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ジョージのソロ作品を聴け!

 ビートルズ・ファンであっても、1970年のグループ解散後の4人のソロ作品を追いかけている人は限られているようだ。ジョン・レノンやポール・マッカートニーのソロ・アルバムならいざしらず、ジョージ・ハリスンのソロ時代の作品をフォローし続けている人は少ないと思う。
 古くからのファンであれば解散後のジョージのソロ作品には注目しただろう。レコード3枚組で値段が高かったため『オール・シングス・マスト・パス』(1970)を買った人は多くなかったかもしれないが、先行シングルの「マイ・スウィート・ロード」は間違いなく耳にしていたと思う。


 ジョージの快進撃は続いた。ロック史上初の大規模チャリティといわれるバングラデシュ難民救済コンサートを記録したアルバム『バングラ・デシュ』(71)は、ボブ・ディランの参加など大いに話題になった。
 シングル「ギヴ・ミー・ラヴ」がヒットしたものの『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(73)を手にしたファンはどのくらいいたのだろうか。ジャケットに引いてしまった人もいたのではないか。


 次のアルバム『ダーク・ホース』(74)は自身のレーベル立ち上げ後初の作品にしては弱かったと思う。妻パティが友人のエリック・クラプトンのもとに去ってしまったこともあってか、暗いアルバムだ。
 タイトル曲はそこそこのヒットだったが、クリスマスを狙った「ディン・ドン」はジョージが望んだような定番曲になるには程遠かった。アルバムには「ファー・イースト・マン」という名曲も含まれていたのだが・・・


 『ジョージ・ハリスン帝国』(75)は今にして思えばAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の先駆けだが、当時はむしろネガティブに捉えられていたのではないだろうか。佳曲が並んではいる。「二人はアイ・ラブ・ユー」や「ギターは泣いている」である。
 次の『33 1/3』(76)も引き続いてのAORテイストだと思う。いわゆるカット盤というのだろうか、ジャケットに切れ目が入れられた輸入盤をたくさん見かけた。出荷は多かったが売れなかったのだろう。
 内容は良かったと思う。ファンキーなオープニング曲「僕のために泣かないで」、美しい「ディア・ワン」や「ビューティフル・ガール」。ノリがよいサウンドに盗作騒動を皮肉った歌詞がのった「ジス・ソング」。
 カバー曲の「トゥルー・ラヴ」は私のお気に入りだ。「人生の夜明け」はジョージのベスト盤には欠かせないようだが、私はいわくつきとはいいながらも「ジス・ソング」のほうを入れてほしいと思っていた。


 そしてファンの間で人気が高い『慈愛の輝き』(79)。私はこのアルバムを友人の父親の葬式に行った帰りに買った記憶がある。オリビアとの結婚、息子ダニーの誕生などジョージの幸せが素直に出た感じがあった。
 恋敵だったエリックがギターを冒頭から聞かせてくれるのがうれしい「愛はすべての人に」、第1弾シングルになった「ブロー・アウェイ」、F1好きが高じて生まれた「ファースター」など素晴らしい曲が並んだ。


 ジョン・レノンの死後に出た『想いは果てなく~母なるイングランド』(81)はどこか中途半端な印象だと当時から思ってきた。確かにジョンを追悼するシングル「過ぎ去りし日々」は大ヒットした。
 しかし、発売前にレコード会社の重役からの要請で4曲が差し替えられた。その4曲のほうがよかった。哲学的な「サット・シンギング」や
「レイ・ヒズ・ヘッド」、「今この瞬間を大切にせよ」とのメッセージが歌われる「フライング・アワー」など。差し替えを指示した重役はレコード会社になぞにとうてい居てはいけないようなレベルの奴だった。


 私は好きだが売れなかった『ゴーン・トロッポ』(82)。ギターでなくキーボードが強調されている「愛にきづいて」、メロディが美しい「ザッツ・ザ・ウェイ・イット・ゴーズ」、エリックとの友情が歌われる「ミスティカル・ワン」など素敵な曲が目白押しのアルバムだったのだが・・・
 次のアルバムの発売までは5年待たねばならなかった。名盤の誉れ高い『クラウド・ナイン』(87)である。先行シングル「セット・オン・ユー」はカバーながら久しぶりのナンバーワンを獲得した。ビートリーな「ファブ」もミュージック・ビデオも含めてファンを喜ばせた。


 それからジョージはトラヴェリング・ウィルベリーズの活動に入る。『ヴォリューム・ワン』(88)の「ハンドル・ウィズ・ケア」はいかにもジョージらしいナンバーだった。他のメンバーとの相性もよく、次の『ヴォリューム3』(90)もいい作品だったと思う。
 忘れてはいけないのがジョージ2枚目のベスト盤である『ベスト・オブ・ダークホース 1976-1989』(89)。「プア―・リトル・ガール」と「コッカマミー・ビジネス」という新曲が含まれており、特に後者でジョージは音楽業界に身を置く苦しさを吐露し、「ただギターを弾きたかっただけなんだ」と本音を漏らしている。
 91年にはエリックとともに来日を果たしたジョージ。そのコンサートをまとめたのが『ライブ・イン・ジャパン』(92)である。残念なのは、アンコールの一曲である「ロール・オーバー・ベートーベン」の間奏が短く編集されてしまっていること。せっかくレイ・クーパーが渾身のパーカッションプレイを披露して観客を大いに沸かせたのにである。
 次が遺作となってしまった『ブレインウォッシュド』(2002)。現代社会あるいは物質世界に生きるものはみな何かしらに「洗脳」されていると歌われるタイトル曲にみられるように重厚なアルバムだ。それからしばらくして耳にした「ホース・トゥ・ザ・ウォーター」は素晴らしい。


 騙されたと思ってジョージのソロ作品を聴いてほしいと思う。決して騙していないことが分かってもらえると思うから。
 
 
 

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