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エコール・ド・パリの藤田

 1920年代を中心にパリで活動していた各国の画家たちのことを指して「エコール・ド・パリ」という。
 藤田嗣治(レオナール・ツグハル・フジタ)もその一人。
 その時代に焦点を当てた「藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代 1918~1928年」が2024年3月7日(木)から7月23日(火)まで軽井沢安東美術館(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43-10)で開かれる。
 1913年に渡仏した藤田嗣治は、「乳白色の下地」でヨーロッパを席巻する1920年代まで、さまざまなスタイルを模索する。
 そこには日本人として大成するという変わらぬ決意と、自由な画風を重んじた、彼を取り巻く画家たちの影響がうかがえる。
 本展覧会では、藤田の1910~20年代のスタイルがどのように生み出されたのかを紹介する。独自のスタイルの確立を目指して挑戦し続けた藤田初期の作品を鑑賞することが出来るよい機会だ。

《二人の少女》1918年 油彩・キャンバス(中央)、《街はずれの門》1918年 油彩・キャンバス(右)、《腕を上げた裸婦》1924年 油彩・キャンバス


 新所蔵の《二人の少女》が初公開される。1918年8月、アヴィニョンそばの町で制作された作品だ。手に人形とポジーの花を握った金髪と黒髪の少女が椅子に腰かけ、まっすぐにこちらを見つめる様子は、同年にモディリアーニが描いた「二人の少女」の構図や視線と通じるものがある。
 1910年代は藤田が、ピカソやモディリアーニ、ルソーなどの影響を受けてオリジナリティーを模索した時代だったが、この作品はそれを象徴する若かりし頃の作品の一つといえる。
 今回紹介される作品には《街はずれの門》もある。藤田がパリの風景を集中的に描いたのは1917~18年。いわゆる誰もが知る各所旧跡の類ではなく、それはひっそりとした場末の景観だった。
 都市周縁のさびれた眺めはアンリ・ルソーが1890年代から取り組んだテーマ。ルソーはエコール・ド・パリの間で人気の根強い作家だったことから、藤田がルソー本人と会うことはなかったものの、彼の作品を実際に見る機会はしばしばあったといわれている。
 モティーフや物悲しい色合いなど、この作品にはルソーの影響がところどころに垣間見える。
 主な展示作品にはほかに《壺を持つ女性》がある。二番目の伴侶となったフェルナンドが敬虔なカトリック教徒だったこともあり、藤田の初期作品には宗教的なものが少なくない。1918年に南仏を訪れ、かつて教皇庁があったアヴィニョン近くを旅して、中世の宗教美術に触れたことも創作の契機となった。一方、その画風には単純化されたフォルムの女性像で有名なモディリアーニの影響も感じられる。

展示風景


 同時開催されるのは特別展示「『エロスの愉しみ』より」でこちらは2024年7月23日(火)まで。
 『エロスの愉しみ』とは、ドイツの詩人オッフェンバックが「愛」をテーマに編んだ詩集。1920年代初頭、藤田は「乳白色の下地」と細い描線を活かしたオリジナリティ―を確立するにあたって、浮世絵や春画を研究したといわれている。この作品もそのなかで誕生した。
 藤田の水彩画に基づくポショワール10点の挿画とページの装飾としてあしらわれた愛らしい天使たちのカットに注目だ。
 開館時間は午前10時から午後5時(入館は午後4時半まで)。休館日は水曜日(祝日の場合は開館。翌平日が休館となる)。
 観覧料は一般2300円、高校生以下1100円、未就学児無料。オンラインチケット購入の場合、100円引きとなる。
 連絡先は0267-42-1230。軽井沢安東美術館の公式サイトは https://www.musee-ando.com
 軽井沢安東美術館は、代表理事の安東泰志と妻・恵夫妻が長年収集し、自邸に大切に飾ってきた藤田嗣治の作品のみを常設展示する美術館として2022年秋にオープンした。

軽井沢安東美術館正面玄関


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