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ジョージアの旅⑥

 ジョージアの旅3日目(10月15日)はまずトビリシ市内へ。
 そしてまず訪れたのが「ピロスマニの家博物館」。ニノ・ピロスマニは国民的画家である。1862年にミザニ村に生まれた。この博物館には他の画家たちがピロスマニを描いた作品が展示されている。

ピロスマニの家博物館


 その隣にあるのが「ピロスマニの部屋」。1916年から18年まで実際にここに住んでいた。階段の下のスペースを利用した非常に狭い部屋だ。当時はランプだっただろうから相当暗かったはずだ。
 ミザニ村から持ってきたイスなどが置かれている。壁にはピロスマニの母親が織った絨毯がかけてある。
 ピロスマニが恋をした女優マルガリータの絵もある。トビリシのレストランでピロスマニは100万本のバラを彼女にプレゼントしたという。そう、それが加藤登紀子さんの代表曲「百万本のバラ」に繋がっていったのだ。

ピロスマニの部屋にあるマルガリータの絵


 1917年にロシア革命が起こり、ジョージアも独立するが、わずか4年後にボリシェビキによって支配され、1991年まで再びソ連に支配されることになる。そんな混乱の中、1918年にピロスマニは息を引き取った。
 その家の前の通りは1938年にピロスマニ通りと名づけられた。
 その地域は貧しい地域である。壊れかけた家をのぞきこむと洗濯物が干してあったりする。今でも人々が暮らしている。

ピロスマニ通り


 そこから「ナショナル・ギャラリー」へと移動した。ナショナル・ギャラリーは1888年に建てられた。もちろんロシアの作品が最初は並べられた。1890年にジョージア画家の作品も展示されるように。

ナショナル・ギャラリー入り口


 説明書きによると、ピロスマニは8-10歳の頃、故郷ミザニ村からトビリシにやって来た。若いころから絵を描いていたが、本当に仕事が出来たのは晩年の20-25年くらいしかなかったという。
 最初はタバーンの看板描きだった。だんだんとインテリアショップやレストランの看板も手がけるようになる。次第に、日常の人々、動物、田舎や都会の風景などもテーマとするようになった。

ピロスマニ「Family Picnic」


ピロスマニ「The Shephard with the Flock」


 ピロスマニの12作品がナショナル・ギャラリーによって所蔵されたのは1917年のこと。その12枚はピロスマニ自身も自信を持っていた作品だった。そして1920年代から人気となる。
 ナショナル・ギャラリーでピロスマニ作品などを鑑賞した後、ルスタヴェリ通りを散策。13世紀の詩人ルスタヴェリから名づけられた。途中、国会議事堂などが見える。中央広場には聖ジョージの像がある。

ルスタヴェリ通り


国会議事堂


 その後、旧市街を歩いた。

旧市街


 そして夜は旅のハイライト「加藤登紀子コンサートinジョージア」だった。終演後、隣のホテルでレセプションが開かれた。

 (続く)

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