人に殺され、人に生かされ。
人と関われば関わるほど、絶望が積み重なってゆく。
もう何年も前から身を以て知っていることを、また今日も痛いほど真正面から突きつけられて、ため息をつきながら暗い駅のホームを歩く。
◇
インスタで見かけた画像にときめいて、めちゃくちゃに可愛い服を買った。少し背伸びをしたせいで、今月は切り詰めなきゃいけないけれど。
「可愛いね」って笑顔で言ってもらえるシーンを何度も脳内再生して、どきどきわくわく、待ち合わせ場所に飛んでいく。
でも、なんてことない。あの人には服なんか、見えていないみたい。私が何を着ていようが、どうだっていいみたい。勝手に妄想して勝手に暴走していた私は、既に化石のように過去に置き去りになって、何事も無く過ぎた1日を背負って家路につく。
絶望。
私ひとりで、部屋の鏡の前でファッションショーしていい気になって終わらせていれば、こんな気持ちにならなくて済んだ、のに。
人に可愛がってもらおうなんて、思い上がりもいいところだ。
◇
どうも最近、調子が良くない。
次の定期診療で、この状況をきちんとお医者さんに伝えよう。私は人に助けを求めるのが苦手だから、いつもお医者さんにまで元気を装ってしまう癖があるけれど、今度はきちんと話そう。そうすれば、この状況を打破する薬なんか処方してもらえるかもしれない。
なんてったって相手は心療内科のお医者さんだもの、きちんと患者の話を聞いてくれて、それにあった対処をしてくださるはず。適当にあしらわれたりなんかするはずがない。
そんなの、幻想だったみたい。
最近身体がこわばってつらいんです、夜寝るときもリラックスできないから眠れないんです。
そう訴えたのに、お医者さんの耳には右から左だったみたいで、いつも通り、診療は2分くらいで終わっちゃった。処方箋も、これまでとなんら変わらず。
もう次の定期診療、行くのやめちゃおうかな。
また、絶望。
いくらお医者さんだって、他人に助けなんて求めなけりゃよかった。多少しんどいことくらい、自分の中におさめておけばよかった。
そうすれば、本当に限界までつらくなったらお医者さんに助けてもらおうって、希望を持ち続けることができたのに。
◇
自分以外の他人に、期待なんかするから悪いんだ。期待してしまう私が悪いんだ。
期待のその先には、いつも同じ、裏切りしかないんだから。
心からそう思った。
そんな人生、なにが楽しいんだろうと。
事件的に人生を途切れさせるのは怖いから、スマホの充電器のコンセントをぶちっと抜くみたいに、人生を終わらせられたらどんなにいいだろう。
一度狂った思考回路は一途を辿る。
勝手に期待した人に裏切られてばかりの毎日の終わりは、そんなことばかり考えた。
◇
◇
そんなある日の仕事終わり、窮屈な制服からやっと着替えて帰ろうとすると、ふと誰かに呼び止められた。近くのロッカーを使っているだけの、顔見知りの人。
「服、好きなんですね。見てたらわかります」
「ありがとうございます。服は、好きですね」
「お疲れ様です。お先に失礼します」
これだけの会話。
うれしくて、頭がどうにかなりそうになりながら会社を出た。
なにがそんなにうれしいのか、私以外の人にはもしかしたらよくわからないかもしれないけれど、
聞いてもいないのにわざわざ話しかけてくださって、
私のことをポジティヴに捉えて、それを伝えてくださって、
またそれができるほど、知らぬうちに見てくださっていたということ。
世間話で繰り出される、うんざりするようなお世辞とは違う説得力。
私は素敵だなぁと思っても、人をストレートに褒められるほど器用な人間ではないから、尚更その重みを感じてしまう。
世の中、私を傷つけてくる人ばかりじゃないんだな。
当たり前のようで、当たり前ではないことを、やっと認識する。
もう少し、生きてみよう。
我ながら単純すぎるが、そういえば、23年間の人生、ずっとこんな感じのことの繰り返しだ。
◇
◇
これまで誰かにいただいた、特にうれしかった言葉を、iPhoneのメモにいくつも箇条書きにして残している、といったら気持ち悪いだろうか。
大学時代の恩師、習い事の先生方、大切な友人、SNSで繋がった、名前も顔も知らない遠くに住む人生の先輩、、、
たくさんの人が私にくれた、私を生かすための言葉を、私はその都度ひとつずつ大切に残してきた。
そして、自信が底をつきて、二度と朝なんか来て欲しくないと思う夜、Googleの検索窓に、「生き方」なんて入れてしまう夜に、ふとiPhoneのメモを見返すのだ。
こんなこともあったな、こんなことを私なんかに言ってくれる人がこの世にいるんだな、
じゃあ、私の今日のお洋服を褒めてくれなかった人が、センスがないだけだったんだ。そうだ。なーんだ。
そう信じて、ぬいぐるみを抱きしめて眠りにつく。
◇
文字通り、生きる糧となる、魔法のような言葉は、そうしょっちゅういただけるものではない。
もうだめだ、人生やめてしまおうかな、だってこんなに絶望的だもの、そう思いながらふらふらして死に場所を探しているような時に、思わず降ってくるようなことが多い。
私にとっての人生は、延々と80年だか100年だか続くいばらの道を歩きながら、数ヶ月に一度出会える、地面に落ちた宝石をひとつずつ拾っているようなもの。
その宝石は自分の力で増やすことはできない。
ただ、目を凝らして、いばらの陰で慎まやかに光る美しい石にわずかな希望をかけるだけ。
そうやって、23年生きてきたし、残りの人生もそうなんだろう。
いばらに引っかかって、脚から血が出ても、どこかに美しい石があることを忘れないこと。
そして、今までに集めてきた宝石を失くさないこと。
◇
私が今まで出会った宝石で、何度となく手に取り愛でる宝石がひとつある。
物心つくかつかないかの、2歳の頃から私を母親の次に近くから見てくださっている、恩師に頂いた言葉。もう10年以上前の、小学生の時。
◇
「ellieちゃんはこの先、どこに行っても頑張れる、成功できる人だと思います。
私はたくさん、いろんな子を見てきたからわかります。」
◇
人に殺され、人に生かされ。
◇
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