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花火と銀河、その類似。

 花火の写真を見たことってあるかい?

 そんな写真を前にしたとき、映画でよく見るワープシーンや、ビックバン的何かだったり銀河を連想しないかい?

 例えば私の場合、最後の花火に今年もなって、それを写真に撮るとする。

 前提として私の中で銀河と花火の観念上の見た目は一致するんだ。私に言わせれば、銀河と花火の違いは、

 一瞬が収まってしまったか、一瞬が遥か遠くに広がっていってしまったか、の違いくらいしか見当たらなくなるんだ。これは時間と空間がごちゃ混ぜで、分かりづらい!と思うかも知れないけど私の中ではそうなんだ。だから私はその写真に銀河を見出だす。

 そうすると写真という二次元に、私は宇宙なんて高次元のことを見出だしちゃっているわけだ。これは写真を見て、思い出に浸るのと似ているかもしれない。

 話が逸れてしまったかもしれないので戻そう。花火と言えば夏だ。誰かが切り取った花火に私が銀河を見出だした時、誰かは夏を想いながら同じ写真を見るだろう。私がそこに銀河鉄道を開通させる頃、誰かは右手のかき氷が溶けかけていることに気付くのかもしれない。赤方偏移を見て絵を描こうと決めた頃に、君は疲れて眠り、私が夢から醒める頃にはもう、八千組目くらいのアダムとイヴが唆されている。

 さて、これは全て一瞬のこと、刹那のこと。消え行く花火の中でのこと。もし君が花火を一瞬だと思うなら、きっと夏も冬も人生も瞬きだと感じてしまえるだろう。私もたぶん同じだ。そして銀河だって一瞬だ。

 最後の花火に今年もなったとして、それを撮るとする。夏という一つの銀河から私は、君は、何を探し当てるだろう?

 

   今年も乾杯、キリンビール。

 

 

 

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