見出し画像

鼻声になると別人になった気がする

気づいたときには鼻声になっていた。

1月は旅行やら友達の結婚式やらでバタバタしていたのだけど、ようやく予定が終わったと安堵していたのも束の間、盛大にかぜをひいてしまったのだ。

体のだるさ、喉の痛み、鼻水、頭痛、しまいには発熱。

かぜの症状フルコンボみたいなかぜをひき、寝ても覚めてもなおらない負のループ。3日間でティッシュ2箱分くらい鼻をかんだ気がする。

コロナでもインフルエンザでもなかったのは幸いだったけれど、それでも家でぐったりしているときは、熱さまシートをこれでもかと額に貼りまくることで事なきを得ていた。

そして、鼻詰まりからくる頭痛など様々な症状に苦しまされるなかで、気づいたら鼻声になっていたのだ。

鼻声って急になるのではなくて、滑らかにグラデーションのように変化するんだなって。

鼻声にそんなおしゃれな表現が必要なのかは置いといて、自分には鼻声になるたびに思いだすことがある。

小学生のころ、同じように鼻声になった日があった。

朝から友達と話していても、どこかくぐもった声になってしまって、自分の声じゃないような気がしていた。

すると、隣の席の友達から「声がいつもと違ってかっこいい!うちはサスケ
みたい!」
と言われたのだ。

もはや褒められたことを喜んでいいのか、今の鼻声より、普段の声が負けたことを悲しめばいいのか悩ましいところだった。

しかも、例えられた声のキャラクターのハードルの高さと言ったら。自分自身、声の通らなさは自覚していたので、うちはサスケの声に似ていると言われて驚いた。

実際、うちはサスケが居酒屋の店員に注文しようと声をかけてスルーされる姿は想像できないし。そもそも居酒屋に行くのかも定かではないが。

それでも、似ても似つかぬキャラクターと間違われるということは、やっぱり鼻声になると、自分では気づかぬうちに別人になったような感覚になるのかもしれない。

普段の生活のなかで、自分の声ではない期間を過ごすことなんてほとんどないので、ある意味、貴重な体験と言えるだろう。

何が言いたいかというと、どれだけかぜがしんどくて、考えることもままならない状況だろうと、少しでもポジティブな面を見つけようと努力すると、極小でも見つけられるものなのだ。

この文章を読んだ人のなかには、私も久しぶりに鼻声になってみようかと思う人がいるかもしれない。

自分もアニメのキャラクターの声になって「写輪眼」って叫びたい人がいるかもしれない。

思ってくれない限り、この文章がまとまらないので
ここは何とか鼻声に免じて。


この記事が参加している募集

この経験に学べ

今週の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?