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卒論の季節

卒業論文を提出した

11月くらいだった気がする
お気持ちと体調が終了して、どこにも行けず、なにもできず、泣くだけの日々で、もう死ぬって本気で思って身辺整理までした そんな片付かなかった

もう卒業なんて無理だと思ったから、親に謝罪の連絡をした
内定も、なにもかも、もうどうでもよかった
高校生のときのこともあり、さらに今回は失踪しかけたので、親は全然許してくれたんだけど、
なんかそれが無性にムカついて、ぜんぶやってやる!と決めた

自分で思い込んで自分が発したことばを、相手から言われて初めてちゃんと自覚して、それが違うことに気づいた(伝われ)
最近読んだ本にも、自分でわかっているつもりでも、それを人に言われて初めて理解して自分の中に落とし込める、みたいなことが書いてあったな

それで、ぜんぶやってやる!と決めた
単位も取るし、卒論も出すし、卒業するし、就職する
バイトもするし、練習は何がなんでも休まない
嫌でも無理でもなんでもやる、絶対にやる、と決めた
一種の強迫観念

こうなったらわたしはつよいよ
今のところ、ぜんぶやっています

気づかないふりをしながらも身体はボロボロですが、
やりますよ


こうなったらもう止まれないのよー
完璧主義モード、大暴走

あの頃の自分からすれば、卒論書いて、授業出て、練習休まず行って、バイトして、飲みまくって、ちゃんと遊んで、ってしてるだけで大満足なはずなのに、ぜーんぜんダメね

卒論なんて、もう次から次へと書きたいこと調べたいことが浮かんでしまって、逆にこれどう終わらす?!となった
わたしの大学生活の集大成がこんなもので良いはずがない!ってもう止まらなくてダメでした
結局不完全燃焼
いろいろな人に褒めてもらっても、全然ダメ、自己評価Fです

別にいいはずなのに、自分がゆるせない
わたしが目指すものではないことも、できないと気が済まない

そのせいで、周りのいろいろなことがムカついてダメ
「いいねー、うらやましいよー」で終わればいいのに、「は?なんでそんな浮かれポンチなの?みっともない!それでいいの?ふーん、かわいそー、」という謎の見下しと、
「は?なんでそんな浮かれポンチなの?わたしにはそれができない、これもできない、ずるい!」という加速する卑屈さ

人には人の乳酸菌
わかっているつもりなのですが
これも自分で思っているだけで、理解できていないのでしょうか

他人のやることなすことに対して、見下すか、卑屈になるしかできないのって、相当危険だと思うのですが、はやめに殺してもらえますかね?
自分に向ける厳しさを、人にも向けてはいけない
わたしにその権利はない

でもムカつくことばっかりだよねー、いろいろと
だってわたしにはできないことが多すぎるんだもん
くやしー、くやしー、くやしー、の連続よ
努力でどうにかなることばかりじゃないし
恵まれてることを自覚してほしい〜

↑自戒すぎる


もうさ、今年はそういうどうでもいい、どうにもならないことでクヨクヨしないんだ!
どうにもならないんだよ
できないもんはできないし、ムカつくものはムカつくよ
先のことはわからないし、今に集中するしかない
今ここに心する


卒論を友達同士で提出しにきてる人が多くてびっくりした
でも、別にそんなのどうでもよくて、友達と来てもひとりでもいいんだよな

思ってるだけで、ちゃんと納得できてなくてもいいから、歪みを少なくしていきたい

卒論、書き直そうかな…

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