバすぎ!!!!(語彙力)」とかもそうかな。感動や驚き、興奮は伝わるけれども、ジャストフィットする言葉は何処にあるのだろう。

あと、言葉に出した瞬間に、ソウジャナイ感じがしてくることもある。優しい嘘として「嬉しいよ、ありがとう」なんて言うこともある。そういう時、嬉しいのは半分ほんとで半分嘘だったりもするね。

こうやって、最近は気持ちと言葉が分からなくなってしまいました。


でも私は今は無職で、時間がたっぷりとあるのです。
だから、自分のこころの中にたくさん線を引いています。漠然と存在している沢山の感覚をひとつずつ分類してみるのです。そしてその気持ちに名前をつけていきます。出来るだけほんとうの思いを、今の私の「感じ」に一番近い言葉で表現しようとしています。ゆっくり時間をかけて、自分のこころと向き合おうとしています。

でもやっぱり、言葉が見つからないときがある。

今、ここで、こんなに沢山感じているのに、私には言葉がない。
「私はこう感じている!」と自分で噛み締めたり、共有したい相手に伝えるための、言葉がないのです。

そして、時間がたっぷりあるとはいえ、鬱の症状は本当にキツい。ひどく気分が落ちている時や無気力な時は、無理せず過ごすことを心がけています。
なんとも無性に湧き上がってくる焦燥感は、たまったもんじゃない。私は早く死んだほうが良いという観念と、毎日闘っています。

それでも、自分のペースだけど、生きるために自分と向き合う作業をやっています。鬱のどん底からは回復してきたので、出来ることは頑張りたい。
めちゃくちゃにサボりながらですが。

気持ちと言葉を繋げて、自分と向き合う作業を、こんなにゆっくりできるのは今だけのように思える。
私は「また忙しく働く日々を送る」という目標に関しては、きっとまたできる!と自分に少し期待しているから。こんなに時間があるのは今だけなのかもしれないと思っています。


気持ちについて考えるのは
自分の中で言葉を探すだけのこともあるし、日記に書いてみたり、親に話したり、方法はいろいろです。

とても疲れる作業だし、自分の弱さと向き合わねばならず、とても苦しいこともあります。
信頼している他人に話せば、とんちんかんな返事や、やってる''つもりの共感''の言葉を返されて、幻滅しそうになることもあります。

それでも、これは多分、私にとって大切で価値のある作業です。

いつか、内面に自信が持てるようになってきたらいいな
なんて思いながら、小さな出来事のなかの小さなこころの動きと、日々向き合っています。

なんとも長くて結論のない、へんてこなnoteでした。
冬に備えて、ゆっくり過ごします。


おわり



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