Pさんの目がテン! Vol.30 300年前の「男女の友情」(Pさん)

 もう今月のはじめくらいの話になるけれども、ちょくちょく、『トリストラム・シャンディ』を読み進めている。上中下巻のうち、上巻からまだ抜け出せていない。
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 100ページほど読み進めて、まだ主人公が生れていない。どの産婆にお願いするだの、父親と母親が喧嘩しただの、そんな話が続いているのである。
 その中で、こんな部分があったので、呆れてしまった。

あるいはまた、私のジョニーを私の友だちと想像していただいたって、何も不自然や不合理にはなりゃしません。――〈何、友だちですって?〉――そうですよ、友だちですよ。男女間にだって、奥さま、友情というものはあってよいはずじゃありませんか、何もそこに特別――〈シャンディさん、およしなさいったら!〉――いえ、何もそこに特別なことがなくたってですね、男と女のつきあいに必ずまじって来るあの優にやさしい甘美な感情さえあれば、二人の友情は保ってゆけると思うんですよ。
(ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』、「第十八章」、100ページ)

 これは、合コンとか、バラエティー番組なんかで延々と論じられている、「男女間の友情が成立するか否か」という問題そのものである。何よりも、似た問題をかすめたという感じではなく、口調がそのまんまである。そして、この小説はだいたい300年前に書かれた。我々は、300年この方、こんな不毛な問いを、時代も変わろうに、産業革命も戦争も潜り抜けて、まだ同じことを言っているのである。呆れるばかりだ。
 場合によっちゃ、より古い古典を読んでみれば、そこにもあるかもしれない。我々はやっぱり、例えば性が巻き起こす問題やなにかに対して、何かしら新鮮だと思う前に、もう飽き飽きしてうんざりだと思うべきなんじゃないかな?

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