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ほとんどの料理は、目と舌でおぼえた

「食べたことない」と妻が言う。

ときどき、驚く。
たとえば「かつめし」であれば、兵庫県は加古川市のご当地グルメだ。
作るこちらもマイナーは承知と頷ける。
パエリアやらラザニアも、わからなくはない。
ナポリやバレンシアでは家庭料理だとしても、ここは日本だ。
家で食べる機会はなかったかもしれない。

そう、妻の「食べたことない」は「おうちごはんで」なのだ。

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どういう巡りあわせか知れないが、中学生くらいのころ「西洋料理事典」という本を自宅の押し入れで見つけた。本格フランス料理の指導に力を注いだ田中徳三郎なる料理人の、かなり年代物の本だった。
料理名から調理法まで多岐にわたる、が読むというより調べるためのもの。
ただ、どうしてなのか面白く読めてしまう不思議な事典だった。
読み耽って、活字で料理を覚えた。

おかげで今でもオープンキッチンの店が好きだ。
かつて活字だった工程が目の前で再現される様は大いに楽しい。
そのうえで舌にのせ、過程と結果を腹におさめる。

そんな奇妙な方法で調理を覚えたせいか、まったく本来ではないレシピから出来上がる料理も多い。その1つがチリコンカルネだ。

タマネギもセロリも入らない。
刻んだニンニクと合挽き肉をABCサンバルアスリで炒め、トマトピューレと鷹の爪を入れて煮立たせ、汁気が飛んだらミックスビーンズを入れる。
ずっと強火。
20分あれば仕上がる。

クックオフなら鼻で笑われるだろうが、食べれば文句もひっこむはずだ。
誰が作っても、そのくらいの出来になる。
ポイントも1つきりで、ただ焦がさないように混ぜ続けること。

妻には「食べたことない」シリーズだった。
が、すっかり定番だ。

サンバルアスリが何で出来ていて、チリコンカルネに必要な材料は何か。
さすがに載ってはいなかったと思うが、組み立ての基礎になる部分を読んで知り、目で見て舌で覚えた成果だと思う。

真っ赤な表紙に金の箔押しで「西洋料理事典」の文字。
外箱があるらしいと後で知った。
人生を変えたというほど大それたものでもない。
ただ、あの日たまたま見つけた本が変えてくれたのは間違いない。
妻の「食べたことない」を聞くたび、そう思う。

料理ができてよかった。

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