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縁あって再び

主人が18年前頃私が働いてた土地に転勤することになった。

単身赴任になった。それにも意味があるのかもしれないなと思った。

徒然なるままに生きて行こうと思う、

庭付き一戸建て犬もいて安心した暮らし。実家の手伝いもできた。
そういった暮らしも体験できた幸せ。

主人が初めての土地だったので
今週は全力で寄り添うことにした。

主人のアパートが決まり
引っ越しの手伝いに行った。
ちょっとここからが面白い。

騒音問題の張り紙がすでにたくさんありちょっと不安になる物件だった。

子供との滞在で、会話するとすぐにノックされる…。私も主人もアパート暮らしは会社が決めた物件なので、あんまりの時はその時はお願いしようねという話になった。

正直、入った瞬間の「ウッ」隣る悪臭と建具と壁紙を新しくあえて張り替えていることなど、元汚れ部屋か心理的瑕疵物件ではないかなと思い、
一時、部屋を出た。

避難小屋だと思えばなんとでもない。

子供がうとうとし始めてからり、なるべく静かに寝かしつけて
自分たちも寝袋で就寝した。

私と主人は子供が産まれる前、奥羽山脈を泊まりながら縦走したり、
テントだけ持って車で移動した。
海外旅行をして誰も行かないような国境沿いの街を移動したりした。
主人に、耐えられない時は相談してねと話をして。その夜は昔の夢を見た。

朝、案外ぐっすり眠れ、この部屋の良さに出会えた気がした。

匂いもエアコンのおかげか慣れたのか薄れていた。

子供も早々と目覚めたので、まだ寝ている夫を置いて出かけることにした。
(このあと搬入もあるのでその方がきっとよし)

蒲生の日和山

15年から12年前くらい前、仕事の集荷先一体がここにあり、震災の日も11時まで働いていました。

次に訪れたのは2週間後で、仕事先も、道もなくて、お世話になっていた郵便局さんや、タバコを買っていた商店や、孫の子守りを毎日していたおばあさんの姿やそのお家や何もかもなくなっていて。

ずっと記憶を辿って反芻してたけど形ができてきていました。

私がきている間も男の方が2人きました。

なんかここにくれば明日も大丈夫と思える気がする。

仙台新港にて

なんだか色々あったけど、毎日すごく変化していいところに落ち着いた今日。

私も夫もあと2ヶ月は「大凶」がやってくるが、今年の後半は徐々に戻る。

それまで内の中をしっかりと整えておきたい。

そう思いながら海を眺めました。

子供達は素直で、「大きな物音を立てれない」「大きな声で喋れない」のが不満。

この後、思い切って水族館の年間パスポートを作り、子供の逃げ場を確保し。

魚を見てたらお昼になったので主人と合流するも引っ越し関係の立会いで多忙な様子。

こちらはこちらで初めての電車の旅に子供と挑戦したのでした。

帰宅して長女から「やっぱりお家がいいねー」と一言。

そう思えたのも何かの学びかなと思い。新しい環境でもしっかり過ごした子供達をたくさん褒めたのでした。

しばらくは夫も不安な中仕事に向き合うことになりそう。

私は帰ってきたらなるべくみんなの好きなご飯を作って一緒に食卓を囲むのを楽しみに過ごそうと思います。

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