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スマホ依存は若者のものと本気で思っているなら電車に乗って見渡してみるべき

つい数年前まで、引きこもりは若年層の問題だと思われていた。が、老々家庭となる中にこそ深刻な現実があると認識され始めてきている。

私には、こちらも同じように思えてならない。

スマホ依存は成人で421万人。13~18歳で52万人と推計され、思春期青年期年代で特に依存傾向が高いとされている。が、ここでの情報は2013年のものである。すでに6年前で、スマホの普及率が携帯電話を上回った年である。つまりスマホ依存の推計ではなく、単なる普及率の実態に近いのではないだろうか。ちなみに2019年2月で、スマホの普及率は85.1%となっている。
おそらくは依存の実態も大きく変わっている事だろう。

若年層がスマホを手放さないのは、多くが「他者とのつながり」に因る。
たとえばLINEであったりTikTokであったり、流行り廃りの類も含むツールに過ぎない。
これはスマホ依存というよりも、根底に第三者依存や承認欲求があるので、ほかに熱中できるものがあれば容易く切り替わるだろう。

問題は、その上の年代である。
どうにかLINEくらいには手を出しているようだが、そのほとんどが携帯電話だったころと使い方が変わっていない。

パズドラかツムツムかポケモンGOか、あるいは韓流ドラマかTwitterである。

まさに依存だ。
もはやツールではなく、当初の目的こそ暇つぶしであったのだろうが、今や本末転倒で条件反射的に暇さえあればとなっているのだろう。

先日、知人が「Twitterを見てたらあっという間に時間が過ぎた」とコメントしていた。誰かの思い付きが並べ立てられたものを眺めて時間を浪費できるとは! と驚いたものである。これこそ、まさに依存だ。

依存は、本人の努力を必要としない。
パズドラやツムツムには習練がいる、という意見もあるかもしれないが、それは習練などと呼ぶ真っ当なものではなく、慣れか条件反射の類だろう。

ただ、それをせずにいられないのだろう。
何もないのだろうな、と見ていて切なくなる事がある。

1時間。せめて30分を埋める術を持たない。
ほんの数分を積み上げ、やり過ごすしかない。
大人が、である。

何と悲しいのだろう。
きっと芯では凪いでいる。

それでもスマホを手にしていないと、何をして時間が過ぎるのを待っていればいいのか不安なのだ。いい大人が、である。

むしろ若者の大半はツールを活かしてコミュニケーション力を磨き、いまの世代よりも広い世界を見る素養を得るだろう。

一部のはき違えた若者と大半の大人たちは閉じた世界で引きこもるのだ。

それらが浮き彫りになったとき、打つ手は既にないだろうと私は思う。