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【模型】呼び方を変えても本質は変わらない ~トランぺッター 1/72 M4中特車~

長いこと海外にいたせいか、どうも私には日本を外から俯瞰してしまう悪い癖があるのだが、日本では当たり前のように通用していることがどうにも腑に落ちなくて鼻白むことがある。
「言葉の言いかえ」というものについても違和感を感じて仕方がない。
例えば「援助交際」というものがあるが、当然ながら「売春」のことだ。
売春というと刺激が強いが「援助の交際だ」ということになると、途端に女子高生にとってハードルが低いものになるのは一体なにごとだろう。
湾岸戦争の時の「多国籍軍」という奴も実にギマンに満ちた表現に思えたもので、英語の原文ではAllied forcesと表記されているものは本来の日本語訳では「連合軍」と表現すべき言葉であるにもかかわらず、どういうわけかこの訳語を使うのが嫌な向きでもあったのだろうか。
「多国籍軍」という言葉は別にMultinational forcesという言葉があるのであって、もし引用元のワシントンポストあたりでAllied forcesと書いてあったならちゃんと「連合軍」と訳して報ずるべきだがそうはならない。
日本人の七不思議のひとつだろう。

他にも体裁さえ揃っていたら事実上の違法行為も脱法できてしまうというのも日本の特徴で、パチンコ屋と換金屋の関係など子供でも違法性を指摘できる程度のカラクリだが、そこに司法のメスが入ることがないのは、あくまでパチンコ屋と換金屋が「たまたま」お隣さん同士なだけで関係がないという設定だからだ。
つまりはファンタジーなのだけれども、日本の現実はそういうファンタジーに立脚している部分が先進国にしては多すぎる。
今から10年ほど前は日韓関係が大いに荒れて、あの国は司法が国民感情次第でどうとでも動く人治主義なので信用ならんという声が多く上がっていたことを記憶するが、なに日本だって似たようなものだ。
本質的なところでものを考えないから、上辺のイメージ次第でどのようにでも操作できる。
憲法9条に至ってはファンタジーの極致で、「私は病気が嫌いだから病気にはなりません、病気を治すための病院など想像するのも嫌だからいりません」といっているようなものだ。
ところが日本人にはどうも「ことだま」とかいう妙な概念があって、なんだかスピリチュアルで気色が悪いのだけれど、言い方さえ変えればものごとの本質まで変わってしまうように錯覚する傾向が圧倒的に大きい。
これは集団ヒステリーといってもいいのではないかとも思うのだが、まったく正気の沙汰じゃないなというような現象がありふれているのには閉口する。

中国で仕事をしていた時に、日本側ともめることもしばしばあったのだけれども、日本側がまるで論理的でなく、日本でしか通用しない感情論で攻めてくるのには参った。
「愛国無罪」よろしく、どうも「良かれと思ってやったこと」なら何をやっても構わないと思っているようで、AQLに基づいた品質標準で重不良が0.65%以下であっても問題の原因と是正報告を求めてくるというのは契約違反だ。
「せめて気持ちをわかってくれ」と言われたところで、正確に中国語に翻訳してスタッフに伝えたところで私が狂人扱いされるくらいのものだ。
そのような国民性なので、「結局のところどうなのだ」ということを深掘りするようなこともあまりなく、ために「消費税」が実質的に「付加価値税」であることにも気が付かないのだろう。
既存の概念であっても横文字でいえばまるで新しい革新的な考え方であるかのように世間で認識されるのも苦々しい限りで、リテラシーなんて言葉も単純に読解力とか理解力という風に言えば何も難しいことなどはない。
スキームは「手口」、コミットは「関わる」で十分で、わざわざわけのわからん横文字でケムに巻くのは詐欺師と同じだと思っている。
私は過去11年にわたって中国で仕事をしていたためそういったヘンテコな影響を受けずに済んできたが、中国語は意味を正確に表現するのに的確で最小の漢字で表現しているので、そんな誤謬はほぼ存在しない。
あるとすれば「台湾是我国不可分的领土之一(台湾はわが国不可分の領土の一つ)」くらいではなかろうか。
そんな折に、どうも最近日本では「やばい」という言葉を肯定的に使うようになったらしいと聞くにいたり、ああこの国はもうおしまいかもしれないなと思ったものだ。
今回は、そんなフシギの国ニッポンの戦車ならぬ「特車」のお話だ。
念のため、パトレイバーは関係ない。

※以下は2007年10月21日と2008年2月6日のmixi記事より転載、加筆を行った

模型に限らずあらゆる塗装全般に言えることだが、皮膜は薄くて均一なほど美しい効果が得られる。
ところが筆塗りではどうしても皮膜が厚ぼったくなってしまい、モールドを殺してしまう。
薄く均一に塗装を行うためには吹き付けによるエアブラシがどうしても必要だ。
ところがエアブラシは模型の工具の中でもっとも高額なものでもあり、従来この壁は大きかった。
なにせまともなコンプレッサーとハンドピースをそろえると3万円もするので、これまで手が出なかったのである。
ところが、業務上広州方面へ出張していると、中国ならではの安価なものが入手できることが分かった。
模型表現上からも筆塗りだけでは限界を感じていたので、このたびめでたくエアブラシを導入したのである。

コンプレッサーが400元、ハンドピースが190元、合計で1万円しないというのだからすばらしい。
ともに台湾製で、コンプレッサーにはちゃんとレギュレータもついており、ハンドピースは金属製のダブルアクションタイプであるから、必要にして十分、模型専用ではなく業務用なのでやたらに頑丈で重たいが、台湾製なら十分信頼できるというものだ。
そういうわけで、重たい袋を提げて常平に帰ってきた。

さて、せっかくなのでエアブラシを使った塗装を実践してみたい。
なにせこれまでは筆塗りだけであったので広い平面を塗るとどうしても筆ムラが出てしまうことから乗り物などが作れなかった。
従って、まずは練習を兼ねてキットを合わせて買ってきた。
トランペッターの1/72のM4A3E8は、OD色の単色塗装なのでうってつけだ
早速大まかに組み立てて下準備を進める。
中国メーカーのトランペッターは意外とシャープな金型なのが印象的だが車体や砲塔のすりあわせが悪く、パテ埋めとペーパーがけがやっかいだ。
そうして大まかに組みあがった状態でさっそくエアブラシを使ってみる。

まず塗料を薄めなければならないのだが、この加減はそれほど難しくなかった。
それよりも、薄めるために塗料皿に塗料を出してシンナーを足すのだが、この塗料皿からエアブラシのカップに移すロスが思ったより多く、せっかく作った塗料のうち4割くらいしか有効に使えないのはちょっともったいない。
コンプレッサーの気圧を調整し、吹いてみる。
今までのスプレー塗装のイメージとはずいぶん違い、余計なところに塗料がほとんど飛んでいかない。
また、塗料の吐出量を絞ることで吹いたハナから乾いていくので、なんというかエアブラシを向けた先が自動的に色が乗っていくというフシギな感覚だ。
これはよいものを手に入れた。
エアブラシは模型の塗装のみならず、絵を描いたりその他いろんなものの塗装に使えるので、実に便利な工具だ。
もっとも後始末がひどくヤッカイなのには閉口した。

そういうわけで、戦車が完成した。
1/72のキットをマトモに作るのは初めてなので、ひどく小さいのには参ったが、初めてにしてはまあこんなものだろうか。
トランペッターのM4戦車は部品点数も少ないのであっという間に組んでしまったが、転輪の軸受け部分にハデにバリが出ているのと、履帯のゴムが切れやすいのがちと困る。

エアブラシでODを吹いただけではのっぺりとして質感も何もあったものではないので、フィルタリングで車体上面をアンバー気味に調整した。
はじめてやった技法だがわりとうまくいった。
車体のさび表現については、グレーを一旦当てた後メタリックグレーで金属が露出した表現を施し、その上に薄くブラウンでフィルターしてやることではげた表面にうっすら赤錆が浮いた状態を表現した。
もっとも、本物の戦車でどういう場所にさびやハゲがでるのかよく知らないので、結構インチキではある。
また、さびた部分から下は薄めたブラウンで雨だれ表現を行った。

今回がんばったのは、車載の50口径機銃のグリップである。
オリジナルのパーツではグリップ部分がすべて埋まっており三角形の塊になっていたので力が抜けた。
1/72ではほとんど分からないとはいえ、目立つ部分でもあることから加工する値打ちはある。
そういうわけでピンバイスで大まかに穴を開けてからデザインナイフでくりぬいて、ちゃんとした握把を削りだした。
小さいことだが、こういうところをしっかりやると、がぜん精密感がでてくる。

車載工具などもきちんと塗り分けをすると精密感がおおきく出てくるので手を抜かずにしっかり塗る。
特に斧やスコップの木部はブラウン一色では木というより単なる茶色いプラスチックに見えてしまうので、バフとレッドブラウンをブレンディングすることでそれらしく表現した。

エアブラシの威力が最も発揮されるのが履帯周りの表現だ。
近所の工事現場でユンボのキャタピラをよく観察すると、キャタ自体は金属製だが全体的に泥まみれで、なおかつ地面に設置する部分は金属光沢が出ている。
従ってフラットアースで履帯全体を吹いた後表面をメタリックグレイとフィールドブルーを足したものでドライブラシをかける。
単なるメタリックグレーでは安っぽいが、ブルー系を足してやることで金属自体が持つ青みがかった色をうまく表現できた。
組み上げてからフラットアースとブラウンで泥の表現をエアブラシで行う。
それらしく見えるが、泥のかかり方がどうも不自然でインチキ臭い。
この辺はどういう汚れ方をするのかもっと工事現場で観察する必要がありそうだ。

そういうわけで、出来上がったものはなんだかさびが浮いていまいちきれいではなく、なんだか外で1年ほどほったらかしにした車両のようだ。

註:ここまでの記事は初めてエアブラシを使って塗装をしたときのもので、当然ながら習作なのでそれほどいい出来のものではなく、この時期からしばらくたった後、こいつをリペイントしようと思い立ったのが、以降の2008年2月6日の記事。

いよいよ大晦日だ。
漢字で書くとまぎらわしい。
まちがっても大後悔の日ではない。
本日は2月6日で、旧暦での大晦日に当たる。
朝っぱらから市街戦の発砲音、もとい爆竹の音が遠くからエコーを引いて聞こえてくる。
時折散発的にパーンという小銃の単発射撃のような音が聞こえてくるが、ヒマな奴が爆竹をバラして鳴らしているのだろう。
そうこうしているうちにすぐ近所で機関銃の連続射撃音のような音が聞こえてきた。
うむ、間もなく春節だ。

さて、昨日の晩飯を食いながら司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んでいた。
長州藩が馬関戦争で4カ国連合軍にコテンパンにされるくだりで、例によって筆者の長い余談が展開されるのであるが、曰く日本人の体質としてヤクニンというものがあるそうだ。
いわゆる役人であるが、江戸幕府の高官の徹底した保身主義と無能さはヤクニンという単語ですでに諸外国に知られていたそうだ。
いわゆる事なかれ主義という点においては西洋におけるビューロクラシー(官僚主義)とも違うようで、わが国の民族性に由来する独特のものであるかもしれない。
これは現在においても変わらず、さまざまな点においてこれが散見せらるのであるが、そのひとつが陸上自衛隊がかつて使用していた「M4中特車」であろう。

自衛隊は戦力に非ずと吉田茂が言ったから8月15日はサラダ記念日、というわけでもあるまいが、創設当時の警察予備隊および後身の保安隊、そして昭和29年に創設された陸上自衛隊は徹底して「戦」のイメージを払拭することを要求されていたようだ。
やっていることは同じでも言い方を変えればモノゴトの本質まで変わったかと錯覚するのが日本人の奇妙な習性で、いわゆるコトダマとかいう概念も日本特有のものであるらしい。
現在公共放送では「バカ」という単語を使ってはならんらしいが、「頭の不自由な人」ならよろしいらしい。
まことにバカバカしい話であるが、周囲に阿るため本質とはまったく無関係なところで無駄な努力が展開されるというのはわが国独特の弊害とはっきり明言できるであろう。
上述の特車というのは戦車のことだが、「戦」という文字を使うことはなぜかタブーであり、煙管(エンカン:ハイザラのこと)や営庭(エイテイ:グラウンドのこと)など、シャバではいっさい通用しない旧軍特有の日本語をそのまま受け継いでいる割には「戦」がつく単語はすべて別の言葉に置き換えざるを得なかったのは、まさに時代の要請だったといえる。
従って、自衛隊は戦力ではないというタテマエがある以上、やっていることは同じであるが、歩兵科は普通科、砲兵は特科と呼び変える事で世間の目を気遣ってきたというのだからご苦労さんな話だ。
もっとも、言葉を変える事でなっとくする世間も大バカである。
コトダマだか何だか知らんが、イメージだけでモノを判断していると本質がわからなくなり、今にエラいことになるであろうと、海のこっち側でひそかに心配している次第である。

そういうわけで、このM4中特車を作ってみた。
名前からわかるように、もともとアメリカ軍が朝鮮戦争で使用したM4A3E8中戦車を日米兵器供与協定に基づいて陸上自衛隊がもらったものである。
M4戦車といえば私がこっちでプラモを始めてから最初に作った戦車キット(註:本稿の前半で作ったもの)であるが、これがちょうどM4E3A8で自衛隊に供与された型であることに気がついた。
74式戦車の製作でやや行き詰っていたこともあり、ちょっと逃避のつもりでこのキットをリペイントしてM4中特車に仕立ててみようと思った。
なんせカンがぜんぜん戻ってないころに作ったものなので今見ると塗装はかなり恥ずかしい出来である。
さっそくホコリを落としてリペイントにかかるが、せっかくなのでちょっと手を入れてみた。
キットでは本来フックをかける輪が単なるムクになっている箇所があるのでピンバイスで穴を開けてからデザインナイフで整形、最後に流し込み接着剤を流して表面を平滑にする。
さらに主砲の防盾の後ろにキャンバスのカバーをラッカーパテで追加、防盾と砲塔の間に薄くパテを塗って、表面が乾いてから定規で寄せると実にいい感じでしわになる。
塗装は例によって黒立ち上げの自衛隊ODグラデーション塗装で仕上げる。

この時点で、砲塔側面に日の丸を入れる。
この時期の戦車、もとい特車はM41にせよ61式にせよ砲塔側面に日の丸のマーキングを入れていたらしい。
そういうわけで白地はマスキングの上クレオスのベースホワイトを吹き、赤は手書きになるので本来なら修整が容易なエナメルを使うところだが、このあとウオッシングが入るのでキアイ一発ラッカーで仕上げた。
さらにデカールも貼っておく。
この当時に第3「戦」車大隊という名称の隊が存在したはずがないのだが、まあ雰囲気である。

さらに濃い目のウオッシングをかけると、だいぶポンコツ感が出てきた。
もともとM4中特車は朝鮮戦争での米軍のおさがりなので、ちょっとポンコツくらいがちょうどいい。

ウオッシングが終了したら転輪ゴムやライト、機銃など細部の塗りわけをやって完成。
ヨーロッパ戦線ではやられ役のM4戦車も、自衛隊ODで塗装して日の丸やら部隊番号を入れるととたんになじみやすいものになるので不思議なものだ。

そういうわけで、昭和の陸上自衛隊の新旧戦車3台がとりあえず出来上がり、並べてみるとなかなか壮観である。
残るは乗員の塗装だ。
今日中にはなんとか終わらせたいと思う。

2023年3月12日追記

このキットは私が初めてエアブラシで仕上げたもので、塗料はたしかタミヤエナメルだったと思うが、色を吹いていくハナから乾燥して筆塗りではまったく不可能なくらいきれいなつや消しに車体が染まっていくのはなかなか感動だったことを覚えている。
エアブラシを使うようになって模型が格段に楽しくなってきて、おかげでものすごい沼にはまったようなものだが、そのまま現在に至っている。

私は若いころからおっさんのような感性だったせいか、若いころから若者言葉というものが大嫌いだった。
流行というものも大嫌いで、人がやっているからといってなんで俺までありがたがらないといかんのだという根性曲がりだったのだけれども、かえってこれは「実際のところどうなんだ」ということを考えるきっかけになっていたように思う。
「こうであったらいいのにな」とか「こうでなければならん」というような余計なフィルターを全部外し、今目の前にある確実な事実だけを集めて因果関係を考えると、世の中は案外単純なもので、「身もフタもないような考え方」をすることでより核心に近づくことができると考えるのは今も変わっていない。

2008年当時といえば胡錦涛政権の時代で、その3年前の2005年には第一次反日デモにも現地で遭遇したことがある。
国内の不満のガス抜きと日本に対する外交的牽制を目的とした官製デモであることはすぐにわかり、今に沖縄も中国のものだと言い出すだろうと予測していたら、実際にそうなった。
中国は日本と真逆で目的のためには悪いことをやるのに全く悪びれる所がないので実に分かりやすい。
言葉によるエクスキューズなんて面倒なことをやることもなく、そもそも中国語は最小の文字数で意思を表現する言語なので、思考が直接的になるのかもしれない。
私自身についても多分そういう「中国語脳」が少なからずいろんなことに作用しているのだろうと思っている。

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