小説みたいなの書いてみた

僕は恵まれている。そう思っていた・・・。僕の実家はマンションの一室。車なんかで送ってもらった時に、「ここが僕の実家です」というとみんな「すごいね」なんて言って驚く。ここは、僕の家でもない。親が買ったものなんだけどね。僕の部屋は個室の中で一番広い部屋。中学生の頃からずっとこの部屋にいる。部屋の真ん中には大きなベッドが置いてある。大きな収納クローゼットは三つ。そのうちの二つには母親のよくわからないラッピングの材料とかキャンプ用品とか、僕のものじゃないものもこの空間には存在している。僕はここにいて幸せ何だろうか。

僕はあるミニマリストの方の本にかなりの感銘を受けて、プラモデルやフィギュア、そこそこ高価な洋服、本類をかなり手放した。これにより僕の世界はかなり変わった。とてもいい意味で。本当にお気に入りのものに囲まれて暮らすということはこれほどまでに幸せなのかととても感動した。百歩譲って僕はこんなお部屋に住むことができて幸せだとしよう。一歩ドアを開けてリビングでたらどうだろうか・・・

そこには物が溢れかえっている。モノを手放すまではまだ気にならなかったものが一気に僕の中へ入り込んでくる。ああ、気持ちが悪い。目の中に入り込む情報に押しつぶされてしまいそうだ。モノよりもさらに嫌気が差す物がある。僕には関係ないのに。税金、後払い請求書、一生作りもしないミニチュア作りキット。一度も作ったことがないので毎月のものがどんどんうちの中に溜まっていく。これは全て母親が停滞させているものだ。「あらやだこれ期限が切れているわ。また請求が来た時に払えばいいのよ」なんて僕に言っていたことがある。僕は覚えている、小学生の時に給食費を出すのをうっかり忘れていた時、「家が貧乏だと思われたら嫌だから早く出せ」と言われたことを。自分の子供にするなと言っていたことをまさか自分がしているなんて。必要なものを払わないのにどうして、作りもしないミニチュアを買うんだろう、家に溜まるだけで全く開けていない服を買うんだろう。僕はこの部屋を手放しても後悔しないのではないかと最近思うようになった。きっと僕の本当の幸せはここにはない。モノをたくさん持っていた頃は、ここから絶対に離れたくはなかった。けれど今は違う。

嫌いだった土地を離れて、広い部屋に住めることを幸せに感じる時期もあった。大きいベッドで眠れることをとても幸福だと感じる時期もあった。しかし、今は違う。僕は今解放されることを願っている。僕にはどうしようもないモノの呪縛から。僕に人をコントロールする権限はない。しかし、自分のこれからを決めていく権利はある。僕は、広い部屋の掃除が苦手だ。一緒に住んでいる母親は掃除を全くしない。僕には時間はあるし、ある程度潔癖症だが、この部屋の掃除は本当に疲れる。僕の部屋の掃除だけで十分だ。この家の広さは、僕のキャパシティをゆうに超えている。僕だけではとても無理だ。掃除はこの家に僕たちが住んでいる限り必要な行為なのだ。一度できただけではダメだ。一度できたとしてもまた汚れていく。

僕は、母親が嫌いだ。家族も親戚も嫌いだ。感謝はしているが。

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