フィリピンで触れた小さな太平洋戦争

20年くらい前、初めてフィリピンの南の島ミンダナオ島に行った時のこと。ミンダナオ島といっても僕が行ったのはダバオとかと違って日本人をほとんど目にすることのないような小さな地方都市、いや、一応Cityなのだが都市というより街、街というより町、に近いところだった。
お世話になったフィリピンの知り合いの家にお邪魔したのだけれど、近所の人がやってきて井戸端会議に花が咲いていた。
そのなかの当時50歳くらいかな?と思しき女性が、
若い頃マニラで働いていて日本人商社員と知り合い付き合うようになった。結婚しようということになり、実家の両親に好きな人がいることを告げると、まだ反日感情が強かったため、日本人との結婚は絶対ダメだと拒否された。結局その人とは別れてしまったけれど、本当にさやしくてかっこよかった。。。
と話してくれた。
僕のことを久しぶりに見た日本人だったので懐かしく思ったのかもしれない。捨てずに取っておいたという恋人の写真も見せてくれた。スーツのエリの幅やネクタイの結び目の大きさなど、いかにも昭和50年代前後と思われる出立ちで、ちょっと藤岡弘さん似の男前だった。
小柄だが恰幅の良い気さくな女性で、話し終えると静かに、ほんの少し微笑みながら、けれどもかすかに寂しそうな表情をして黙ってどこかをぼんやり見つめていた。
きっと日本人の僕をみて、当時のことを思い出したのだろう。
その後の詳しいことは聞かなかったけれど、まとわりついてくる小さな子供をあやしているのをみて、お子さん?お孫さんかな?彼女も今は幸せな家庭を持って暮らしているに違いない、と勝手に思うことにして自分の気持ちを少し軽くした。

僕が行ったミンダナオ島の中西部の山間の町は激戦地だったレイテ島やルソン島とは違い、大きな戦闘は発生していなかったようだけど、そんな静かで平和な町にも目立たないけどずっと消えない苦い傷を心に刻んだ人が暮らしている。

やっぱり戦争ってどこまで行っても悲しみしか生み出さないんだ、
戦争はどんな大義をもってしても彼女の心の古傷一つ癒すことはできないんだ、
と思ってやるせない気持ちになった。

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