自分軸って、つまり唯我独尊マインドなんだと思った
唯我独尊、って四字熟語があるじゃないですか。
元々は仏教用語で、お釈迦さまがこの世に生まれた時、『唯我独尊(私はこの世にただ一人の尊い存在である)』と口にしたという逸話が由来なんだとか。
一般的には『自分がこの世で一番偉いと思っている傲慢なやつ』を指す言葉として使われることが多いけど、仏教における本来の意味はちょっと違うらしいですね。
これ、『釈迦がこの世で一番尊い存在である』、『誰か一人が一番偉くて(正しくて)、他の人はみんなその人に従うべき』みたいな意味合いではなくて、本来は、
"私という人間はこの世にたった一人しかいない”
"全ての人は、みな唯一無二の尊い存在である”
っていう、いわゆる"ナンバーワンよりオンリーワン”的な考え方を説いてる言葉なんだそうで。
(とはいえ、私は仏教に関して専門的な勉強とかはしてないので、これはあくまで『一素人の見解』ですし、人によって宗派によってもいろいろと解釈は変わるのかもですが)
そう考えると、ネガティブな意味とか全然ない、むしろ"いい話”なわけですよ。
なのに、なんでこんな歪んだ形で世間に広まっちゃったかなー、変だなー、不思議だなーって、以前から思っていたんだけれども。
今日、ハッと気付いたんです。
これ別に、本来の意味が歪んで広まっちゃったわけじゃないんだって。
そうじゃなくて、
この現代社会という"上下関係”のある世界で、釈迦の言う『全ての人(自分)は、この世にただ一人の尊い存在である』=『全ての人は対等であり、本来上下なんてないんだ』って思想に従って生きようとすると、
その思想を持っていない、“上下関係”があることを当たり前だと思っている他の人たちからは、あたかも、『自分が世界で一番偉いと思っている傲慢なやつ』として扱われてしまうんだと。
だってね。
全ての人は、立場や年齢、社会的地位や他人からの評価によらず、絶対に常に対等なんだって認識の元に生きようとしたら、この社会のいろんな“常識”が根底から崩れてしまうわけですよ。
子供は大人の言うことを聞くべき。
先生の指示には従わないといけない。
目上の人に反抗的な態度を取ってはだめ。
なんの実績もないくせに偉そうなことを言うな。
こういう考え方って全部、人と人との間には『上下』の意識があって、『上』の人には尊重されるだけの価値があるけど『下』の人はそうじゃない、だから『下』の人間は『上』の人間に従属するべきなんだっていう前提の元に成り立ってます。
この『上下関係の認識』を徹底させることが、現代社会における"秩序”の要なんだよね多分。
(ついでにいえば、私たちが暮らすこの日本という国はなおさらその傾向が強めよな、とも思います)
ここで言う上下関係は、『正しさ』って言い換えてもいいです。
あるいは多数派と少数派とかね。
正しい人は上で、正しくない人は下。
だから正しくない側は正しいほうに従え。
従わない人間は"傲慢”だ。
立場が"下”のくせに“上”の人間の言うことを聞かないなんて、いったい何様のつもりなんだろうーー。
これが、世間における『唯我独尊』って言葉(そして、その思想に“正しい意味で”従って生きようとしてる人たち)への認識なわけです。
私たちは、それこそ物心ついたばかりの頃から、『自分より"上”の人の言うことを聞きなさい』って言われ続けて育ちます。
そうしないと怒られるし、その一方で、ちゃんと『言われたこと』を守っている子は"いい子”だって言われて褒められるから、私たちは、言うことを聞くことが『当然』で『正しい』って疑いもなく思い込むようになる。
他人じゃなく、自分の意見や考えに従って生きることは『偉そう』で『何様』なんだって思うようになる。
(とはいえ、これを言ってる大人たちも、自分たちがそんなことを子供に強いてるって自覚は全然ないんだけどもね)(なぜならみんな、それが『当たり前』だと思っているからです)
人は常に、『自分より上の立場の人』に従わなくちゃいけない。
自分が"下”扱いされるのは、自分に悪いところや足りないところがあるせいだから我慢しなくちゃいけない。
それが嫌なら、頑張って努力して他人を押し退けて、自分が"上”の立場に取って代わるしかない。
……って、そういう風に思っている(というか社会によって思わされている)人たちからしたら、『自分は生まれながらに全ての人と“対等”だ』なんて発言自体がもう、"傲慢”極まりなく感じられてしまうわけです。
『"上”に相応しいだけの能力も実績もないくせに、他人の"下”になろうとしないなんて信じられない! なんて偉そうなやつ!!』
"自分は我慢しているのに”、“言われた通りに『下』の立場に甘んじているのに”って思うから、『なんであいつだけ自由にしてるんだ!』って許せなくなるんだよね。
でも、ここまで読んでもらえたらわかると思うけど、おかしいのってどう考えても、わたしたちに対して『人間は対等なんかじゃない』なんて認識をすり込ませようとする、この社会の仕組みのほうだよね。
だって対等なはずなんですよ。どう考えたって。
誰だってそういう風に教わって育つでしょ。
人には基本的人権が平等に公平にあるんだって習うでしょ。
他人や社会の『言いなり』になんて、本当は誰もならなくていいんです。
なのにこの社会はそういう風になってないっていう、その矛盾に、私たちはいい加減気づいてもいいと思うんですよ。
気づいて、変えていく時が来ているんだと思う。
私たちはみんな、生まれながらに天上天下唯我独尊なんだって、そう思っていてもいいんだって。
これに気付いたときね、私はすっごく救われたのです。
私は昔っからずーっと、『他人のことを自分より"すごい存在”だと思えない』っていうコンプレックスがあったのね。
だから、インタビューとかで『尊敬する人は誰ですか』って聞かれると地味に困ってた。
だっていないんだもん。尊敬してる人とか。
決して馬鹿にしてるつもりはないんだけど、『この人に憧れる!』とか『この人のこういうところが素晴らしい!』みたいな、他人を"見上げる”ような心境に、全然なったことがないんですよ。
私の本業は小説家なんですけど、たとえば自分よりずっと売れてる人とか、有名な作家さんとかを見ていても、自分とその人たちの間に何か"差”があるって、どうしても思えなかった。
"この人は確かにすごいけど、でも、私だって別に負けてないと思うんだけどなー”
基本いつでもそういう感じ。
でも、私が心ん中でどう思ってようと、実際の社会的な評価は『売れている人』のほうが当然ながら高くなるわけで、『なんでよ!! 私だってこのくらいできますけど!! 同じくらい面白いもの書いてますけど!! なのになんで私のが"下”みたいに扱われなきゃいけないんですか!!』っていつも不満だった。
そして、そんな自分のこと、『私はなんでこんなにプライドが高くて傲慢なんだろう』って、ずっと恥ずかしく思ってた。
社会で認められる実績もないくせに、自分のことを『誰にも負けてない』とか、そんな風に勝手に高く評価してるなんて、なんでそんな間違った思い上がりを、いつまでも直せないんだろうって。
『プライド高いよね』って、面と向かって言われたこともあるしね。
恥ずかしかったし惨めだったし、こんな驕りたかぶった人間は人から軽蔑されるに違いないって、自分のこと否定して、責めてばっかりだった。
で――――――も、別にそれで良かったんじゃん。
傲慢で良かったんじゃん、私。
間違ってなかったじゃん。
だって唯我独尊だもん。
私が思い上がってたわけじゃなかった。
『自分と他人が対等だなんて思うな』『お前なんて何者でもないしなんの価値もないんだ』って、そんなことを人に言う、この社会のほうがおかしいだけだった。
なーーーーーーーんだ。
なんかねー。これに気づいたら、今まで自分を縛っていたものがいろいろ一気にパーンて外れた気がします。
私、唯我独尊でいいんだ、傲慢でいいんだ、
私は他のどんな人とも対等なんだから、誰にだって思っていることを言っていいし、やりたいことをやっていいんだ! って。
とはいえ、心配もあるにはあるんですけどね。
私はまだまだ全然未熟者だし、自分を他人の“下”に置くことはやめられても、他人のほうを無自覚に“下”に見てしまわないかっていう懸念はやっぱりすごくあるよ。
そもそも私は今まで他人軸ばっかりで生きてきてしまったから、“上下”のない人との接し方が全然わかんないんだよね。
"下”の立場に甘んじて我慢して、自分が言いたいことを飲み込んで全部相手に合わせる、っていう関係の作り方しかしたことないからなー。
でもね。
自己弁護みたいになっちゃうけど、今まで自分の本心を大事にしてこれなかったっていう人は、『傲慢になることもやむなし』ぐらいの気持ちでいたほうがいいとも思います。
HSPの人とか特にね。
私たちみたいな人間は、ちょっとでも他人の気持ちとか反応を意識してしまうと、『言いたいこと』なんてあっという間に言えなくなる。
だからもうこの際、傲慢になってもいい、周り中全部から『何こいつ』って思われてもいい、それでも『私』を一番に大事にする! って腹括っちゃうぐらいじゃないと、なかなか壁を越えられないんじゃないかなと思うので。
そうやって『自分を大事にする』ってことができたら、他人のことも尊重できるようになるよーって、自分軸で生きてる先輩の人たちはみんなそうおっしゃってるのでね。
『傲慢』と人に思われることを恐れずに、まずは自分を尊重することを頑張りたいと思ったのでした。
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