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欲望の嫡子としてのTHE BODY SHOP『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE(旧)』/これは香水に関するnote Vol.1

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あらゆるムスクの香りは二次創作だ。

これは他のポピュラーな香料——シトラスやジンジャー、サンダルウッドなど——とは事情が異なっている。中央〜北アジアに生息する麝香鹿(ジャコウジカ)の生殖器の周辺に位置する麝香腺から分泌される微量の液体をオリジナルとするムスクの香りは、もはや原理的に二次創作にならざるを得ないし、私たち消費者がオリジナルと香料との違いを感知できる機会は恐らく二度とない。現在、麝香鹿はワシントン条約によって保護対象に指定されており、商用利用は国際的に禁じられている。クレオパトラのように天然のムスクを含んだオイルを絢爛に纏うことは、21世紀では道義的に不可能だ。

つまり、現在私たちが香水の中から感じ取れるムスクの香りは、全て合成原料とエタノールによる人工物である。その合成ムスクが香料として広く普及し始めたのは、香水の歴史全体で見れば比較的最近のこと。そしてその普及の歴史は、人工香料の進歩の歴史でもあり、香りを巡る科学者たちの研究の歴史と不可分な関係にある。ジャン=クロード・エレナ『香水——香りの秘密と調香師の技法』によると、最初の合成ムスクが誕生したのは1888年であり、20世紀の後半から麝香鹿の乱獲防止による天然ムスクの規制と入れ替わるようにポピュラリティを得てきた。現在、天然と合成のそれは、分子構造レベルで合致しているという。

特にオリジナルに最も近い(と、されている)ものはホワイト・ムスクと呼称され、その耽溺を誘うたおやかな甘みと香りの射程の長さから、他の香りが揮発によって失せた後のラスト・ノートに配置されることが多い。クロエ『EAU DE PERFUM』やミス・ディオール『BLOOMING BOUQUET』などのクラシックを始め、揮発性の高いベルガモットやピオニーからホワイト・ムスクに遷移していく手法が現在一般的だ。




ホワイト・ムスクをタイトルに冠している香水はままある。その中でも、個人的に最も惹かれたのはTHE BODY SHOPの『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE』だ。いわゆるハイブランドでもデザイナーズブランドでも、今流行りのアーティスティックなニッチ系フレグランスブランドでもない。

THE BODY SHOP『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE』の魅力は、その猥雑さといかがわしさにある。つけた瞬間からダイレクトにムスクの香りが鼻腔を突き、時折イランイランやジャスミンなどと戯れ合いながらも、むせかえるほどのムスクを漂わせながらラストノートまで突き進んでいく。他のホワイト・ムスクを冠する香水が、ホワイト・フローラルやブラックカラントなどフローラル系の香料をトップ/ミドルノートに配置して爽やかな印象を目指すのとは対照的に、THE BODY SHOP『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE』は吹き出したその瞬間からオリエンタルでいかがわしいムスクが激しい主張を繰り返す。

ややもすれば直線的で品がないと評価されがちな本作だが、私はこの猥雑さこそムスクが本来的に有していたエッセンスであると付言したい。「麝」という字が麝香鹿の発する香りの射程の長さを語源としている通り、天然のムスクは古代から使用者の存在を遥か遠くからでも知らしめるための、権威づけの道具として用いられてきた歴史を持つ。先のクレオパトラの例など、麝香を多分に纏うということは、その者の権威を強引に「わからせる」暴力的な効果を有していた。そしてそれは麝香への希求を増幅させ、特権階級に憧れる持たざるワナビーが狂乱の渦に飲み込まれていった他の文化史と同じように、麝香鹿の乱獲を呼び込み、ついには条約によって禁止された。

天然のムスクが辿ってきた欲望と狂乱の歴史を鑑みると、『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE』の猥雑さは、その原初的なムスクを巡る動乱の歴史をいみじくも予感させる。人類は天然のムスクを禁止されてもなお纏うことを諦めず、あらゆる香水のラストノートに合成ムスクを配置させ続けてきた。『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE』に他のホワイト・ムスク系のような爽やかさは感じ取れないかもしれないが、耽溺を誘うのみではない危ういムスクの一面を巧みに描写している。

THE BODY SHOP『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE』とは、乱獲によって規制されたムスクを追い求める合成ムスクの歴史が生み出した徒花であり、それはホワイト・ムスクがいつまでも肌に残り続けるのと同じように、熱に浮かされた欲望の嫡子として各人の肌に残留し続ける。完全に洗い流せる歴史など存在しないのと同じように。




THE BODY SHOP『WHITE MUSK EAU DE TOILETTE』は、2021年8月に全面リニューアルした。タイトルに(旧)とあるのはそのためである。ヴィーガン認証をパスし、100%リサイクルが可能なガラスボトルを採用するなど、サステナビリティを志向した刷新が施された。

リニューアルからやや間を置いて、リニューアル後の香りを確かめる機械に恵まれた。何の気なしに通りかかったTHE BODY SHOPの店頭に並ぶ透明な香水瓶を見て、興味が湧いたのだ。

販売員に試香したいという旨を伝え、吹きかけられたばかりの白いムエットを受け取る。「リニューアルする前から各ノートの香料を削ぎ落として、継承するべきところは継承しつつも、より華やかで爽やかな香りになったんですよ」と販売員。確かにその香りはジャスミンが爽やかに香り、イランイランなどが配置されていたオリエンタルな旧作と比べるとオールシーズン/シーンで使えるように仕上がっているなと感じた。

1プッシュ肌に貰い、販売員にお礼を告げ、店を後にする。その後ホワイト・ムスクがどの程度まで肌に残留していたのかは、もはや思い出せない。















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