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東京五輪2020開会式に見えた、優れた才能を潰してしまう日本社会の構造

東京五輪2020の開会式を見て感じたのは、得も言えぬ違和感。。そう、リオ五輪閉会式の東京のプレゼンテーションは素晴らしかった。あのクオリティを超えてくるパフォーマンスを期待していたのに・・・そうはならなかった。驚きはせいぜいドローンぐらいだった。

もちろん、開催されるかどうか分からない中、準備を進めてきた大会関係者、パフォーマー、そしてアスリートには敬意を評したい。この違和感をぶつけたいのは、開会式の演出に関わった責任者たちだ。

はっきり言って、東京五輪2020にはあまり関心がなかったが、この違和感について考える中、日本社会が抱える根本的な敗戦体質が見えてきたので、怒り覚めやらぬ中まとめておきたいと思う。

才能あるプロデューサーらは降板させられていたという事実

東京五輪2020にはあまり関心がなく、全く関連ニュースをフォローしていなかったため、 リオ五輪閉会式のプレゼンに関わった野村萬斎さん、椎名林檎さん、MIKIKOさんらのチームが演出を担当するものと思い込んでいた。

それが・・・この人たち全員降板している・・・だと!?

なんなん??開いた口が塞がらないとはこのことだった(今更ながら・・・笑)

コロナ禍に伴う式典の簡素化を短期間で進めるため佐々木さんという人に権限を集中させ、野村萬斎さん、椎名林檎さん、MIKIKOさんらのチームは解散していたらしい。山崎貴監督も退いているのか・・・

いやほんま、なんなん??優秀な才能を排除して、佐々木というよく分からないオッサンに権限を一括させていただと!?

しかも、このオッサン、あかん奴ではないか・・・

こんなのが総責任者だったのなら、失敗は約束されていたと言ってもいい(この件に関しては、関心がなかったこともあり情報が古くてすいません。。)

これを見て、日本という社会は、本当に、若い優秀な人材を生かすことができない息苦しい社会なんだなと再認識した。

優秀な人材は次々と死に、無能な上官ばかりが残った太平洋戦争と同じ構造ではないか。。

日本の敗戦体質:才能あるものを排除し、戦略なきまま突き進む

戦前にも、机上戦争で必敗を訴える軍幹部はいたそうだし、そもそも海軍は短期決戦で早期講和に持ち込むという方便で戦争を始めた。けれども開戦後はズルズルと戦線拡大され、引き際も分からず、ガダルカナルやインパールなど悲惨な作戦も遂行され、日本は破滅的な敗戦に至った。

今回の東京オリンピック・パラリンピックも、これと同じ構造ではないか。

・才能ある者を生かせない

・明確な戦略がない(最初の目標が忘れられてしまう)

才能ある者を生かせないというのは、上記の野村萬斎さん、椎名林檎さん、MIKIKOさん、山本貴さんらが排除され、権力者の佐々木某が指揮を執ることになったということに現れているし、戦略がないということについては、そもそも猪瀬知事が招致活動を行っていたときの「21世紀にふさわしい、お金のかからないコンパクトな大会にする」というビジョンが全く守られていないことに現れている。

また、リオ五輪閉会式のプレゼンにあったような、日本のサブカルチャーの総力を結集して歓迎します、というコンセプトが全く守られていなかったことも、戦略の一貫性のなさの現れだる。これらがもし、佐々木氏の属する電通の利権に関わることだったとしたら、国民は許してはいけないと思う。

せめてもの救いは、コロナ禍で規模を縮小せざるを得なかったというエクスキューズが成り立つこと、その中で際立ったドローンテクノロジーか。

しかし、ここまでドローンをコントロールできる技術があるなら、これで光のガンダムや光のドラえもんを作って、聖火に点火するようなパフォーマンスをこそ期待した。

日本復活のために考えて欲しいこと

リオ五輪閉会式のプレゼンには、次世代の日本の希望が見えた。こういった才能ある人たちが、日本にはまだまだいると。

その才能を具現化させることができなかったのだとしたら、この五輪は日本にとって敗北だったと言えるのかも知れない。少なくとも東京五輪2020の開会式の演出に、明るい日本の展望はほとんど見えなかった。

悲しい思いだ。

しかもこの、

・才能ある者を生かせない

・明確な戦略がない(最初の目標が忘れられてしまう)

というのは、日本政府のコロナ対応においても見られる事象なのだ。これは、日本社会の構造的な弱点で、多くの会社組織でも見られることなのだと思う。個々は優秀でも、組織になると無能になる。現場は頑張るが、戦略眼と調整力に富んだ真のリーダーがいない。

この閉塞感の打破をこそ、東京五輪2020に見いだしたかった。日本復活の鍵は、才能を発揮できていない者たちの発掘にこそあると考えている

だが、まだ希望はある。次は、大阪万博2025だ。万博こそ、オリンピック以上に日本の産業・文化の総力を発信するべき場所である。この過ちを繰り返すことなく、日本の反転攻勢のきっかけの場にするためにも、東京五輪2020の開会式の演出に関わった人々の経緯についてはしっかり検証し、総括しないといけない。

素晴らしきリオ五輪閉会式の東京プレゼンをもう一度見直すべきだ。

ゲーム音楽が日本の「文化」になった日

 全体としては、当初の期待を下回る出来だったとの個人的な印象であるが、残念なことばかりでなく、もうひとつ非常に良かった点を最後に挙げておきたい。

それは、ゲーム音楽が入場行進曲に使われたことだ。

これは画期的である。ゲーム音楽は、極めてクオリティの高いものが多数ある「宝の山」であるにも関わらず、その価値が過小評価されてきた。オリンピックの入場行進曲に使用されたことで、その価値がauthorizeされた(権威づけされた)と言えるだろう。

今後、全国の運動会の入場行進曲にもドラゴンクエストやファイナルファンタジーが使われるようになるに違いない。ゲーム音楽が、ゲームファン以外の人々の生活の中にも根付いていくのだ。まさに、ポップカルチャーという枠を飛びこえて、ゲーム音楽が日本の「文化」に格上げされた記念すべき日である。

この組曲はぜひ販売するべきだと思う。

記事アップ後に報道が出たので追記:幻のMIKIKO案

いったん記事アップ後に報道が出たので、追記しておく。

プレゼン資料によれば、セレモニーは、会場を一台の赤いバイクが颯爽と駆け抜けるシーンで幕を開ける。漫画家・大友克洋氏が2020年東京五輪を“予言”した作品として話題となった『AKIRA』の主人公が乗っているバイクだ。プロジェクションマッピングを駆使し、東京の街が次々と浮かび上がっていく。三浦大知、菅原小春ら世界に名立たるダンサーが花を添え、会場には大友氏が描き下ろした『2020年のネオ東京』が映し出される。
 1964年の東京大会を映像で振り返ったのち、「READY?」と合図を送るのは、渡辺直美。過去から現代へと誘う役割だ。女性ダンサーたちが、ひとりでに走る光る球と呼吸をあわせて舞う。世界大陸をかたどったステージの間を、各国のアスリートたちが行進。各種競技の紹介は、スーパーマリオなどのキャラクターのCGが盛り上げていく。

2020年ネオ東京・・・我々が見たかったのはコレだよ・・・!!取り返しのつかない失敗。。。

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