貴方は怒っていい

 怒りの感情そのものは、生きている限り無くすことはできない。その怒りが正当であれ不当であれ、貴方は怒る自分を責める必要はない。
 怒りという感情を持つこと自体を責める必要はない。言われたことが正論であろうが事実であろうが、貴方が怒りや、怒りとまではいかずとも不快感を持つこと自体は誰にだって責められる筋合いはない。それは責める相手が貴方の思想の自由を奪っているだけなのだから、冷ややかな目を向けてやれば良い。

 重要なのは怒りをどう発露するか。その場で喚き、暴れるという方法もある。誰かに愚痴ったり、或いは嫌味や嫌がらせをして鬱憤を晴らすという方法もある。スポーツや芸術など、全く違う分野で動くためのエネルギーに変えてしまうという方法もある。発露をせず、時間の経過とともに怒りが収まるのを待つという手もある。どれを選ぶにせよ、その怒りの発露方法、或いは怒りを発露するしないという選択に対して、貴方は責任を負わねばいけない。責任を負えないと思うのであれば、その発露は選択するべきではないだろう。

 怒りの感情とは不思議なもので、抑え込もうとすればするほど、大きく、強く、激しくなっていく。
 強くなりすぎた怒りはやがて自分のコントロールから離れ、普段の自分では到底下しはしないであろう判断を下してしまうこともある。世間から疎んじられる怒りとは、大抵このことを指している。
 反面、程よく自分が御せる程度の怒りは、良い方向に作用することもある。相手よりも優れた作品を作ろう、優れた成績を残そうと思う気持ちの中に、怒りや、妬み嫉みが無いとは思わない。無い人もいるかもしれないが、だからといってそういう感情を持っている自分を卑下する必要は全く無い。
 だから貴方は怒って良い。怒りの感情そのものを否定しなくて良い。貴方が否定しなければならないのは、怒りの発露で責任を負いきれない手法を選択してしまう可能性。他者を貶め傷つける、また、あまりに怒りを飲み込みすぎて未来の自分に害を為してしまう。そういった選択をしないのであれば、貴方の怒りが正当にせよ不当にせよ、怒りという感情を持つこと自体は誰にも責められる謂れは無い。

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