見出し画像

ロックヒストリー 曲紹介編 50年代①

Noteで展開している「ロックヒストリー ロックの歴史」の音源紹介。今回はその1に対応する音源を紹介。

まず「ロックアラウンドザクロック」で全国区のロックンロール第1号ヒットを出したビルヘイリー&コメッツのロックザジョイントという曲を。コメッツではなくよりヒルビリー的なサドルメンという名で活動していた時代のもので発表も52年とロックアラウンド~よりも2年早い。ギターソロもほぼ同じフレーズ。こっちの方が音は生っぽくてカッコいいが後半のスティールギターが良くも悪くも「逃げ場のないどカントリー」で慣れないとトゥーマッチに感じる事だろう。自分も昔は苦手だった。

原曲は黒人リズム&ブルーズアーティストのジミープレストンで49年の作品。日本の年号だと昭和24年・・・といかに当時のアメリカやブラックカルチャー/ミュージックがプログレッシヴだったか思い知る。この他にも実はゴロゴロ、というかもっと古いものもいくらでも存在する。アメリカ社会に強く根付く黒人差別を背景に白人たちが「その魅力に抗えずに屈する」形で登場したような側面もあったロックアンドロールだが、それを実感できるようなカッコよさだ。

続いてエルヴィス。やはり登場期の彼は唯一無二でかっこいい。紹介すべき曲は山ほどあるが初期のワイルドなイメージを余すことなく体現しチャート的にも文句ない結果を出したこの曲。これだけハードな曲を全米総合チャートno1にできたのは彼だからこそ。ギターソロも良い。この時代マニアックに掘り下げれば同じようにハードだったりカッコいい曲は沢山あるがその多くがリアルタイムでは全く日の目を見ず後々パンクやネオロカビリーの登場により発掘/再評価されたもの・・・と言うパターンだったりする。
この曲も実はカバー。女性ブルースシャウターのビッグママソーントンのために白人ソングライターチームのジェリーレイバーとマイクストーラーが書いたものがオリジナル。このヒット以後彼らは直接エルヴィスのために曲を提供するようになる。

そしてエルヴィスも大いに意識していたと思われるリトルリチャード。彼もロックスタンダードが沢山あるが「ロックンロールはハードで激しい音楽」という事を最も体現し期待通りのRRを提供してくれる・・・という彼の最大の魅力が顕著に表れたこの曲を。3回目のブレイクの舌がもつれそうな早口スクリームが最高だ。・・・ところで少し音楽的な話をするとこの曲、速いテンポでひたすら打ち付けるように「タタ タタ タタ タタ・・」と聞こえる気がするが少し感覚を変えて「タカタ タカタ タカタ タカタ・・」と聞こえると思って聞くと違った感覚が行間を読むが如く浮かび上がってくるのだが、多分これがこの時代のアンサンブルやノリやビートのカッコよさの秘密の鍵を握っているのではないか…と個人的には思っている。当時は全米総合チャートにはランクインせずR&Bチャートで1位になったのみ・・というのはこの曲がRRスタンダードとして定着している現代からすると少し意外な感じがするがこの手の現代の認識とリアル時の実際との誤差/齟齬がある曲というのは実は沢山ある。

そしてチャックベリー。白人であるエルヴィスもビルヘイリーも上で紹介した曲は黒人のカバーだし、エルヴィスもインディーズでデビューした時はやはり黒人ブルースのカバーをやっていたが、黒人であるチャックベリーのデビュー曲「メイベリーン」はカントリー方面のスタンダード「アイダレッド」の改作で白人のカバーだったりする。エルヴィスとベリー、ロックの2大始祖のデビュー曲が相互の人種のカバー・・・という史実がロックンロール、ロックの何たるかを全て物語っている・・・というのがここ数年の個人的なロックに関する最終的な持論。

「アイダレッド」のボブウィルスというカントリーのアーティストは白人ながらにブラックミュージックに接近しておりエルヴィスも大いに影響を受けている形跡があったり、リトルリチャードも彼のカバーをしていたりする。聞けばわかるようにリチャードバージョンのイントロはレッドツェッペリンの「ロックンロール」のイントロに引用されている。すべては繋がっているのだ。

続いてカールパーキンス。ローカル時代のエルヴィスと同じメンフィスのサンレーベル所属。エルヴィスと同じく白人の中でも非常に貧しい家の出身である彼は黒人に近い場所で生活し子供の時分から黒人に混じって農園で働いていた環境が影響してギターのトーンが非常に黒人ブルーズメンぽい。ビートルズの面々も大好きなアーティストらしく初期のカバーが印象的だ。

先に「ロカビリーのカッコいい曲の多くが後に再評価されたリアル時のマイナー曲だったりする」と書いたが、彼には当時の未発表曲でとてもカッコいい曲がある。70年代に発掘された曲だがこれが50年代当時オクラ入りになってしまったのは個人的には残念でならない。

続いてジーンヴィンセント。エルヴィスのRCAと並ぶ大手キャピトルが対抗して仕掛けた。彼はロックの外タレとしては最初期の1959年、昭和34年に来日している。これが実現したのも彼が大手レーベル所属だったからこそ。代表曲はナンバーワンヒットのビーバップアルーラ・・・だが、彼は他の曲の方がカッコいいのでセカンドアルバムから1曲。この曲が2曲目に収録されている彼のセカンドアルバムが再発された際、ライナーノーツをジェフベックが書いていたことがあったが、そこで彼はリアルタイム時に大西洋を越えて英国に入ってきたロックンロールに夢中になり4歳上の姉が買ってきたこのアルバムを聞いたエピソード等に触れ、結びに「もしキミがhold me,hug me(2曲目)のエンディングまで聞いてアルバムに全然夢中になれないなら、助けを呼ばないと・・・だってキミはロックンロールファンじゃないから」みたいな事を書いていたが、彼はジーンヴィンセントのバンド、ブルーキャップスのギタリスト、クリフギャラップ好きが高じて完コピ的トリビュートアルバムを出すぐらいのフリークだったりする。

その②へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?