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Interview by KUVIZM #7 CRD(前編)

ビートメイカーのKUVIZMが、アーティスト、ビートメイカー、エンジニア、ライター、MV監督、カメラマン、デザイナー、レーベル関係者にインタビューをする"Interview by KUVIZM"。

第7回は、ラッパーやビートメイカー、映像クリエイター等多岐にわたり活動するCRDさんにインタビュー。今回は前編・後編にわけて記事を掲載します。

【インタビュー後編はこちら】

CRD
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出身、学生時代

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インタビューはZoomで実施。

KUVIZM:
まずはじめに、ご出身をうかがってもよろしいでしょうか?

CRD:
大阪にずっと住んでるんですけど大阪市内のいろんなところ転々としてて。1番長かったのは鶴橋ですね。小学校1年生から高校3年生までの間を過ごしました。学生時代はずっとって感じですね。僕大学行ってないんで。

鶴橋で有名な人で言うとCHEHONくんとか、あとJin DoggくんとかあとREAL-Tくんとか。僕が住んでた界隈はちょっと違くて。鶴橋って環状線の外側と内側で全然違うんですよ。住んでる人たちが。
鶴橋っていったら結構ハードな所というイメージを持たれると思うんですけど、僕が住んでた環状線の内側はあんまり不良とかの文化はなくて、普通に育ちました。

KUVIZM:
なるほど。感覚的には地元は鶴橋でしょうか?

CRD:
そうですね。だけど地元の友達がいないんですよ。高校生ぐらいのときから繋がってる友達が全然いなくて。大人になってからとか高校の時のバイト先で知り合った人と今もつるんでるって感じですね。

KUVIZM:
学生時代ってどんな子でした?

CRD:
ひと言で言うと変な奴、変子でした。基本的に1人が好きなんですよ。
でも、1人が好きっていうのは孤独が好きなわけではなくて。人と一緒におったときに自分がやりたいことをできひんようになったり、我慢せなあかんのが嫌やから1人なんですよ。

一緒におって楽しい人たちとか、場所やったら一緒におるけど。"僕がしたいことがある"ってなったときは、みんなと一緒におるのが嫌なんですよ。だから割とみんなと違う遊び方をしてた気がしますね。

例えば小学校の時だと、休み時間とかにドッヂボールするじゃないですか。ドッヂボールって自分も痛いし、友だちにボールぶつけたら友だちが痛いじゃないですか。"なんでそんなことするん?どっちも得ないのに"って。
僕はボールぶつけたって楽しいと思われへんから、部屋の中とか教室の中とかにおって漫画を描いてたんですけど。そんなんとかしとったら変な奴って見られて。"どう考えてもボールぶつける方が変やねんけど"って思ってました。"自分のしたいことやってると浮いちゃう"みたいな。そんな感じでしたね。

KUVIZM:
それって正しい気がしていて。人に合わせて自由に行動できない大人も多いじゃないですか。それでストレス溜めちゃうみたいな。自由に行動するのって自分に自信がないとできなくないですか?

CRD:
なんていうんですかね。僕は"友達は友達で、僕は僕で"っていう風なドライな切り方はできない人間なんで。ドッヂボールをやってるみんなを見て"楽しそうやな"って思って、"ちょっとだけ混ざりたいな"と思ってるんですよ。
ただ、"自分を押し殺してドッヂボールをしに行くか、教室で絵を描いてるのどっちの方がいいか"って考えたときに、絵を描く方やったんですよ。
未練がないわけでも達観してるわけでもなく妥協で。強い意志があるわけじゃなく普通の人間なんで。

KUVIZM:
スポーツは得意なタイプに見えるのですが、どうですか?

CRD:
僕、全くできないですね。ドッヂボールとかも嫌いやったのは、そういうのもあるんですよ。
足の速さを競う意味がよくわからなくて、徒競走とかもめっちゃ嫌やったんですよ。"なんで速いやつが強い、勝ちなん?速く走る必要ある?"って思ったりとかしてたから。走る系の競技の人たちに凄い悪いんですけど。ずっと思ってて。
僕が速く走れたらそんなこと思ってなかったと思うんですけど。僕が嫌いなものというか苦手なものを後付けで憎む癖があるんかなっていう(笑)

KUVIZM:
逆に勉強ができたとか、絵が上手いとか?

CRD:
勉強は全然できなかったですね。
小学校から高校3年生まで夏休みの宿題を出したことないんですよ、1回も。学校はちゃんと行ってたんですけど数学で0点とったりとか。しかも全部ちゃんと書いてんのに。

ただ絵については、自分の父親がイラストレーターやってたんですけど。(絵を描くのを)教えてもらったことはないんですけど、僕の家系はみんな絵上手いんですよ。兄貴もそうですし。
姪っ子もめちゃくちゃ絵が上手くて、中学2年生でPixivのフォロワーが6000人ぐらいいるんですよ。こういうのはDNAが絶対あるなって思いますね。

僕は今、全然描けないですけど小学生のときはうまかった方でしたね。父親の絵の才能が僕の方にもちょっとあったんやなぁって。

KUVIZM:
学生時代に夢はありましたか?こうなりたいとか。

CRD:
漫画家になりたかったですね、小学校の時は。

KUVIZM:
学生時代はグレたりとかしなかったんですか?

CRD:
まったくなくて、親が怖くて。怒り方が"昭和の親父"で、アル中なんですよ、それが原因で早いうちに亡くなってもうたんですけど。

酒飲んでないとめっちゃ暗いんですよ。イライラしてて結構病むんですよ。酒飲んだらめちゃめちゃ明るくなってすごい気分良くなるっていう。だからほんとに酒がいいドラッグになってるようなタイプ。
そういう性格なんで普段酒飲んでない時間、昼間とかの親父がめっちゃ怖かったですよ。今やったら絶対捕まるやろってレベルでどつかれてたんで。外でも家の中でも。
親父がめちゃくちゃ怖くてグレるどころじゃなかった。高校生になってから僕の体がでかくなってきたんで、あんまり怒られたりすることは無くなったんですけど、小学校のときとか地獄でしたね。

KUVIZM:
そういうのって人によっては人生が歪んじゃうというか、トラウマになる人もいると思うんのですがそうはならなかったのですか?

CRD:
僕は親父に対してリスペクトがあるんですよ。イラストレーターやってるくらいなんで絵もめちゃくちゃ上手いし。
あと発想が天才やなっていう。今やったら結構普通かもしれないんですけどパロディとかもめっちゃするんですよ。『バッグス・バニー』に女性のお尻触らしたりしてるようなイラストとか描いてて。ちょっとストリート感あるんですよ。

そういう作品がどこに影響を受けていたのかっていうのは、亡くなる前に聞いてなかったんですけど、風刺っぽいのとかパロディとか。ちょっと尖った感じだったんですよ。僕は親父がめちゃくちゃ才能あるなと思ったし、かっこいいと思ったからリスペクトはあったんですよ。

でも、私生活が無茶苦茶で、ボコボコに殴られたりとかしたりしてたから。殴られるのはめっちゃ嫌やったし怖かったし嫌いやったけど、どこかで親父に対する憧れがあった。グレなかったのは多分それが理由ですね。

KUVIZM:
天才であり、カリスマ性があるということですかね。

CRD:
そうですね。なんか子分みたいなやつがいっつもいるんですよ。親父の周り。親父は「桃太郎」という名前でイラストレーターをやってたんですよ。「ももさん、ももさん」って言われてて、よく慕ってくる人が常にいてて。

気性が荒くて、ほんまに性格が子供で、無茶苦茶な親父やったんですけど。
あと喋り方の語気が滅茶苦茶荒いんですよ。だからビシっとなるんですよ、なんか言われたら。「お前、コラ、〇〇だろ!」みたいな感じで。"なんでそんな、100%自分正しいと思って話せるんやろこの人"っていうぐらいの話し方をしてるから、結構政治家とか活動家とかも向いてた人だなと思いますね。

音楽との出会い

KUVIZM:
音楽はどのように好きになったのですか?

CRD:
小学校の高学年ぐらいになってくるとみんな音楽聞きだすじゃないですか。僕はそのときロックが好きやったんですけど、そのときに年上の兄ちゃんにカラオケ連れてってもらってたんですよ。そのお兄ちゃん、社会人なんですけど、小学生の俺らを連れてカラオケに行くっていう。お金はお兄ちゃんが出してくれて。
それでサザン(サザンオールスターズ)、あと桑田佳祐らへんがめっちゃ好きになって。小5なんですけど、『真夜中のダンディ』とか歌ってましたね。
"一番最初好きになったアーティスト"っていうと、サザンオールスターズかなと思いますね。。

ただ、サザンっていう存在自体はカラオケの兄ちゃんが僕に教えてくれたわけじゃなくて。
僕の親父がロックめちゃ好きで、Deep Purpleの曲を聞かしてもらったときにめっちゃかっこよくって。そん時はたしか『Smoke on the water』だったんですけど、それがすげぇかっこよくて。『Smoke on the water』のカバーを、桑田佳祐さんが自分の桑田バンドっていうバンドでやってたんですよ。
それとかも聞いてっていうので、そっから、"サザンっておんねや、日本人で桑田さんっていう凄い人おんねや"っていうのに気づいて。

KUVIZM:
その後はどのような音楽を聴いていくのですか?

CRD:
中学校ぐらいのときに小遣いで毎月CDを買ったりとかしてて。Deep Purpleとかの流れでずっとロックが好きで。中学校のときはずっとメタルを聞いてましたね。

その頃にはHMVも大阪にはあったのと、インディーズのバンドでイケてるやつが、『スペースシャワー』とか『MTV』とかで流れてる時代やったんで。周りで流行ってのはHi-STADARDとか、スーパーカーでした。

けど、僕は洋楽から音楽好きになったからカタカナ英語に馴染めなくて。サザンの桑田さんは英語の発音良かったりとかするじゃないですか。桑田バンドで全部英語の歌詞の曲とかもあるんですけど、全然普通に馴染んでるから、ああこの人上手いなっていう。ネイティブじゃないけど全然聞き心地が悪くないんですよね。

KUVIZM:
メタルでは例えばどのようなバンドが好きでしたか?

CRD:
Pantera、Megadeath、Metalica、Helloween、Arch Enemy、SOILWORK、Zakk Wylde、Michael Schenker、、、オジー(オジー・オズボーン)も好きっすね。今あげてったら無限に言えると思うんでですけど。

KUVIZM:
そこからどのようにしてラップミュージックに興味を持つのですか?

CRD:
高校1年生、1999年のときにリンプ(Limp Bizkit)を聞いたのが初めての衝撃で。リンプの『Nookie』って曲があるんですけど、初めてラップの曲で"かっこいい"と思った曲なんですよ。
それまでラップはブラックミュージック、黒人の音楽だっていう認識で。ブラックのノリっていうのはあんまり分からなかったんです。
白人のフレッド(Limp Bizkitのボーカル)のラップを聞いて無茶苦茶かっこいいって思って。しかもディストーションのかかったミクスチャー、Nu Metalのサウンドで。
KORNとかもそうですけど7弦ギターとか使ってて下手なメタルバンドよりも音が低いんですよね。音の深さがとにかくエグいし、しかもその上にラップがのってるっていう新しさみたいなのでもう衝撃でしたね。
でもそのときHIP HOPは全然聴いててなかったですね。

KUVIZM:
その後、HIP HOPにどのように興味を持ったのでしょうか?

CRD:
僕がラップを始めたのは23歳からなんですけど、20歳くらいまではずっとロックを聴いてました。あとはハードコアテクノとかドラムンベースとか。

KUVIZM:
ハードコアテクノとかドラムンベースは意外ですね。

CRD:
ミクスチャーを聴いてからですよなんでも。ミクスチャーのバンドでもいろんなバンドがいてて、例えばラテンのミクスチャーのバンドもいるし、レゲエのミクスチャーのバンドもいるしっていうので、僕の中でミクスチャーってなんでもありなんやなっていうところがあって。
ミクスチャーを聴き始めた時点でも垣根が無くなってるんですよ。
それで色んな多様性のあるバンドを聞いてく中で、僕の中で"メタル以外聞けない"みたいな壁が全くなくなって。"今まで真面目だったヤツが20歳なったときにいきなりタバコ5箱吸い出す"感じのメンタルになったんです。なんでもありっていうか。

音楽活動の開始

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KUVIZM:
ご自身で音楽をやるようになったのはいつからですか?

CRD:
高校の時に弾き語りをやってて。そん時は他人の曲をカバーでやっていて。今もギターとかベースとか、ちょいちょい弾けるんですけど。

当時、ゆずとかコブクロとかが流行って、大阪でも弾き語りが多くて。
難波のOCATってとこで弾き語りをやっていたんですけど。他の人が有名な人の曲を熱入れて歌ってるの見て、"ちょっと寒いな"って思ったときあったんですよ。長渕剛の曲を長渕剛っぽく歌ってる弾き語りとか(笑) "それお前の順子ちゃうで"、長渕の順子やで"みたいな(笑)。(※長渕剛には『順子』という曲がある。)

でも、僕は自分で曲作られへんかったから、"誰ともかぶりたない、見ている人が知らん曲をやりたい"と思って、NirvanaとGreen Dayの弾き語りをやってたんですよ。

その時の事とかがあるから、今もコード感のあるビートを作ることが、割と多かったりするのかもしれないですね。

KUVIZM:
それは強みですね。

CRD:
あとバンドもやったんですけど、協調性がなさ過ぎてあんま続かなかったですね。

KUVIZM:
組んでいたバンドはNirvana、Green Dayみたいな方向性ですかね?

CRD:
そうですね。オルタナとかパンクとかですね。カバーもやったし、オリジナルもやってたんですけど2曲ぐらいしかなかったんで。

あと、高校の時に4トラックのMTR(マルチトラックレコーダー)を買って、安物のマイクをつけて、ギターを弾いて録って、ドラムがないからドラムマシーンで打ち込みを入れて、自分のオリジナルの曲を作るみたいなのはやってましたね。
バンドで披露するっていうよりも自分が作りたいからやるみたいな感じでやってましたね。

KUVIZM:
それをインターネットにアップロードしたりとかはしなかったのですか?

CRD:
まだそんな時代じゃなかったですね。
携帯電話で写メがやっと出来たぐらいですからね。みんなバンやろ(宝島社の雑誌『BANDやろうぜ!』)とかを読んでましたよ。あれでメンバー募集してるような時代ですからね。

高校卒業後~HIP HOPでの活動の開始

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KUVIZM:
高校卒業されてからはどのような道に進まれたのでしょうか?

CRD:
ちゃんとした就職じゃなくってバイトを2つ掛け持ちして、フリーターですね。うちの家計の事情とかも考えてたし、あと兄貴も高校中退してるし親父も高校でてない家やったから。高校出たら高学歴やと思ってたんで。

別に大学まで行かんでも家族の中では成功例やろ俺と思って。好きなことしようと思ってて。
"本当は大学とか専門学校行きたいな"って思ってたんですけど、専門学校ってお金結構高いからそんな学費とか多分家にないやろなとか思って。"もうええわ、働くわ"と思ったのもありますし、実家を出たかったから。"フリーターでも掛け持ちしたら1人で食うぐらいは稼げるわ"と思って。

KUVIZM:
どんなバイトをやりましたか?

CRD:
テレアポみたいなやつとか倉庫のバイトとか、裏方っすね。基本的に接客業が苦手なんですよ。

KUVIZM:
23歳でラップ、HIP HOPをやり始める、なにかきっかけがあったんですか?

CRD:
当時、パチンコとスロットにめっちゃはまってたんですよ。
5号機、4号機、『北斗の拳』とか、『吉宗』とか、爆裂機というやつがめっちゃ流行ってたんですよ。こんな話してる時に嬉しそうにしてる時点で察してくれてると思ってるんですけど、かなりはまってたんですよ(笑)。

今考えても"楽しかったな"って思うぐらいはまってて。だけど本当に"全然お金ないわ"ってなって、給料入ったら取り合えず打ちに行くみたいなルーティーンだったんで、お金が全然貯まらんかったんですけど。

ある時に"俺ずっとこのままなのかな"って思って。"この先もずっと負け続けるんやろなぁ、確実に"って思って。"どうやってパチンコやめようかな"って思って。

そん時HIP HOP聴き始めてたとこなんですけど、KREVAさん表紙の『blast』(シンコー・ミュージック・エンタテイメントから発行されていたヒップホップ専門雑誌)っていう雑誌で、"DJ GEARS"っていう特集があったんですけど。
その特集のKREVAさんがMPC4000の前で腕組んで、ハート型のダイヤネックレスぶら下げてて。インタビューの内容を読んだら、「俺がこのMPC1つでいくら稼いだか分かるか?」みたいな話をしてて。「このMPC一つでいくら稼いだかはこのダイヤを見てくれたら分かるよ」って言ってて。"かっこええ"って思って。
バンドじゃないと音楽できひんって思ってたんですけど、HIP HOPやったら、バンドじゃなくて1人でできるし、しかも"1人でやったらこんだけお金入ってくんね"や見たいな。それ見た時に錬金術の仕方を変えようと(笑)。"パチンコとかスロットとかはやめて、MPC買おう"って思って楽器屋さん行って。KREVAさんが(これから始める人に)お薦めしてたMPC1000を買ったっていうのがきっかけです。

なので"こういうラッパーがおってこのリリックに食らったから始めた“みたいなんじゃなくて、(HIP HOPの)アートフォームに食らったんですよ。
僕の曲ってそんなHIP HOP、HIP HOPしてる曲ってないんですけど。その理由は、"アートフォームが好きだから"なんですよ。
"あのときMPC1000を買ったからパチンコとスロットやめれた"と思ってるから、"HIP HOP SAVE MY LIFEやな"って思ってますね

KUVIZM:
いい話ですね。ラップという表現にも魅力を感じる部分があったのですか?

CRD:
洋楽ばっかり中心で聴いてきた自分にとって、邦楽の中でもHIP HOPはすんなり入ってきたんですよ。日本語ラップは聞けて、日本語のメロコアとかパンクとか聞かなかった理由が、やっぱりリリックがおもろいからなんですよ。
日本の音楽って、"僕はほんまにこの人たちこれが言いたいんかな"っていう歌詞が多く聴こえたんですよ。"語呂がええから、聞こえがええから"みたいな。みんなよく"道"とか"旅"とか"羽ばたき"とかいうじゃないですか、"ちょっとええこと言おうとしてるだけであって、ほんまにそうは思ってないやろ"みたいな。

だけどHIP HOPって、例えばRHYMESTERの『けしからん』って曲あるじゃないですか。綺麗な言葉を一切使ってないっていうか、当たり障りない言葉一切を使ってないじゃないですか。その感覚が僕はすごいかっこいいなと思って。HIP HOPにはセルフボースティングもあるじゃないですか。今まで僕が聞いてた邦楽のイメージではセルフボースティングなんかなかったから。めっちゃ面白いやんこの音楽って思って。

KUVIZM:
ラップとビートメイクは同時に始められたのですか?

CRD:
そうです。自分の曲を作りたかったから今も変わらないですけど、それはずっと。自分の曲を作りたいからビート作ってるっていう感じで。

KUVIZM:
今はフリービートを探すっていうのもあるけど当時はそういうのがあまりなかったと思うのと、レコードのB面に入っているインストゥルメンタルのビートでラップをするという選択もしなかったのですね。自分の曲が作りたいから。

CRD:
そうですね。元々、サンプリングも凄い苦手やったんで。サンプリングして作ったら僕のメロディーじゃないからあんまり自慢できんじゃないですか。これかっこいいって言われても。

全部1から作ろうと思って、サンプリングするにしても単音で切ってたんですよ。MPC使ってんのにMPCで作った音に聞こえないって言われてましたね。

KUVIZM:
当時の曲って今も聞けたりするんですか?インターネットで。

CRD:
当時のはもう聞けないですね。めっちゃダサいんで聞かせたないです(笑)。
自分たちが爬虫類になった気持ちで歌ってる曲とかありますからね。

KUVIZM:
面白いですね(笑) ライブ活動はすぐに始めるのですか。

CRD:
その頃入ったバイト先でKENTと出会って。KENTが「『アマチュアナイト』っていうイベントをやるから出演するメンツ集めたりしてる」みたいな話をしてて。「出ないですか?」って言ってくれたんですよね。

"そんなに曲作ってないやつがいきなりそんなん言われて大丈夫かな"って思ったけど、"やろう"と思って、やったみたいな感じですね。曲作りを始めた年にライブもしはじめました。

【インタビュー後編につづく】
後編ではYouTubeでの動画投稿や今後の展開についてのお話などを掲載しています。

Interview by KUVIZM バックナンバー
https://note.com/kuvizm/m/mb5dcc2fd6d61

記事作成協力:ナナシさん

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