見出し画像

切り絵「北九州百景」

 東京から移り住んだ北九州のどこか懐かしい光景を切り絵にしている小菅績憲(こすげ・のりかず)さんが2023年11月に幸文堂出版から出した「切り絵 北九州百景 前編50景」が話題となっている。
 東京下町育ちの小菅さん。1990年から米カレッジの写真学科で学んでいる時に切り絵と出会った。「必修科目としてデザインがあって、そこで日本的な表現を取り入れようとして切り絵を見つけたのです。和紙などは入手困難で、切り絵ならばカッターと黒い紙で出来るというのもありました」。
 そして94年頃から本格的に切り絵制作を始めた小菅さん。2002年、知り合いがいる福岡県水巻町に移住。その2年後には北九州市に拠点を移した。自転車や列車で市内各地を回って、有名無名を問わず小菅さんが「これは」と思った風景を写真に撮って、それを元に切り絵を制作している。
 小菅さんが取り上げたのは、再開発の危機に晒されていた栃尾堀川の町並み、小倉から始まったアーケード街「銀天街」、門司港レトロ、高塔山を目指す道中から見えた橋など、どこか懐かしい風景ばかり。
 「北九州には昔の下町の風情が残っているようなところがあって、それを積極的に取り上げています。(懐かしさを感じる背景として)中には、この20年間で失くなってしまったものもあります」。

「銀天街は小倉から始まった」

 トリビアも豊富だ。壇ノ浦で平家が敗北し、その際に安徳天皇も入水したというのは有名な話だ。だが実は生き延びていたという伝説もある。
 陵墓参考地・候補地がそのためにいくつかあるが、小菅さんはその中から小倉南区の隠蓑を切り絵にし、次のような解説をしている。
 正式には薬師寺隠徳庵といい、毎年12月15日にその幼帝を偲ぶ「しびきせ祭」がこの御陵で行われている。「しび」とは藁のことで天皇を藁に隠れるようにして逃げたことからきているという。

「安徳天皇は生きていた?」


 2010年には米ロサンゼルスのギャラリーで約1週間、個展を開いた。「アメリカの人たちに切り絵は認知されていませんでした。作品を額に入れて飾っておくだけではイラストと誤解されたり、理解されないので、実演をして、体験ワークショップを開いて、分かってもらえたようでした」。
 日本でも地元の北九州を中心として個展を開催しており、関東では小菅さんの実家のある千葉や群馬などで実績がある。
 「切り絵 北九州百景」の前編ではこれまでに制作した50点に、読み応えのある文章ーエッセイもあれば、その地の歴史的、社会的あるいは経済的背景の解説などーをそれぞれに添えており、参考になる。
 税込みで1430円。
 幸文堂出版の連絡先は093-555-1385。
 
 
 
  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?