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吉成伸幸のポール話

 【スピリチュアル・ビートルズ】ポール・マッカートニーが日本で大麻所持の現行犯で逮捕され、ジョン・レノンがニューヨークで凶弾に倒れたのが1980年。
 1982年、ポールがやってくれた。そう、傑作の誉れ高いアルバム『Tug of War』をリリースして、ビートルズ・ファンたちの気持ちを重くさせていた暗雲を吹き飛ばしてくれたのだ。
 そのアルバムについて深く深く掘り下げた「世界のツナ缶大事典」の刊行を記念したトーク・イベントが2023年12月10日(日)に「Rock Cafe LOFT isyour room」にて行われた。
 その大事典は、ポール・マッカートニー研究会のNobu Nakaiさんと梅市椎策さんによるものだ。コイコイさんがイラストを担当した。Tug of War が綱引きであることから「ツナ本」とも称される。
 82年に『Tug of War』のプロモーションを兼ねたプレス会見のため、日本から取材団がロンドンに飛んだ。その通訳が吉成伸幸さんだった。吉成さんはビートルズ関係のライナーノーツの執筆でも知られていた。
 スペシャル・ゲストとして登壇した吉成さんは直に接触したポールについて次のように語った。「ポールはものすごく気遣いが出来る人で、常人よりもずっと気が回る人ですよ」。

吉成伸幸さん


 東芝EMIが結成した取材団が待ち受ける会場に吉成さんはなんと15分も遅刻してしまった。予定通りにタクシーに乗ったのだが交通渋滞に巻き込まれてしまったのだ。さぞやポールは不機嫌だろうと思っていた。
 「スタジオに入って連れていかれたのは狭い給湯室で、そこにポールがいてスタンバイしていたんですね。「まあ、こっちに来い」ということで「まあ、お茶でもどう」って「落ち着きなさい」ってことですよ」。
 「ニコニコしてとりあえず落ち着けって」。
 吉成さんは当時、大洋音楽にいた。社長は伝説のプロモーター永島達司さんだった。ポールに「ぼくのボスはタツだって話したら、ポールにとって大きな存在だったのでしょう。ぼくにはラッキーだった」。
 吉成さんはジョン・レノンとリンゴ・スターにも会ったことがある。「一番最初に(ビートルズのメンバーでは)ジョンにダコタハウスの時代に会ったんですよ。印象が一番強い。そのずいぶん後でポールに会うわけです」。
 「ジョージ(・ハリスン)には残念ながら会えなかった。ポールは非常に常識人ですごく気が利く人。わざとらしくなく優しさが自然に出てくる。一方のジョンは自然児で気ままな人。その対比がすごく面白い」。
 「ぼくがリンゴと会った時、彼は(アルコール依存症からの)リハビリ中でボロボロだった。残念だったとしか言いようがないじゃないですか」。
 再びポールについて吉成さんは「気遣いが取ってつけたようなものでなくて自然に出てくる。頭がいい。ステージ上で「おっす」とかやるでしょ、それが自然に出てくる感じですよ」と述べた。
 吉成さんは1969年からアメリカに行き大学に通った。卒業後帰国してシンコーミュージックの「ミュージックライフ」に勤める。シンコーの草野昌一さんとサンフランシスコで知り合って「日本に帰ったら連絡してこい」と言われていた。コンタクトを取ると「ミュージックライフに来い」と。
 「入れてもらいました。編集長は星加ルミ子さんだった。私ともう一人の男性を除いてみんな女性の編集者でした。外タレがすごく増えていたところだったので、何かといえばインタビュー役をやっていました」。
 その後、永島達司さんが作った大洋音楽で働いた。日常的に永島さんと接し、昼飯を誘われたりした。「本当に小さな会社でしたから。当時、1970年代の半ば頃、洋楽の(出版の権利は)メインのものほとんどが大洋音楽でした。すべて永島さんの人脈によるものだった」。

永島達司さん(中央)


 永島さんについて、吉成さんは「わりあい自由にやらせてもらった。印象深いのはプリンスですね。プリンスの弁護士との会合に出席したんです。(シンコーミュージックからの)ピーター・バラカンとぼくの二人だけ。他の出版社はKnackを取りに行っていた」。
 「プリンスの音を聞いているうちにピーターは「これすごく面白いと思うけどシンコーじゃ無理だな」となって、ぼくはすぐに永島さんに電話した。すると「自由にやっていいよ」と言われた。そういう人なんですよ、永島っさんって。大洋音楽にいた時代が人生のハイライトでした」。
 「世の中に永島さんのことを取り上げた本は何冊か出ているけれど、一冊として肝心のところに触れていない。恣意的な編集作業が行われているなって思います。人間関係ってその場にいないとわからない」。
 「身長が高くって、ニューヨークとロンドンで育って、もちろん英語はペラペラで、とにかくすべてが魅力的な人でした。(永島さんは)上司として毎日顔を合わせていて、(ぼくは永島さんを)真似するわけですよ。師匠としてずっと尊敬している存在でしたね」。
 1980年1月、ポールが成田空港で大麻所持で現行犯逮捕された。永島さんは国際音楽見本市のためにフランスに行く予定だったのをキャンセルして、代わりに吉成さんが行ったという。
 「永島さんはいろいろな人に穏便に頼みますということだったと思う。(当時のポールの招聘元はウドーだったが)ウドーではどうしようもなくって最終的には永島さんのところに来ちゃうんですよ。外国の人にとって永島さんはオンリーワン、ナンバーワンなんですよ」。
 また、「ツナ缶」についてNobuさんと梅さんがトークを行った。


 余興としてまず「芸能人格付けのランキング」が行われ、300円の『Tug of War』と70万円の『Tug of War』を聴き比べて音の違いが分かるかどうか。その結果は、圧倒的に正解が多かった。
 外れのほうは「台湾で売られていた、アメリカ盤のレコード本体をラッカー盤にみたてて作り直した海賊盤です。本当に台湾の複製技術は凄いと思います。音いいですよ」(Nobuさん)。
 大事典は2015年から構想していたが、作り始めたのは3年前だとNobuさんは話す。本が一冊2キロと重いことや、製作途中の苦労としては「写真を撮るのが大変だったこと」だという。


 
 

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