日記(2022-11-26)

 可笑しいと思ふそれから初笑  岡田一実

 この句を初めて見た時、違和感というか、どことなく不気味なものを感じたんですよね。俳句や短歌には、自明のことをあえて言葉にすることでその不思議さを再発見するという書き方がありますが、この句はそういうのとは違う。異質な感じがする。それで考えてみたんです。まず、「思わず笑ってしまう」という表現がありますが、そもそも、笑いというのは原則として予期せずにやってくるものじゃないかと。例えば、公衆トイレの個室からバクチ・ダンサーが流れてきたら、僕は相当笑っちゃうと思うんですけど、それは可笑しいと思ってから笑っているのではなく、笑った後で、「ああ、公衆トイレの個室からバクチ・ダンサーが流れてきたら面白いんだ」と気づいている。順序が逆なんですよ。だから、前掲の句からは、人が人のふりをしているような、その笑いがずれたもののような印象を受ける。それが、僕が最初に感じた不気味さの正体なんじゃないかと思うわけです。

 今日も何もしなかった。

 当然、私は嘘をつく。思考をそのまま垂れ流したような文章は書かない。たっぷりと時間をかけて推敲するし、細部は改変される。本当の感情は隠蔽する。私の脳の中は、人には見せられないような、どす黒い悪意で満ちている。そして、くそっ、あらゆる人間がそうである以上、憧れほど愚かな感情はない。英雄なんてものは架空の存在だ。誰もが自分をより良く見せようとしている。誰にも知られたくない秘密を抱えながら、決して弱みを見せずに、虚栄心を満足させようとする。自分がいかにも教養のある文化的な人間で、鋭敏な知性と繊細な感受性を併せ持っているということ、その優越性を周囲の奴らに認めさせようとする。誰もがお前を騙そうとしている(私もその一人だ)。

 M-1の予選動画を見る。三回戦のニッポンの社長とロングコートダディ、準々決勝のチェリー大作戦がかなり面白い。信用してくれていい。

 夜に電話がかかってくる。僕は水色のブランケットを膝にかけて、フィッツジェラルドの短編集を読んでいる。本をテーブルに置き、手の甲で目の周りを押した後で、スマホを手に取る。

「おめでとうございます!」と男の声がする。
「あなたの応募した『歯科医師免許とグロリアス』が、第三十七回孕み鹿新人賞に選ばれました!」

 その声は、なんというか、遠い異国に住む三頭身の少年みたいに聞こえる。彼が話しているあいだ、僕は目を閉じて、その異国の草原に吹くきらきらとした風のことを考えている。

「選考委員の皆さん、全会一致での決定でしたよ! 特に、あの覇拉綺羅美先生が、現代の若者の自己分裂的な典型症状を、エイトビートを彷彿とさせるような疾走感溢れる文体で書き切っていると評し、主人公である紗木山羊彦の、青鬼のBGMを流しながら他人の家に侵入して勝手にエアコンを外すという行動が、後期資本主義による社会階層の再生産への抵抗として機能していると言えなくもない点を大変褒めておられました。私も読ませていただいたんですが、物語の終盤、山羊彦の父親の下半身が滝になって、山羊彦がそれに打たれながら全力でカップうどんを啜ろうとする非常に象徴的な場面は、筆が冴え渡っていて、臨場感があり、その情景が鮮明に浮かび上がってきて感服いたしました。それで授賞式の日程なんですけど……」

「あの、人違いです」

「え?」

「人違いです」

「『歯科医師免許とグロリアス』の蛮打疼二さんでは?」

「違います。私の名前は黒崎一護です」

 通話が終わる。部屋は空っぽの水槽のようにしんとしている。僕は窓のそばに寄り、夜空の星をしばらく眺める。そして自分が少し震えていることに気づく。北陸ではもう雪が降り始める。気温は一気に低下し、風が冷気をまとう。暗い空の下で、街が白い雪に覆われていく。生き物たちは厳しい冬を生き残るために、活動をやめてそれぞれ眠りにつく。草木がその機能を停止する。音が失われる。全てが寒さに支配された、生命の影一つない、どんなものも凍りつく世界で、僕にできることなんて何もない。

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