それは音なのか

女性ミュージシャンをホステスと勘違いしているかのようなおじさんファンとかアーティストが政治的な発言をした途端にクルッと手のひらを返すようなうるさがたとか、ああいうのは本当に嫌だなあと思うので、「音楽以外のところなんて一切見ないで欲しい、音楽だけで評価してもらいたい」と主張するアーティストを見かけるとものすごく理解はできるし共感もできるのだけれど、その一方で音楽だけで評価するって実はすごく難しいんじゃないかなと思うこともある。

例えば僕はロックバンドのカーネーションが好きだけれど、純粋に音楽だけを評価して好きなのかと言われると多分そうではなくて、直枝さんの生き方とか考え方とか太田さんの愛らしさとか五人時代の空気感とか、カーネーションの音楽と結びついてしまっている僕の思い出の数々とか、そういうものが不可分にごったまぜになった大きな塊魂を指して好きだと言っているような気がする。「Garden City Life」が音楽的に素晴らしいのかどうかなんて僕にはちっとも分からない。

確か「アダムスキー」リリース前後あたりのインタビューで、「何も書けない時は、何も書けないということを歌にする」というような主旨のことを直枝さんが言っていてとても感銘を受けた…というのは以前にも日記に書いた。それ以来ただの「好きなバンド」ではなくて、自分にとってかなりスペシャルな存在になっている。一番好きな曲は「My Little World」かな「The End of Summer」かなそれとも…とずっと決めかねていたのが、「メテオ定食」になったのもその頃だ。

今身近にあるCDラックを眺めてみると、カーネーションに限らずムーンライダーズでもボガンボスでもオインゴボインゴでもペイブメントでも、やっぱり音楽だけで評価できているという感じはしない。好きな人が薦めてくれたというだけで好きになってしまったバンドもあるし、その逆もある。少なくとも僕にとっては、好きになるのも嫌いになるのも何らかのプラスアルファが必要なようだ。そうでないと心に残らない体質なのかも知れない。

それはそれとして最初に書いたような迷惑なファンの存在にはやはり鼻白むものを感じてしまうので、音楽が良ければそれでいいじゃないか!と僕も言いたくなることはある。言ってしまうことも多分ある。そうするとノドの奥に小骨が刺さったような気分になって、どうにもしおしおとしてしまう。最近仕事場で好んで聴いてるkattvalsなんかは音楽以外のことは何も知らないけれど、ジャズ・ロックというジャンルに対する自分の憧れに似た思いとか、ブラスセクションが入ってきた時に思い起こす数々のバンドとか吹奏楽部の思い出とか、はたまたその日の気分とか体調とか、そういう外部要素がなかったらこんなに楽しめたかどうか。そもそも何を楽しんでるのか。謎は深まるばかりではないか。