小説 二度もペンタブレットを持ったことがある男(Pさん)

 電車が過ぎゆくのを、僕は感情を無にして眺めていることしか出来なかった。頭のなかで、静かに、原神をプレイしていた。この電車の中に、あの人がいるのだと、今でも信じることが出来ない。なぜ、信じることが出来ないのだろうか。あなた方は一度でも、地球が本当に、物凄いスピードで回っているのだと、実感したことがあるのか? ないだろう。それは、実は、信じているようでいて、地動説を、心の底から信じたことがない証拠だ。あなたが週三回やると決めている、そのレーシングゲーム、と呼んでいいのだろうか、競争というよりも、車の強奪を最も楽しみにしているようなゲームを、ともかくそのゲームのなかで見せている、最も早いスピードを出すことのできる車なんかより、よっぽど地球の自転の方が、早いのである。なので、事実ベースで見れば、明らかに、ゲーム内の車に着目しているより、地球の自転について考え、それを眺めている方が、何倍も面白いはずだ。
 電車は、ゆっくりと、次の車両の側面を、見せ始めていた。ということは、先ほど僕が、あ、この車両の中にあの人がいる、とか何とか、思っていた車両は、少なくとも、最後の車両ではなかったということだ。
 それだけではない。もう一つ、わかることがある。それは、この列車が、単車、つまり一つの車両のみで編成されているものではない、ということだ。
 人間の動体視力というのは、鍛えれば鍛えるほど上昇し、他の諸能力にはある限界というものがないらしい。カラスの姿を見たことが、あなたにもあるに違いない。もしないというのであれば、あなたは必ず、カラスよりも動体視力が劣っていることになる。そんな人は、十人に二、三人しかいないので置くとして、それ以外の人は、今までカラスを見たことがあるはずだ。そうすると、あなたは、急に、カラスと同等か、それよりも優れた動体視力を持つことになる。それから、あたかも大盛りのローストビーフ丼に乗っているローストビーフのように、折り重なるようにして燃やされている屍を見ることによって、あなたはさらに鷹に近づくように、しかしあくまで鷹の動体視力を超えない範囲で、動体視力が向上するのだ。鵜の目鷹の目とは、そのことを表現しているのだ。
 僕はすかさず、ペンタブレットをケツポケットから取り出して、無我夢中でその電車と、窓内の光景を模写し、頭の中では引き続き原神の続きをプレイしていた。

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