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● よくある質問コーナー - お金のない世界 政府通貨

 「コァッ、コァッ、た、た、大変です、ご主人様。銀河各地から『政府通貨』や『脱皮』についてたくさん質問のお便りが届いています。亜空間あくうかん通信ですって。難しそう、コアー」
 「なんだって? おかしいな、これって生放送じゃないはずなんだが。しかも、まだ説明の途中だし…。まあ、いいか。それじゃ、タマ子、一件ずつ紹介してごらん」
 
 「はい、コッコ。最初のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴で節税対策』さん」
 ◇ 基本金の財源は何でしょうか? またしても税金が上がるのでしょうか?
 ◆ おっと、これは私の説明が下手糞へたくそだったようですね。そのための政府通貨であって税金や保険料に頼る必要がないのです、国債などの借金も不要なのです。
 お金を「集めて配る」から、直接「作って配る」に転換したのです。税金や保険料を集めて少しずつサービスを配るのではなく、直接必要なだけお金を作って必要なところに配るのです。だから、脱皮したら脱税、ではなくて、節税に頭を悩ますこともないのです。節税を指南する仕事も無用になりますが、それに代わる仕事がいくらでもあります。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴でインフレ対策』さん」
 ◇ 政府通貨なら聞いたことがあります。しかし、誰がどんなに提唱しようと有力な有識者や政治家の先生方によって常に却下されました。それは確か、超インフレになる懸念がぬぐえないからでした。超インフレにならない保証はあるのでしょうか?
 ◆ 物やサービスが不足する一方でお金が極端に過剰な状態が超インフレですが、技術や設備機械や労働力が発達した社会では、国(政府) や関連機関が慎重にお金を発行・管理すれば、適切なバランスを保つことは決して難しくないのです。
 また、信用創造で作られる見えないお金は借金が返済されると消えるので、次々と借金を作り出す必要があります。局面打開のために国債や紙幣を大量増刷することもあります。
 これに対して、私たちの政府通貨は、見えないお金(口座上のお金) も見えるお金(現金)も基本的に消えません。消えずに社会を血液のように循環し続けます。だから経済規模に合った通貨量が行き渡れば、超インフレを招くような通貨発行をすることもないのです。
 どんな時代、どんな経済体制でも、お金のバランスでかぎになるのは、政治家やお役人や大金を動かす人の資質やモラルであり、それらもまた、言論の自由に支えられた国民の声とともに成熟していくのです。ちなみに、私たちは政治家を先生とは呼びません。
  お金は人間が作ってきたものです。世の中のお金の全体量や配分を決めてきたのも人間です。超インフレも不景気も、そうならないためには、何のために、どうやって、どれだけのお金を作り、どこに配るかを大きく誤らないことです。「何が何でも経済成長信仰」や利権の力に押し切られないことです。
 働きたくても働けない人がいて、動かしたくても動かせない工場や機械や技術があって、政府が信用できず将来が不安で使わないお金が眠り、必要なところにお金が回らない…まさにこれが「不景気」であり、様々な社会問題の温床にもなります。不景気の中にあっては、組織や個人の多くが、なりふり構わず自分たちを守ろうとして、より利権や私欲を優先してしまい、さらに悪循環にまることもあるのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴と不屈の精神』さん」
 ◇ 基本金やら基本資金やらを配ったら、厳しい現実社会を生き抜く強さや必死さがなくなりませんでしたか? 人は軟弱になりませんでしたか?
 ◆ 人は総じて強くしなやかになり、それぞれの命を大切に生きるようになりました。
 厳しい現実社会を作り出しているのは何でしょう? 自然の要素が少々と残りは人自身なのです。人自身が生き辛い社会を作り出しているのです。それに打ち勝つ人は立派ですが、誰もが一生、勝ち続けられるわけではありません。
 人は、「人間なんてこんなもの」と決め付け、厳しい競争社会を作り出しては、その社会に個々の人生を適合させることを自明のこととして受け入れます。仕事も学校教育も窮屈な型枠に人間の善性や可能性を閉じ込めるかのように。そして「人生は厳しい。強く生きねばならない」とします。それは「強さ」というよりむしろ「強がりの押し付け合い」と私たちはとらえます。
 私たちは、厳しい現実社会を優しい現実社会に変えようと粘り強く取り組んできました。
 優しさは自分に対する厳しさと表裏一体とも言われます。それを裏付けるように、脱皮して行く社会と一人ひとりの歩みは、人を強くしなやかにして行くのです。
 
(中略)
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴と働きバチ』さん」
 ◇ 基本金やら基本資金やらを配ったら、労働が軽視されませんでしたか? 働かない人が大勢出ませんでしたか?
 ◆ 労働は有史以来最高に尊ばれるようになりました。一時は働かない期間があっても、喜んで再び何かに従事する人がほとんどでした。
 人は本来なら(心身が少しでも健康でいられるなら)、働きたいと願うものです。何かをせずにいられないのです。それのみか、人間は自分の仕事が他者に喜ばれることで自己の充実を感じる非凡な生き物なのです。
 ところが、お金が命より優先される競争社会では、「生命の声」が喜ぶような労働は排除されがちなので、ともすると、人はわずかな時間でも怠けたくなるのです。
 労働は人間の尊い行為です。しかし、脱皮する世界では、何が何でも働くことが絶対的美徳という考えは衰退します。何のために働くかが、より明白に重要になります。
 そもそも脱皮前の世界は、労働力のかたよりが大きく、過労死するほどの激務がある一方で、仕事がないか、あっても痛々しい収入にしかならない仕事がざらでした。脱皮前の私たちの国では、労働は義務でした。人は生活のためにお金を稼ぐ労働が必要でした。しかし、不景気で仕事がなくても労働が義務とは、何という矛盾、不条理でしょうか。
 
 それでなくても、脱皮前の世界では、人類の益になるはずの科学技術の進歩が、様々な仕事を人々から徐々に奪っていました。多くは、効率化、人件費削減の名目で。ロボットが、IT(情報技術)が、AI(人口知能)が、かつてない数の失業者を世に送り出そうとしていたのです。
 昔、私たちの国に電気洗濯機ができて人は手洗いの労苦から解放され、その時間を他のことに使えるようになり、誰もが喜びました。しかし、あらゆる機械化が進み社会全体の手仕事が縮小してくると、科学技術の進歩は手放しでは喜べなくなります。失業者を大量に出し、貧富の差をさらに広げ、社会をギスギスさせるのです。
 これに対し、政府通貨を元にした科学技術の進歩は、副作用なく・・・・・、比較的単調な仕事から人を解放し、膨大な情報を処理する複雑な仕事から人を解放し、辛い仕事や危険な仕事から人を可能な限り解放します。収入源である仕事を人から奪うのではなく、人が自由になる時間を創出し、人を快適にし、人類全体が向上していく原動力となります。貧富の差なら逆に解消します。すべての理由は簡単。お金の心配をする必要がないからです。
 そうして得られた時間で、人は誇りと喜びを持って労働をします。多くの仕事が、社会と個々の豊かさのために進化し成熟していきます。
 
 それは、科学技術が及ばない仕事、科学技術に頼るまでもない仕事、あえて人の手でする仕事などです。
 それは、人の不安につけ込むのではない、無理にでも買わせるのではない、だましてでも奪ってでも誤魔化してでも売り上げを捻出ねんしゅつするのではない、数字を操り数字に操られるのではない、利子や配当に一喜一憂するのではない仕事です。
 私たちは、社会にとってなるべく必要な仕事をします。特に、教育、医療、福祉、防災、環境保全、食料生産などの仕事は、人手がどれだけあってもいいものです。
 中でも農業を中心とする第一次産業は、食料自給率を高め維持するためにももっと尊重されるべき大事な仕事です。区画整理された広い田畑だけでなく、大型機械が入らない狭い田畑も水を貯え無数の命をはぐくみます。農業には経済的合理性だけでは計れない恵みがあるのです。人は何がしたいかわからなくなったら短い期間でも自然に飛び込むといいのです。大地は分け隔てなく人を受け入れてくれます。大地はさらに、心を空っぽにして耳を澄ます者に生命の息吹を吹き込んで心身を元気にしてくれることさえあります。
 
 脱皮中の仕事の多くは日に6時間、週に4日も働けば十分です。脱皮後はさらに短時間になります。人々は仕事を分け合い多種多様な職業を経験できます。
 もちろん、一つの職業を生涯の仕事として打ち込むことも、四六時中、一つの仕事に専念することも自由です。特に熟練を要する仕事ではその種の働き方は残りますが、それでも脱皮前には乏しかった時間や心の余裕が全然違うのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴とタクシードライバー』さん」
 ◇ 私は都市部のタクシー運転手です。小規模な農業では稼げず生活していけません。電車やバスが先に無料になったら、私らの商売も上がったりです。どうなんですか?
 ◆ 公共交通機関が無料となれば、当然のように人々はそれらを積極的に利用しタクシーは一時的に利用しなくなりましたが、またすぐにタクシーも利用するようになりました。誰にも金銭的な余裕ができるので気軽にタクシーも利用できるからです。時刻表に縛られず目的地に短時間で直接行けるというタクシーならではの長所があるからです。
 
 ちなみに、私個人は、脱皮前はほとんどタクシーを利用したことがありません。元々歩くのが好きだし、必要に差し迫られて利用したとき、残念な思いをしたからです。近距離の行き先を告げると露骨に不機嫌な態度になったり、少しでも距離を稼ごうと遠回りしたりする運転手さんに偶々たまたま当たったからです。運転手さんにも生活がかかっていて大変なのはわかりますが心が痛みました。その点、脱皮する(した)世界では、運転手さんも利用者もお金のためにこせこせする必要がなく、普通に自然に明朗でいられるのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴で企業努力』さん」 
 ◇ お金の心配をする必要があるからこそ競争社会だからこそ、売れる製品を、ライバル社より優れた製品を作ろうと、会社はアイデアを練り切磋琢磨せっさたくまします。その結果、技術も品質も向上していきます。豊かな社会はこうして進歩していくのではないでしょうか?
 ◆ それは確かに豊かな社会を実現するための大きな原動力でした。私たちは先人たちの功績にどんなに敬意をはらっても足りません。しかし、私たちはいつまでもそのやり方にとどまっていてはいけないと考えたのです。そこは成功と挫折の諸刃もろはの社会です。冷酷非情と紙一重の社会です。それに、予算を気にしながら、利益率も、納税額も、株主のご機嫌も気にしながら、優れた製品やサービスを世に出し続けることは至難の技なのです。大手企業には可能でもそのしわ寄せで零細な下請け会社ほど苦しむのです。
 
 私たちは、お金のためではなく、誰もが豊かに共生する社会のために、アイデアを練り、切磋琢磨します。どちらがより早く優れた製品を提供できる可能性が高いか? 物作りの真の喜びはどちらにあるか? 作り手の真心が難なく込められるのはどちらか? どちらが望ましい姿か? 光に葉を向ける草木のように私たちは後者を選んだのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴で高利貸し』さん」
 ◇ 利子をなくすなんて、乱暴過ぎませんか? ゼロ金利やマイナス金利で、その時々の各種金利を柔軟に調整しながら経済の安定・発展を目指すべきではありませんか?
 ◆ それで経済がうまく回るなら利子も結構でしょうが、私たちの場合はうまくいかなかったのです。行き詰って、先行きが見えないところまで追い込まれていたのです。
 
 私たちの星でも景気対策に、いくつかの国で一部の金利を一時的にマイナスにしたことがあります。つまり、預ける期間が長くなるほど元のお金の価値が下がっていく状態です。しかし、ほとんど効果はないばかりか、かえって閉塞へいそく感や無力感が漂いました。
 なぜなら、利子は競争の原理によって立つ椅子いす取りゲームであり、預金者(銀行など) はそのマイナス分をどこか別のところで、無理してでも取り戻そうとするからです…社会のためというより自分たちを守るために。表土をこねくり回していても土壌は改善しません。私たちは今と数十年後、さらにその先の長い歴史も見えて利子と決別したのです。
 
 それにしても、タマ子。さっきから気になってたんだが、皆さんのペンネーム、じゃなくて、亜空間あくうかんネームは何でこんなに「穴」付きなんだろう? もしかして私の説明が穴だらけってことかな? そもそも説明途中で次々と質問のお便りが来るもんだから…。ブツブツ。
 「コッコ、よく気がつきました。穴だらけ、欠陥だらけ、突っ込みどころ満載ってことだと思います。へこたれずに、がんばりましょう」

(中略)
  
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴と大物政治家』さん」
 ◇ えー、私は政権を預かる政治家でございます。安定を望む国民、特に大企業や富裕層の皆さんから絶大なる支持を得ております。たまには不祥事などもありますが雑音は封印し、ぶれずに経済発展第一で国民のための政策を推進しております。政府通貨ということですが、もし、その政府が我々のような盤石ばんじゃくな政府ではなく、コロコロ入れ替わるような政府だったらどうなりますか? えー、それと少し前に、「政治家を先生とは呼ばない」などと聞き捨てならない発言がありましたが、どういうことでございましょうか?
 ◆ 恐れ入りますが、私たちの政府の中枢ちゅうすうは、AI(人工知能) 政府です。脱皮していく過程でAI政府に移行していきました。AI政府は、不祥事を秘書らのせいにして責任逃れをしません。本音から失言して「誤解を招いたなら陳謝します」とは言いません。税金を鱈腹たらふく食べて会議で居眠りもしません。次の選挙のため面識もないのに地元の冠婚葬祭にせっせと電報も打ちません。強大国からの圧力や利権や党利に左右されない、広く国民のためになる最良の施策を、膨大な情報から瞬時に分析・判断して導き出します。
 
 AI政府はコンピュータの言わば箱です。箱の前と後ろには本物の政治家がいます。議案を政治家がAI政府に渡し、AI政府が導き出した最良の施策を政治家が最終吟味して、法律や政策や制度に反映します。
 私たちの政治家は財界の代理人ではありません。宗教団体の別の顔でもありません。多様な考えを認め合いながらも群れる必要もありません。だから、政党や派閥といった枠組みも自然解消していきます。公正で志の高い尊敬できる政治家だからこそ、私たちは先生とは呼ばないのです。彼ら(彼女ら) は、先生と呼ばれても喜びません。先生と呼ぶのは、本来、先生と呼ばれていた学校の先生やお医者様だけで十分です。失礼しました。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴と為替レート』さん」
 ◇ 外国とのお金のやりとりはどうなるのでしょう? 入出国も輸出入も税金関連も大変なことになりますよね。そもそも一国で、政府通貨、脱皮中、脱皮後などと騒いでいても国際的に問題ないのですか? あなたたちは何も知らないから無責任なことを恥ずかしげもなく言えるのでしょうが、私たちの星では、国際間の複雑な通貨制度や国際通貨を主導する強大国や組織が壁になって、そんな簡単には事が運ばないのです。
 ◆ 問題があるなら問題をなくすべきと私たちは考えます。私たちの惑星でもややこしいことが山盛りでした。それでいて先進国とか経済大国と呼ばれていた国でさえ時代が進むにつれ厳しい財政難に陥っていました。様々な社会問題も深刻化していました。ややこしくしておいて問題だらけ、これっておかしくありませんか?
 
 幸い私たちの国は、先人たちの苦労のおかげで条件に恵まれていました。政府通貨を発行して経済を立て直すための条件です。人や技術や設備機械等の生産性が高いこと、多くの問題を抱えながらも独自通貨で経済が回っていること、海外に借金がほとんどないこと、国民が総じて勤勉であること、機が熟していたことなどです。条件がそろっているのに破滅の足音を聞きながら有効な手を打たない状態こそ無責任と私たちは考えました。私たちは世界で始めて本格的に政府通貨を導入し、経済を劇的に立て直すことにも成功しました。
 脱皮中、海外から来た人々は、交通機関やあらゆる公共サービスが無料であることに衝撃を受けます。その簡単な仕組みを知って歓喜し、見聞きしたことを自国に持ち帰ります。入国するまでもなくネット社会での情報は世界中を駆け巡ります。一国の行き詰っていたあらゆる状況が劇的に改善し国民が元気になれば、世界は認めてくれるのです。
 認めるどころか、いくつかの国々はすぐに同様の方法を採択し、それは徐々に世界中に広がっていきました。お金が不要になる完全脱皮ではなく、政府通貨で経済が回るだけでも社会は劇的に明るくなります。私たちは名誉ある先駆けとなったのです。
 
 脱皮中、輸出入でのお金のやり取りも、お金の出所でどころが政府通貨に変わっただけで、基本的には変わりません。無税では関税に支障ありということなら、世界中の足並みが揃うまで関税を残せば済むことです。海外の資産家や大企業がタックスヘイブン(租税回避地) に利用しようとするなら、その国に迷惑をかけないよう法を整備し厳重に監視するシステムを作れば済むことです。
 世界中が同時に脱皮できるわけではないので、輸出入や渡航ではお金のやり取りをめぐって様々な課題が出てきます。しかし、それもそのための政府通貨を柔軟に駆使しルールをしっかり決めていけば解決できないことはないのです。たとえば、自国に足りない資源は外国に頼らざるを得ませんが、相手国が脱皮していなければ、私の国(政府) が相手国に通用するお金に交換して資源を輸入すれば済むことなのです。
 
 ちなみに、脱皮中や脱皮後の輸出入の目的は、自国に足りない物や生産できない物を補完し合い、優れた製品を提供し合うことになります。それは、個々の企業の利潤が第一ではなく、外貨稼ぎのための農産物や工業製品の売り付け合いでもありません。自国で優れた農産物や工業製品が作れる国に対しわざわざ割当量を押し付けて生産者を苦しめません。単純な私たちは、貧しかった国ほど世界中で助け合って豊かな世界に向かいます。大半の国が脱皮して、お金が不要になれば、関税の税率や貿易協定を巡ってすったもんだ・・・・・・もせずに済むのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴で一旦停止』さん」
 ◇ ちょっとストップ。あなたの星では政府通貨で貨幣経済を再建した。そうですよね? せっかく再建したのにお金が不要になったのですか? それはなぜ? どうやって?
 ◆ そうなんです。再建してからお金が不要になっていったんです。それを私が説明しかけたところへ質問のお便りが次々と舞い込んできて、対応に追われていた次第です。
 
 私たちは政府通貨でお金の経済を大きく変革しました。これで何十年、もしかすると何百年も経済がうまく回るんじゃないかとさえ予想もしました。ところが、結果は予想を越え、お金は塩をまかれたナメクジのようにしぼんでいったのです。そうなった一番の背景は、「損得は全体トータルでとんとん」(125~126ページご参照) と私たちが自然に思えるようになったことです。お金が当然の星の人には戯言たわごとにしか聞こえないことは承知しています。
 
 しかし、私たちはお金を根源から問うたのです。お金は天からの恵みでも地からの恵みでもありません。お金は人間が作り出し「価値あることに」「信用できることに」し合っている了解ごとなのです。あなたの星の紙幣は私の星ではただの紙です。
 人は、そのお金を神のようにあがめ、仕事でもプライベートでもどれほど多くの時間と労力をお金に捧げていることでしょう。その時間と労力をお金抜きで目的に向ければ、もっと生産的になれるのです。もっと世界は広がり、もっと自由になれるし、余計なストレスは激減するのです。
 私たちはこの奇跡の星にお金の計算をするために生まれてきたのでしょうか? お金の計算をして、お金で暇つぶしして、お金で気晴らしして、お金で…。 それも人生でしょう。しかし、いつまでもそれでは、如何いかにももったいないと私たちは思ったのです。
 
 脱皮中、私たちは、政府通貨を財源として、公共性の高いものから順次、無料にしていきました。しかし、公共性の高低や民間との区切りは次第に薄れていきます。人々の仕事や暮らしが政府通貨を元手に回るようになると、お金自体も影が薄くなっていくのです。
 水中に人間が長くいるためには酸素ボンベが必要です。しかし、一度ひとたび水面から出たなら、ボンベはいらないし、かえって自由を妨げます。お金も同じことなのです。お金の計算、移動、記録、分析に明け暮れるメリット(長所) よりデメリット(短所) が大きく上回ることに私たちは気づいたのです。そもそもなぜお金? と誰もが自然に思えてくるのです。
 そこへ、実際にお金が不要になっていきます。たとえば食料品なら、食料品の中でも日常的に必要なものから優先して無料化されます。無料化される食品の生産者(Aさん) は、当初、生産に必要な原料や機械などの購入や維持のための資金を政府通貨から得ますが、その原料や機械の生産者にも同様に政府通貨が投入されると、Aさんは、その原料や機械を無料で入手でき、政府通貨も次第に不要になります。その繰り返しで、政府通貨の投入先は、あらゆる分野で次第に絞られていき、最終的に自国で調達できないものだけになるのです。実際の経済活動は縦方向の一方通行だけではなく、横にも斜めにも蜘蛛くもの巣のようにつながっているので、「損得は全体トータルでとんとん」の関係が実現していくのです。
 
 「そんなうまくいくわけない」と思われますか? ツリーから葉っぱを引き千切るのではありません。役目を終えた電飾を外すだけです。電飾(お金) は、元々なかったのです。心開けば簡単なことなんです。私利を超えて未来と本来に心開けるか、最後はそこなんです。あなたが私の星にやってきたら私の自慢の野菜や果物をあなたに差し上げます。私があなたの仕事の成果に直接触れられなくても、私は知らないどこかで間接的にその恩恵にあずかっています。それで十分です。そこにお金のやり取りはいらないのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴でチケット争奪』さん」
 ◇ お金には人の欲を調整する役割もあります。たとえば、入手しにくいチケットほど高額になり、それでもほしい人が高いお金を払って購入します。お金のない世界では何でも「譲り合い」と「早い者勝ち」ということですか?
 「ご主人様、チケットって何ですか? 例をあげてくれないと困りますよね。コッコ」
 ◆ タマ子、チケットというのはね、指定席券みたいなものだ。グリーン車のチケット、スポーツ観戦のチケット、人気アイドルのコンサートチケットなど、いろいろあるよ。
 「うーん、もう少し具体的に例をあげてくれないと、わかりません。コッコ」
 ◆ そうか。では、「めんどりタマ子ディナーショー」なんてのがあるとする。タマ子は人気者で百万人くらいの人が入場したいけど、会場の定員は百人で入れない人がたくさん出そうという場合、チケットの金額で調整するわけだ」
「えへへ、それならよくわかる。コッコ」
 ◆ そうか。(フィルムがもう切れそうなのに、とんだ空費だ) さて、本題に戻りまして、脱皮後の私たちは、お金の代わりになる「ポイント」をしばらくの間、採用しました。
 「ポイント」の仕組みは次のとおりです。
 ・毎年、国民一人ひとりの誕生月に、国(政府) から一定のポイントが付与される。
 ・ポイントは、使わなくても一年後に消える。使えば減り増えることはない。
 ・ポイントは、譲渡や貸し借りはできない。
 ・チケットの入手などは、基本的に申し込みの先着順とし、ものによっては抽選とする。
 ・ポイントは、選手やアーチストや興行主などに直接払うわけではない。ポイントを使うとき(チケット取得時など) は、国(政府) の個人記録からポイントが引かれるだけ。
 特に、最後の点において、ポイントはお金とはまったく異なるものです。
 
 ところで、このポイントも次第に使われなくなりました。たとえば、グリーン車チケットは、すべての車両が心地よい座席になっていくと無意味になります。放映権や著作権などもなくなり、VR(仮想現実) 映像技術の発達と相まって、誰でも居ながらにして特等席で臨場感たっぷりに安全にコンサートや観劇やスポーツ観戦が楽しめるのです。それでもどうしても生で体験したい人だけがポイントを利用します。
 
 ちなみに、放映権や著作権だけでなく、特許権もなくなります。それらはみな本来、先人たちの幾多の奮闘努力の積み重ねによって達成されてきた人類全体の共有財産なのです。貨幣経済の競争社会だったから、この権利もあの権利も失うまいとします。しかし、競争社会を脱すれば、そこには個々の権利にしがみつかなくても、それを遥かに凌駕りょうがする特権の数々が、自由が、可能性が万人に開けているのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴で契約更改』さん」
 ◇ 私は、プロトップアスリートの代理人です。私の担当するアスリート(選手) たちは一般人の生涯年収の何倍もの金額を1年で稼ぎます。あなたの星のようにお金が不要ということになったら、彼らの天性の才能、鍛え上げた体力、みがき抜いた技術、探究心など、それらに見合った年俸も「なし」ですか? そんなことでは、子どもたちも「将来あんな選手になりたい」という夢を抱けなくなるのではないでしょうか。
 ◆ 超人的なプロのアスリートも、現役期間が脱皮期間内であれば、高額年棒を突然失うことはないのです。彼らでさえ大けがや大スランプの不安と無縁ではありません。選手生命がいつ終わるかもわかりません。また、彼らはピラミッドの頂点のようにまさに一握りの存在ですが、その下にはプロからアマチュアまで常に不安を抱えてプレーする無数のアスリートがいます。一方、脱皮中も脱皮後も、すべてのアスリートは、彼らを取り巻く環境下において経済的不安から開放され、練習や試合に打ち込めるのです。
 
 それにまた、私たちが真に感動するのは、彼らの年棒ではなく、そのプレーではないでしょうか。スポーツだけではありません。映画や音楽や料理でも、どんな分野の作品でも、真の感動は作品そのものにあるのであって、作者がいくら稼いでいるかとか、高額な料金や巨額な制作費ではないはずです。お金に関係なく、感動を呼ぶパフォーマンスには賞賛や名誉が付いてきます。また、それに見合った待遇として、本人の希望を踏まえ住環境を初めとする様々な形で社会は報いることができるのです。
 お金ありきの世界では、スポーツでも、お金になる(可能性のある) 種目に人気が集中しがちです。しかし、メジャーでない種目も、やってみて初めて、その楽しさや奥の深さに気づくことがあります。才能や適性のある人が集まれば、その種目のレベルも上がるでしょう。お金を判断基準にせず、いろんな種目や分野を通して自分に合ったものに出会えることは、本人にとっても社会にとっても幸福なことではないでしょうか。職業でも芸術でも趣味でも同じことが言えると思うのです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴で土地転がし』さん」
 ◇ 私は都心の一等地に土地を持っています。先々代から受け継いだ土地です。たぶん、あなたのような人には浴室ほどの面積さえ一生手が届かない価格です。お金が不要の世界では私の土地の資産価値も「なし」ということですか? それと、もし私が新たに好立地の土地を知った場合、お金が不要の世界では、その土地をどうやって自分のものにできるのでしょう? まさか、すべての土地は国がいったん没収して、国から借り受けるなんてことではないでしょうね。
 ◆ 私は都心でも働いたことがあるので一等地がどんなものか想像はつきますが、あなたのお悩みを親身になって想像できるほどの裕福な生活には無縁でした。したがって、満足いただける回答は難しいと思います。それでもよろしければ…。
 私も土地を持っています…山間部ですが。先々代の先代から受け継いだ土地です。宅地に田畑に広い山林がありますが、全部の面積を合わせても、たぶん、あなたの一等地の洗面台の面積ほどの資産価値もありません。それでも、あなたの一等地にも負けない価値・・があると私は思っております。先祖や親戚や近隣の人が荒地を切り開き、石を積み、土を育て、幾多の苦難をなめながら、脈々と受け継いできた土地なのです。
 しかし、「それがどうした」と言われそうなので、この話はめて別の話をします。
 
 土地は元々誰のものでもありませんでした…人間が現れるまでは。
人間が現れて、「ここは私の場所」と宣言すると、その人のものになりました。世の中にお金が現れると、品物と同じように土地も売買されるようになりました。場所の便利さや安全性、日当たり、土壌どじょう肥沃ひよくさなど、条件のよい土地ほど高値で取引されました。土地は投機の対象となり、その土地を使うわけではなくても、利益のために売買が繰り返されました。あなたのお悩みは、この延長上にあると思われます。
 申し訳ございませんが、私たちは、力くらべ(競争) の世界は脱したのです。利益を得ようとする必要も「蓄財」の必要もないのです。だから、資産価値という考えも過去に置いてきました。資産形成、資産運用、これらのことばを実生活で聞くこともなくなりました。
 今では、私たちは土地を売買などしません。何らかの事情で土地や建物の所有者が変わるときは登記の記録を変更するだけです。しかも、簡単な手続きで。
 所有者が誰なのか不明になったり放棄されたりした土地や家は自治体の所管になります。積極的に個人や企業や団体から自治体に譲渡することもよくあります。法律や条例の障壁は取り払いました。それらの土地や家は誰にも利用権があり申請して審査に通れば利用できます。だから、誰でもマイホームを持つことは難しいことではないし、セカンドハウスも特別なことではありません。
 
 ここで、ついでながら脱皮後の家について簡単に紹介します。私たちの家は、一戸建てであれ、集合住宅であれ、「丈夫で長持ち」が基本です。百年は余裕で持ちます。なぜなら良質な建材を使い、理にかなった工法で、そこに住む人のことを第一に考えて丁寧に作るからです。脱皮前はそうしたくてもできない理由がありました。施主は費用をなるべく抑えたいし、建築業者もまた利益を出さないと経営が成り立たないからです。建材などの費用をできるだけ抑え、なるべく短期間で、なるべく画一的なセット製品などで作らなければなりません。しかも、あまり長持ちされては次の仕事が来ません。以上のような理由で、住宅ローンが終わる頃には大幅な改修か建て替えが必要になるようになっていたのです。
 
 脱皮前には見上げるような豪邸も多々ありました。豪邸からほんの少しずれた場所には、崩れかけのような一軒家や粗末な集合住宅が建っており、そこに住むしかない生身の人々が暮らしていました。古くて、狭く、風呂がなく、トイレは共同…それは、格差は仕方ないとする社会の象徴のようでもありました。路上生活に入り二度と抜け出せなくなった人々もいました。豪邸はかまいませんが、一方で、そういう粗末な集合住宅などがあり、そこに住む人々が悲惨な生活を強いられているという現実を私たちは放っておけません。それは社会として恥ずべきことと私たちは考えます。
 だから、脱皮し始めてから長期には渡りましたが、一大建築ブームとなり次々と小ぎれいな住居に建て替えられ、元の住民にも移り住んでもらったのです。住環境が改善するだけでも人は明るく前向きに生きられるようになります。他者ひとにも優しくなれるのです。
  
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴で確定申告』さん」
 ◇ 私は税理士です。働きながら勉強して難しい試験にも合格しました。私の身内も税のスペシャリストとして永年、身を粉にして国のために働いてきました。保険会社や証券会社に勤めている友人もいます。私たちには万に一つの可能性もあり得ないと思いますが、税金も保険も株なども不要な社会になったとして、私たちの仕事や人生はどうなるのでしょう? 私たちの仕事だけではありません。無償の仕事は例外的で、お金とまったく無縁の仕事なんてありません。全員失業ですか?
 ◆ 税金や保険や株もお金そのものも大切な役割を果たしてきました。その恩恵で、人類は欲望を調整し、ときには不安を和らげ、向上意欲を鼓舞しながら、文明を築き上げてきました。人類が通る必然だったともいえるでしょう。
 「単純だからできたのだろう」と言われればそうかもしれませんが、私たちはお金の果たしてきた役割を肯定しつつ、将来に渡る長期的視点を優先したのです。税金でも保険でも他のどんな制度や仕事でも、重大な問題を抱えているなら、それに代わる合理的なやり方があるなら、職業的経験知識や個々の思い入れを超えて新段階に移行できないものかと、私たちは愚直に本気で考えたのです。
 私たちは今あるものがずっと続きその中で生きていくしかない感覚でいます。ところが実際は、ほぼすべてのものが変化していきます。建物、設備、機械、道、乗り物、情報、通信手段、職業、法律、制度、あらゆる技術や芸術…。百年前から続いているものがどれだけあるでしょうか? 見える物も見えないものも移り変わっていきます。時代の必然性が変えていくのです。少しずつ、ときに大胆に。人類の歴史の中で貨幣経済の一大転換を実現できるなら、それは後世にも誇れる名誉なことではないでしょうか。
 
もちろん、目前の仕事を成し遂げねばなりません。宙ぶらりんのお金を大半の人が納得いくように清算せねばなりません。明日の食料も、来月の衣服も、来年の住居も確保せねばなりません。大きな変化とそのショックを和らげねばなりません。だから、私たちには脱皮期間が必要だったのです。
 失業の心配ならご無用です。人間を幸福にする生産的な多種多様な仕事が待っています。
 仕事だけのことではありません。お金の計算がなくなるだけでも膨大な時間ができます。あなたの自由な時間が確保できます。お金の競争社会の中では、多くの人が、子どもの頃の夢や本当にやりたかった職業をどこかでたな上げして現実的選択をします。そしてその後は、一度引っ込めた夢も情熱もほぼ例外なく戻ってきません。しかし、脱皮する世界では違うのです。命の尽きる直前まで何事も遅すぎることはないのです。お金に振り回されることなく、誰もが充実した人生を生きられるのです。
  
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴でお買い物』さん」
 ◇ ねえ、知ってる? 私の趣味はショッピングなの。ノルマにパワハラにセクハラにクレームに、毎日辛いことだらけだけど、がんばってお仕事して、いただいたお給料で気に入った服やアクセサリーを買ったり、おいしい物を食べ歩いたりするのが好きなの。生きてるって思えるの。家賃も払っていけるし、デートにもコンサートにも美容院にも行けるし、体のどこかおかしくなったら病院にも行けるの。困っている人に寄付してあげることだってできるの。それもこれも、お金があるからできることでしょ。税金も保険料も払ってるからでしょ。変なこと言わないでよ。バカ。
 ◆ どうもすみません。
 「それで終わりですか? コッコ」
 ◆ いや、その、「お金があるからできる」と言われると、そうなんだよな…。
 「何て頼りないご主人様! では代わりにタマ子から一言。コッコ。
 あのね、ニワトリの社会には、お金なんてないの。なくたって好きなものは口に入るの。あなたたちってお金というケージから出られずにいるんだわ。ケージは開いているのに、お金があるのは当前と思い込んで、狭い世界でくちばしで小突き合って、本当にしたいことも我慢して、ストレス抱えて働いてるんだわ。そうやって、やっと入った少しばかりのお金で好きな物が手に入るからって、そんなの何か変。そんなの、ちっちゃーい。コッコ」
 ◇ 何わけわかんないこと言ってんのよ、変なニワトリ。フライドチキンにして食っちゃうぞ。
 「キャー、ご主人様、助けてー、ココココ」
 ◆ お嬢さん、すみません。タマ子に悪気はありませんが柔らかい肉ももうありません。
 たぶん、同じところを33回んで、やっと噛み切れるかどうか、そのくらい硬いです。
 ここは、どうかお見逃しください。
 ◇ まあ、そんな硬いのはいやだから今回は見逃してあげるわ。以後気を付けなさいよ。
  
 「コ、コ、こわかったー。次のお便りです。亜空間ネーム『宇宙の穴と資本主義』さん」
 ◇ 要するに、あなた方は資本主義を否定し社会主義に移行したということですか? やたらと単純さを強調するあなた方に質問の意味が通じるか不安なので補足しますと、
 『資本主義』とは、資本家の利益追求を目的として生産活動がなされる経済の仕組み。
 長所は、国民の自由競争が原則なので技術や経済が発達しやすいこと。また、その恩恵で資本家でない人も割りと豊かな暮らしができること。短所は、資本家に富が集中して極端な社会的不公平が生じやすいこと。また、お金自体が目的化し人心が荒廃しやすいこと。と言われています。一方、
 『社会主義』とは、国(政府) の主導で生産活動がなされる経済の仕組み。
 長所は、(理論上は) 富が公平に行き渡り、生活の不安がないこと。短所は、生活が保障され競争原理が働かないので、労働意欲がなくなり技術も経済も発達しにくいこと。結局理論どおりに行かず、富が公平に行き渡るどころか貧困が行き渡り、力ずくで理論どおりにしようとして残忍非道な独裁政治になりやすいこと。と言われています。
 それぞれ歴史が証明しています。結局、社会主義なのですか? さらにその先を行く共産主義なのですか? 究極の共産主義は、私有財産もなくなり、争い事もなくなり、政府さえ不要になると聞きましたけど。
 ◆ 確かに私たちは単純で、少なくとも私はこの経済が何主義なのか知りません。だからと言って資本主義を否定するものではありません。資本主義は大切な役割を果たしてきました。おかげで、物は増え生活は便利になり、昼も夜も刺激的になりました。また一方、社会主義にも共産主義にも、不屈の心でその理想に向かう立派な人たちがいました。
 
 一番に問われるべきは、何主義かより、その根底にある生命観だと私たちは思うのです。どんなに立派な理想があっても、生命を軽んじるところに理想は実現しません。そこには悲しみも憎しみも尽きません。犯罪も戦争もなくなりません。言論を弾圧し、人を拷問にかけ、多くの人命を虐殺したことさえ何度もあります。理想のために?
 
 あなたの星があなたの国がどんな経済主義でもかまいません。お金の計算をするその手を休めて、宇宙に思いをせてみてください。
 この星もこの生命も銀河の超奇跡なのです。私たち人類は、広大久遠の宇宙の奇跡の一点、奇跡の瞬間に摩訶まか不思議にも居合わせているのです。私たち一人ひとりは、この星に一時ひとときの命を授かって生かされているのです。私たちは、たとえ生命が尊いと素直に感じられなくても、せめて生命に対し慎重であることが、どうしても必要なのです。
 
 それから、労働意欲のことですが、これも社会全体の生命観がかぎを握っています。
 生命の声が喜ぶ社会では、競争原理は働かなくても人は何倍も喜んで働きます。労働に限ったことではありません。競争原理が動機ではないからこそ、仕方なくではなく、受け身ではなく、人は自分の興味を掘り下げ喜んで励みます。技術も経済も文化も自由に伸びやかに発達します。社会はおおらかに人を包み、人はおおらかになっていきます。
 生命の声は、生命のエネルギーともいえます。人がこの世に生きている間、一人ひとりの中にあって、いつも生の充実(生きている実感、充実感) を求めているのです。
 生命の声が日常的に押しつぶされ続けると、人は心身を病んでしまうのです。それは実に人に飼われる動物でさえも同じなのです。
                                               
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『学校で穴掘り四苦八苦』さん」
 ◇ 脱皮する社会では学校はどんなところなのですか?  脱皮前と何が違うのですか?
 ◆ 学校は、もちろん、教育の場です。社会性、教養、考える力、体力などを養います。脱皮前との決定的な違いは競争原理に立脚しないということです。安定して稼げる職業に就くための選別の場ではありません。他者ひとを打ち負かす訓練の場ではありません。従順な国民の養成機関ではありません。親も教師も子どもたちに願う根本は「自由」と「成長」です。一人ひとりの優れたところを伸ばし、足りないところをなるべく補います。
 
 脱皮前は、貨幣経済の競争社会だったから、競争社会に適合するように、「負け組」にならないように、親は学校に期待します。教師(先生) は期待に応えるべくプレッシャーを受け種々雑多な問題を抱えながら、家庭を犠牲にしてまで限界以上の激務をこなします。おかしくなる先生も後を絶ちません。子どもは極端な場合、小学校入学前やさらにその前から遊びを取り上げられ勉強漬けにされます。しかし子ども時代に遊びを奪われた子どもは翼を切られた小鳥と変わりません。その傷は一生残るのです。勉強嫌いや家庭事情などから早々に脱落する子どももいます。テレビ局もゲーム会社も携帯電話会社も、利益を上げ、スポンサーや株主を満足させねばなりません。子どもの脳や生活への悪影響を本気で考慮する余裕はありません。親も、競争社会の余韻を家庭に持ち帰り、子どもに優しく接する余裕がありません。教室は、よく勉強できるけどどこか著しく病んでいる子どもと、落ち着きなく騒がしく勉強を諦めた子どもと、どちらでもない子どもで混沌こんとんとし、先生は疲れ果てます。
 勉強がよくできる子どもは「お受験」して、よく勉強できる子どもばかりを集めた学校に高い入学金や授業料を払って進みます。そして、あらゆる学力の多くの子どもがこれまた高い授業料を払って塾に通います。「教育格差」は拡がり、その子が親になっても同じことが繰り返されます。塾には「みんなで勉強できるようになろう」という甘い・・発想はありません。自塾の生徒だけ勝ち抜いてこそ塾なのです。塾に通う生徒もまた、自分だけ自分たちだけが勝ち抜かねば意味がないのです。塾やその生徒が悪いのではありません。塾もまた、成績を上げ評判を上げ利益を上げなくては経営が成り立たないのです。子どもたちも1点の違いが食うか食われるかの勝負なのです。ともすればそれは、他者ひとの幸福が素直に喜べない気質、他者の不幸を喜ぶ気質を、後押ししてしまうのです。
 
 一方、脱皮後の社会に塾はありません。塾の先生の多くは学校の先生になります。脱皮前には学校教育に相性が合わなかった塾の先生も、脱皮後の学校では伸び伸びと活躍できます。学校の先生が多すぎるということはありません。1クラスに多くて30人以内の生徒を科目ごとに複数の先生で担当します。
 
 いろんなことで競い合うことはあります。競争がすべて悪いわけでは決してありません。競争を通しても、人は知識や技術や精神を磨きながら、個人も集団も向上していけます。ただ、私たちが肯定する競争は競争社会に適合させるための競争ではないのです。
 「教育は人の心を狭くするためではなく広くするためにある」…この素朴な原則が細かな校則よりも尊重されるところでは、親も先生も重苦しい競争から開放され、おおらかに子どもたちの「自由」と「成長」を育み見守っていけるのです。
 私たちの学校で「いじめ」を見つけることは困難でしょう。なぜなら、脱皮していく私たちは、弱い者、苦しんでいる者を見たら、自分の心が苦しむからです。
 
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『犯罪で穴掘り四苦八苦』さん」
 ◇ 脱皮した世界に犯罪はないのですか? どんな対策をしているのですか?
 ◆ お金の経済から脱皮していく過程で、犯罪は段々減っていきました。お金の経済から脱皮すると、さらに一段と減りました。それもそのはず、お金がからまない犯罪は、元々非常に少ないのです。お金とは無関係に見える犯罪でも、大概どこかにお金がからんでいます。つまり、お金の経済を抜本的に見直すことが最強の抜本的対策なのです。
 しかし、人間のやみ(さがごうとも表現されます) は手強くて、残念ながら、犯罪は完全にはなくなっていません。
 そこで、私たちは、ある年齢になると任意で、指紋採取と、DNA鑑定のためのサンプル採取に応じます。これは対象を外国人など特定の人に限定するものではありません。人権や個人の自由を侵害するものではありません。だから拒否することも自由です。
 これは、犯罪を少しでもゼロに近づける有効な手段となっています。冤罪えんざい防止にも、万一の災害や事故などでの身元特定にも役立つのです。
                                                                                                                                                                
 「コッコ。次のお便りです。亜空間ネーム『戦争で穴掘り四苦八苦』さん」
 ◇ 脱皮した世界に戦争はないのですか? 軍隊や基地はどうなったのですか?
 ◆ 並々ならぬ質問です。ですが、私たちの答えは単純明快です。脱皮した今、戦争はありません。主な要因は三つあります。脱皮という挑戦を通し、命や戦争に対する人々の意識が深まっていったこと。全世界で貨幣経済からの脱却に向かっていること。世界防衛軍によって戦争が厳重かつ穏便に抑止されていることです。
 
 世界防衛軍とは何かといいますと…。
 私たちの大多数は戦争のない平和な世界を願ってきました。しかし、私たちの世界には、政治的または経済的に行き詰まって無茶をしたり、自国の領土や領海を力まかせに拡張しようとしたり、口実を作って戦争を仕掛けたり、それに報復したりといった動きがどんな時代にもありました。最も危ないのは、その国民ではなく指導者と仰がれる人々や軍部でしたが、さらに、その背後には「戦争の種きをする人々」がいました。
 なぜ「戦争の種蒔きをする人々」はそんなことをするのか? それは、ひとえに戦争ほど効率よくお金になる機会はないからです。いざ戦争になれば、莫大なお金や国債が発行され、超高額な大量の兵器が一気にさばけ、次の需要を生みます。不戦時でも、次の戦争のための兵器や設備や兵士の準備に莫大な国家予算が注ぎ込まれます。それも毎年確実に。貨幣経済から脱却し始め戦争がお金にならなくなると、事情は一変していったのですが。
 
 ところで、戦争をなくすには全世界の軍事力をなくすことが理想であるけれど、少なくとも、現実に危険な国や組織が存在する以上、軍事力をなくすわけにはいきませんでした。まさに私たちの不完全なところです。「戦争の種蒔きをする人々」にすれば、思うつぼでした。
 
 私たちは考えました。残念ながら軍事力をなくすわけにはいかない。ただし、その軍事力は、従来のように各国が軍備を競いながら緊張を持続するものではなく、各国自前の軍備に代わって、各国代表からなる世界で一つの「世界防衛軍」であるべきと。
 私たちは各家庭でパトカーや消防車を常備したり隊員に常駐してもらったりしません。それは暮らしにも家計にも無理で無駄なことです。警察が一つの組織として存在し地域単位で機能するものであるように、世界防衛軍は世界の大まかな拠点にあって、危ない動きを監視し未然に封じるものです。
 
 「コッコ。今入ったお便りです。亜空間ネーム『戦争で穴掘り四苦八苦・2』さん」
 ◇ 世界防衛軍か惑星防衛軍か知りませんが、各国の思惑や力関係などが邪魔をして到底うまくいくとは思えません。これは何かの冗談ですか?
 ◆ 冗談ではありません。私たちの星にも、かつて国連軍や多国籍軍と呼ばれる軍隊がありましたが、それは、必要なときに必ずしも的確に機能するものではありませんでした。まさに、各国の思惑や力関係などが邪魔をしたのです。
 私たちの世界防衛軍は、国の大小を問わず各国が自前の軍備を放棄することが条件になります。放棄は世界防衛軍への参加より後になっても良しとしました。世界防衛軍は、有志の参加国で構成され、拠点は分散していても一つの組織として機能するものです。原則として、本部も拠点も特定の国のメンバーに偏ることなく、国の大小にも関係なく万遍なく構成されます。
 メンバーは、究極の世界平和のために志願し、気高い精神と屈強な体力を併せ持つ精鋭の勇者です。格差社会の底辺から憎しみの銃を取るしかなかった若者ではありません。基地も兵器も新調する必要は当面ありませんでした。各国が放棄する軍備から必要分を確保し再編成したら残りは軍事以外で再利用するか廃棄しました。世界防衛軍では一方、どんな軍事的脅威も抑止できるよう世界の英知を結集して研究が進められています。
 世界防衛軍に参加するかしないかは各国の自由でなければなりません。参加しない国は、あくまで武力に頼らない平和希求国家か、不信や無謀な野望から抜け切れない国家に分かれましたが、後者も、いつまでも世界中を敵に回し続けるほどの無謀さとは無縁でした。それに、自国以外の国が日を追って身軽になっていく様子を見聞きするのですから。
 
 そうやって、世界防衛軍の当初の主目的は達成しましたが、戦争の可能性が完全消滅したわけではありません。この点、私たちはまだ脱皮半ばにあるのです。それでも各国自前の軍備は不要になり、核兵器は廃絶に成功し、無用の緊張は劇的に和らぎました。
 核兵器は廃絶できます。ただし、私たちの場合、廃絶は各国の軍備競争による緊張構造の下では絶望的なまでに不可能なことでした。向き合った力同士の緊張は危険で退くに退けず疲弊します。向き合うのではなく、ともに一つの方向を見つめるとき不可能が可能になります。
 理想を掲げるだけでは足りません。理想をあざ笑い軍備競争をめないのなら無責任です。核兵器が待ち受ける世界では、何時いつすべてが終わってもおかしくありません。そこには、国の枠組みを超えて、英断し結束することが絶対必要なのです。
 私たちの世界防衛軍は今、世界各地で発生する大きな災害対策・救助・復興のための部隊としても大きな役割を果たしています。また、宇宙からの脅威にも対応できるよう真剣に研究が進められていて、その実行部隊としての役割も期待されています。
 
 「コッコ。また今入ったお便りです。亜空間ネーム『戦争で穴掘り四苦八苦・3』さん」
 ◇ 要するに、あなたの星では住人の大半が単純で、みんなして平和ボケだから、戦争がなくなり核兵器も廃絶できた。違いますか? 私たちの星では絶対に無理ですね。社会ははなはだ複雑で私たちも高度に複雑だし、ほぼ誰にも打算的で冷酷な部分がありますから。
 ◆ 確かに私たちは単純ですが、単純だから戦争がなくせたとは思いません。それは、平和を願う本気度の問題です。私たちは恒久平和を願っています。今の自国や民族が勝ち抜けばいい平和ではなくて、世界中のずっと続く平和を本気で願っているんです。
 だから、憎しみの連鎖は断ち切らねばと思うのです。銃には銃、軍備には軍備、核兵器には核兵器という考えは克服せねばと思うのです。特に、核兵器は局所ではすまない、一時的ではすまない、あらゆる生命の、この星全体の壊滅的結末を秘めているのですから。
 人にはずるさや冷たい部分もあるでしょう。そうやって人は憎しみの毒針から自分を守ろうとしているのです。子ども時代に形成された性格は一生不変とも言われます。しかし、周りの環境次第で人の性格も考え方も変わっていきます。世界は変えられるのです。
 
 「コッコ。また今入ったお便りです。亜空間ネーム『戦争で穴掘り四苦八苦・4』さん」
 ◇ 私も戦争のない世界、余計な苦しみのない世界を心から望む者です。だからここまで空想話に辛抱強く付き合いました。危うく感心しかけた部分もありましたが、「貨幣経済からの脱却」やら「世界防衛軍」やら、夢のまた夢のような話には全くうなずけません。
 こんな現実離れしたことがないと戦争のない世界も来ないのかと思うと、絶望的な気分にさえなります。我が星の人々なら開き直ってもっとひどい状態になるのではないか、過激で急進的な人々が無茶をするのではないかと懸念もします。どう思われますか?
 ◆ 私たちのやり方が唯一の正解などとは私も思いません。どの星のどなたか存じませんが、あなたの星の皆さんは私たちほど単純ではないのでしょう。であれば、あなた方にはその実情に合ったもっと賢明なやり方があるに違いありません。そう、私たちはたたき台に過ぎないのです。叩き台にもならないとお感じなら打ち捨てていただいてかまいません。
 それでも、どうか、目指すべき文明については、よく考えていただきたいのです。
 私たちは、自分たち人間のことを「文明人」と称し、「万物の霊長」とも称し、この星に君臨してきました。では、その文明とは何でしょう? 文明は、国の政治や社会の制度が発展し、物や技術などが発展し、生活が便利に豊かになることでありましょう。ですが、それは文明の言わば花の部分です。花は美しくも弱いものです。私たちは不完全で不可解な命を否定するのではなく命をあるがままに肯定し、できる限り共生する世界を目指しています。その方向性がたくましい根や茎や葉となり文明の花を咲かすのだと信じて。
 
 私は、137ページで「ここに、道理がはじかれ不条理がまかり通る理由がある」と述べました。しかし、それはまだ表面的で経済的な理由に過ぎません。その根底に命の否定があるのです。原発推進の背後にも、武器輸出の背後にも、命の否定があるのです。
 不幸な指導者や経営者は「私は命を否定する」とは言いません。立派なことを笑顔で自信たっぷり(なよう) に語ります。しかし、命への冷淡は隠し通せません。守ろうとしている命は自分と自分に近い者だけです。その他大勢の命は抽象的な命に過ぎません。
 国家への忠誠強要の背後にも、命の否定があります。民族を誇り国家を守ろうと主張する一方で、その犠牲となる命を簡単に切り捨てます。言論の自由を封殺しようとする動きの背後にも、命の否定があります。
 すべては国家を守るため? しかし、命を否定する国家には本物の自由も成長も喜びも乏しく、その分、国民には不信や憎しみが漂い続けるのです。戦争の火種はカーテンの裏でくすぶり続けるのです。
 
 人は、互いの弱さや不完全さを許し合うことも必要です。その一方で権力や権限を握る者の不正不義や横暴に対して正義の怒りを忘れてはいけません。あなた方は不幸な指導者や経営者の雄弁にも行動力にも振り回され続けてはいけません。目先の仕事や勉強や生活に追われ本当に肝心なことは自分で考えない従順なしもべにされてはいけません。
 指導者や経営者自身も学習し経験してきたことが何であろうと、ゆがんだ「信念」にとらわれ続けてはいけません。自分の中の生命の声に「嘘」をつき続けてはいけません。
 今、どんな「文明」社会であるべきなのか、10年後、50年後、さらにその先の未来は、どうあってほしいのか、そこのところを誰もがよく考えて行動していただきたいのです。
 
 「コッコ。また今入ったお便り、『ポチ』からです。ワオ」
 ◇ やあ、タマちゃん。めちゃがんばってんね。今度、一緒に遊ぼな。
 ところで、変なおっちゃん。ちぃちゃんの質問は結局どうなったんですか? 
 それから、ポチの住む地球の人間様たちは、「そうは言ってもねえ。さあ、明日も仕事、仕事。もう寝とかんと」と言って、今の生活をちっとも変えんとポチは思います。命が大切とちょっとは思い直してみても、やっぱり切実なのは今とこれからのお金やと思います。税金も保険もなくならんと思います。こんなんで株を手放さんと思います。世界防衛軍なんて笑われるだけやと思います。そんな単純じゃないと思います。なんかわからんねんけど、こんぽんてきに無理があるんとちゃいますか?
 ◆ ポチ、それでもいいんだよ。初めて二足歩行したサルは仲間外れにされたかもしれないし、初めて傘を作ってみた人は皆にからかわれたかもしれない。奴隷制度廃止を訴えた人たちは「できるわけない」と相手にされなかったかもしれない。
 私たちは迷走している星に、苦しんでいる人々に、不様ぶざまでもいいから一石を投じたいんだ。迷走するわけは目的地とその道筋がもやに包まれているからなんだ。目的地が少しでも見えていれば、たとえ、穴ぼこだらけの細道でも、人は道をひらきながら目的地を目指せるだろう。その途上で視界も開けてくるだろう。貧困も病気も戦争もない世界の視界がね。
 
 ちぃちゃんの問いに正解はなくても私たちの答えならあるよ。とても単純な答えなんだ。単純すぎて人は気づきたくないんだ。命は尊い。私たちは、命あってこその喜びがあり、本能的に命が掛け替えのないことを知っている。私たちは皆、生きようとし子孫を残そうとする。
 けれど、生命は不安だらけで、素直に命が尊いと感じられないことも次々起こるから、その不安を「力」で克服しようとして、そこに悪も発生する。だから、命が尊いという思いを見失わないことが大切なんだ。
 
 ところで、生の不安は「力」で克服できるものではない。それは、お互いの命の自由と成長を願い尊重すること…「愛」で和らぐものなんだ。
 恒星こうせいは自らの熱エネルギーで輝く。この奇跡の惑星は私たちが愛を実現していくことで、眼には見えない美しい輝きを銀河に放つ。それは、くだらない幻想だろうか。
 
 この先ますます、さまざまな技術や社会の仕組みが発達していくだろう。そこにはなるべく愛と認識が伴わなければならない。この認識とは命や労働のあるべき姿を探求し少しずつでも具現していくことなんだ。
 たとえ、正解に辿たどり着けなくても、その態度や過程が正解に匹敵するくらい大事なんだ。
 
 ポチの周りにもきっと、軍備増強を主張する人と、あくまで平和的手段を主張する人がいるだろう。どっちも自分たちの命を守ろうとしている。前者は主に「力」で、後者は主に「愛」で。どっちが悪いわけじゃない。どっちも誰も、いくらか、命と愛への信頼が足りないんだ。
 私たちは武器で戦争しお金で競争しながら幸福を追求してきた。しかし、私たちはカニを捕食するタコの延長のままでいいのか。今こそ私たちが一丸となるべき相手・・は、私たちが作り出した脅威と、私たちの惑星に宇宙から迫り来る脅威ではないか。
 向上しようとする意志こそが人間のあかしではないか。
 

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