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評価に左右されない創作って何かとかの書き散らし

シンプルに評価って欲しくない?逆に欲しくない人いるんか?と思ったので自分の思ってることを書こうかなと思う。きっかけはこちらの記事。

ちなみに私は「感想は欲しいが評価はどっちでも」というタイプです。
でも多分これは私に才能がちょっとあって、評価もされる上に感想が来る、みたいなタイプだからだと思います。評価されるの大前提的な。
先に言います。私は多少才能が有る人間です。有る寄りの人間の文章なので、優しく寄り添ったことは書いてません。
そもそもこれは書き散らしなので私の思考整理をインターネットという海に放流しています。

そもそも論。
(二次)創作における評価ってなに……?

私は読まれることだと思うんですけど……違うのか……?いいねの数が評価なのかな〜。まあここでは閲覧数やいいねなどの数字の大きさを評価と定義します。

が、定義したところでなんですよ。
そうなってくるとやっぱり私は才能、あとは運にも恵まれたタイプに分類されます。
これまでの同人活動で読まれないってことがないので。
個人サイトも持ってた時代あるし……そういうランキングでも誰かしら読んでくれる人がいた。それはサイトのカウンターとかが物語ってるし、何より誰かが読んでくれる証拠、感想が来る。

私にとっては数字の評価より感想という誰かの感情が嬉しいんですよ……。
ただ、感想を貰うにはある程度の数字による評価というものが必要になってくるのかなと思います。数字の評価が気になって辛い……とかは思ったことないです。
でも「感想が来ないってことはこれつまんないのかな?」って思うことはあります。
極論ですが、閲覧数100で感想0よりも閲覧数10で感想10の方が圧倒的に嬉しいです。
私の創作スタンスは「感想が来ないなら作品下げます」です。マジで下げるよ。
自分の作品にもプロフにも書いてます。まあ脅しみたいな手法なんですけど、脅しみたいな手法取ってでも感想欲しいんですよね私は。
自分の書いたものなので消すも残すも続きを書くも自由自在なんですよ。だったら多少強気に出たっていいんじゃないって思います。

そもそも感想来なくて辛いならそのぐらい言ってもいいと胸張って言える自分の作品への自信が必要なんだと思う。私はある。

私は「これ面白いかどうかわかんねーけど自分ウケ100%です!私と同じものが好きなら好きだよ!」って自信もってるんですよ。
なんか自信ない人の作品読むの嫌じゃないですか?駄作ですが〜とか言うなら世の中に出すんじゃないよと思っちゃうんですよね。その予防線張る人間の気持ちが全く分からないわけじゃないけど絶対に合わないタイプだと思う。ウジウジしてる暇あるなら自信もてばいいじゃん。
よく作品は自分の子どもって言うじゃないですか。私はこの比喩表現正直言って嫌いなんですけど、親が子供にあんたには無理って大声で言うの毒親だって感じません?それに似てると思う。
自分の作品の良さを自分の言葉で潰すのもったいないよ。

評価される(数字を伸ばす)ためには努力がいる。
これは結構まじだと思う。
でもその努力は正しい方向にできてなかったらただの徒労。今必要な努力では無いです。無駄では無いが間違っちゃってるなと思う。
私は偶然にも文才に恵まれてますが、本読むの苦手です。想像力がない人間だから他人の事も傷つけます。でも文章は読んで貰えるし評価される。好きな物書いて感想も来る。
多分それは元の才能と努力の方向性が正しかったからです。
努力が必ず報われるとは言いません。でも、努力したことは無駄にはならない、とは思ってます。

まあでも正直、評価されたいなら評価されるまで書き続けるのが一番の近道な気もするんですよね。数打ちゃ当たる戦法ですよ。
私は筆が早いです。それはつまり作品をあげるペースが早いということに繋がると思う。まじな話、作品0とかだとしても支部で3日に1回ペースで更新していけばフォロワー50人ぐらいは簡単に増えるんじゃなかろうかと思う。それを続けていけば500なんてあっという間に増えるんじゃなかろうか……私が試すには既存の数字がデカすぎるしもうやってるけどやってみようかな……と思うのでまたそのレポが書けたらいいな

以上、書き散らしでした

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