目がテンと人生(Pさん)

 例の「目がテン」の連投を続けて、二週間弱になる。大変ではあるけれども、何というか、日々が濃いものとなって流れる、頭の中で趣味の方がウエイトを占めて日々が流れるというのがありがたく、最近仕事で嫌なことがあったけれどもまあ何とかやり過ごすことが出来た。
 深沢七郎が言っていたけれども、「生きているのはひまつぶし」というのがじつに沁みてくる。なにかやり切れなさと目的のなさみたいなものを人生全体は抱えていて、それを紛らわすためにいろんな享楽がショーウインドウに並んでいるわけである。
 これが道の草を食んで紛れるものなら、やもすればその方がいいかもしれない。生産性がないなどという余所の声など無視して……。
 パズルゲームのレベルを上げて、人生の大半が過ぎていく。無駄にも見えるかもしれないが、それすらマシなことかもしれない。その切りのない楽しみとして発案されたパズルゲームですら、市場全体に飽きが広がりつつあるという、人間の業みたいなものはそれよりも広く、根深い。
 積んだ本を内容もわからずに目を通し続けるというのも、暇つぶしの方策であるのかもしれない。それであれば、飽きずに終いを迎えるのであれば、上等なんじゃないか?
 まるで無造作につけた「Pさんの目がテン!」という題名、もとはウサギさんの提案であり、「笑ってコラえて」のある意味で続きみたいなコンテンツとして名づけられたけれども、子供の頃から本家の「所さんの目がテン!」は楽しみに見ていた。あまりに楽しみにしすぎて、今あるか知らないけれども、左上の時刻表示をガン見しながら、五分前から目を離さず見ていたものである。CMが一本15秒で、四本で一分。一分が長い。
 その時に、時間を過ぎなくさせる方法を得たような気がして、精神的に何かを待ちのぞんで集中して、あたかも次の時間が訪れないかのように思うことができれば、時間は過ぎなくなると、本気で思っていた。
 流れ流れて二千二十年、またこの「目がテン!」が、自分の時間感覚を狂わせることによって、日々をやり過ごす方策に返り咲いたというのは、偶然ながらなんだか感慨深い。

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