葛の葉日記

たまたまその辺にあったものに魅入られて

葛の葉日記

たまたまその辺にあったものに魅入られて

最近の記事

街路

小さい子とたびたび接する機会があると、 童心が呼び覚まされてしまうのか。 つやつやの露をたくさん乗せる街路樹の葉をゆらして、ゆれ落ちるさまを見たくなったり、 下草の綿毛がまるまると誘惑して、 吹き飛ばしたくなるのを危うく抱えながら、 大人の顔をして歩道を行く。 そんな子がまだ居たのかと驚きながら。 鳩がたまっていたら走り込んで行きたくなるだろうか。

    • 彼岸

      これくらいあたたかくなると、去年、花筏の川岸を一緒に走った犬がもう居ないことに涙が出る。 向こう岸で再会した元の飼い主と走ってくれるに違いない。

      • 甲辰

        辰年、どこかのお寺で龍の絵がみられるといいな。 お正月、従弟の子たちが来た時、龍の絵をリクエストして描いてもらった。それを飾って満足し、今のところお参りはできていない。 雨、川、雷、台風、恵みであり脅威でもある水の力。 その象徴として捉えられてきた龍。 天地の間を行き来する存在とされている。 仏法を守ると言われ、お寺の襖絵や天井画に描かれていることもある。 その絵と対峙するとき、身の丈より高い視点から自らの姿勢を問う機会を与えてもらえる気がする。 その感覚を辰年を期に意識

        • 六根

          川沿いの草園は一変、機械で跡形もなく刈られ 落ちた種などを、鳥が集まって啄んでいた とはいえ、根こそぎにはしていないので、 この季節すぐにまた元の勢いを取り戻すに違いない 案の定、すでに取り戻した 石と砂利と樹一本だけの坪庭 樹が大きくなりすぎて、家の者が切ってしまったけど それもまた芽を出して小さな姿で これまでと違う景色を見せてくれている 姿がみえずとも根が残っていれば そこにいるも同じ  むしろ実体であるかのようにさえ感じる 根で連想したのが最近目にした 六「根

          水光

          老犬がリードをつよく引き橋を渡れば 風に波立つ池が 眩暈するほど 西日できらきら照らしてくるのを 祝福されているかのように錯覚し これ以上なにを望む?とか思う いつもの青鷺 梔子が匂いたつ

          唐草

          瑠璃唐草という和名は、 ネモフィラという音よりも沁みる 親指の先ほどの花が群れ広がって咲く様子が 唐草模様の連続して伸び広がるのを想わせた 日本古来、唐草模様には茎や蔦をのばして広がり おおい尽くしていく植物の生命力にあやかろうとする 願いが込められたという はるばる古代ギリシアに発し この東の果てまで伝い広まったとされる 蔦がはびこるより遠く 模様は洋の東西を越えて伸び広がってきた 植物も模様も、風土や文化によって形を変え 多様化しながら互いに影響し せめぎあいな

          光背

          拝観時間ぎりぎりのお寺で お堂に入ると思わず声がでた。 大きな仏像の透かし彫りの光背が レースのような影をお堂の壁にうつしていた。 見知らぬ人が、 この時間は仏像を見るにはいい時間ですよ と言って去った。

          結界

          しめ縄がベンチで昼寝している?ということは その神さまは今お出かけ中なんでしょうか 自分のような鈍臭すぎて 自然界では生き残れなさそうな性質の個体が 淘汰されずにまだその性質を残してるということは 私をこれまで助けてくれた人たちに感謝するとともに 同じような性質をもった先祖を助けてくれた 数多の人がいたことが想像され 胸がつぶれそうな嫌気さす出来事も多く起こるが、 人類いいとこもあるやん。となる いいとこをこれからも信じていられるように 神さまはどこもかしこもそこらじゅ

          葡萄

          井戸の近くから勝手に生えてきた植物 葡萄かもしれないと父が言い支柱を添えたら 屋根の雨樋をつたうまでに伸びた そのうちなった実は大粒の葡萄 甘すぎず爽やかな味だった あたらしい葉は金箔のような光沢を帯び 光っていない葉との対比は 工芸のデザインにつかわれていてもよさそう 裏側は白みを帯びた和紙のような質感 落ちた種がたまたま育ってくれたのか 葡萄が来てくれなければ こんなにまじまじ葡萄の葉をみることはなかっただろう

          鷹匠

          こんなに多くの種類の埴輪が一堂に 埋葬されていた配置で屋外に並べられているなんて 今城塚古墳公園でみた埴輪のなかに 手にかわいい鳥を乗せているものがあった。 鷹匠ということだが、鷹に見えないような かわいらしい鳥、尻尾になにか丸いものがついている。 それが何かはわからないまま公園をあとにした。 また別のとき、浜離宮で催された鷹狩の技 放鷹術を見に行った。 高速ビルの屋上から狙いさだめておりてくる 技もさることながら、鷹匠達の和洋折衷の衣装にも 目を奪われていた。 途中

          境界

          明石に行った時だったか まるで路線バスにでも乗るようにフェリーに乗って 淡路島に行けるという 海も山もないところに住む身としては そんな感覚が新鮮で、ふらっと島へ渡った 渡った先には古くから歌に詠まれた絵島があり 遠景から見ていかにも詩の心をかき立てられそうであり 上陸すると地層や侵食の様子が面白くもあり しばらく見入ってしまう あてどなく来てしまい、島内を回れるわけでもなく ただ、浜でぼーっと過ごす 砂のなかに貝や珊瑚、ウニの欠片のようなもの 小さな白い蟹の殻、植物

          魚眼

          うつせみかじか という名の魚は 儚げな響きを冠するのに ぼてっとした顔をしている 水底でじっとしているので、水槽にはりつき 目線を魚たちと同じ高さにあわせてみると あちこちでその顔が目をキョトキョト動かすのが 愉快でたまらない 地味な色をしているのに光の加減か 体にあざやかな緑や赤の粒がちらついて光る その瞬間が本当にきれいでせつない 魚の眼はどんな色を見るのだろう

          家守

          あたたかくなると毎年、家守が 窓灯りに集まる虫を食べにくる。 食卓から見える窓 むこうは狩と食事で滞在時間が長く こちらの夕食どきと重なる。 獲物を見つけてすばやく動いたり 逃したらしいのが見えたりする。 家族は食事の時間がバラバラなので 家守とディナーの方が多いということもありうる。 一方的に親近感を抱いているが 腹側からの姿しか知らない。 急に思い立ち、滝を見に行ったことがある。 滝が見えるベンチに腰かけ、おにぎりを食べ始めると ベンチ沿いにある木の柵にトンボがとま

          清風

          窓をいくつか開けたらいい風が入った 前の週には妹のお腹にいた子は泣きやみ すやすやと眠る たとえようもないやわらかな耳たぶ 頬にひかるうぶ毛 胎内では感じることのなかった風をうけ 呼吸するベビー服のおなか 膝のうえのわずかなおもみとぬくもり 呼吸をあわせると雑念も言葉も消えていく ただ風になでられて (写真は翼果のついた枝垂もみじ)

          草露

          夕方には雨が上がる予報、犬との散歩は雨上がりと決めていた。 川辺は草の園、葉のうえは雨露の宝石。 曇り空のうす暗さに、葉表面の構造によるものか、露を白く光らせているものが殊のほか美しい。 シロツメクサにころころと。風に散った笹の枯れ葉の裏側にも。イネ科のような草の細長い葉のうえに、一列に嵌め込まれたように白くかがやく露など。 この一回性のかがやきを前にどんなハイジュエリーも携帯可能な資産でしかない。 足を止めて見入ると犬がリード引く。 (写真は以前どこかの神社の隅っこにあ